第十六話 第三筐体
ベース・ゼロ中央ハブの空気は、奇妙なくらい静かだった。
第二波強襲を凌いだ直後。
本保管区画からの再回収に成功した直後。
さらに、ヴァルガの背後へ新勢力が近づいていると分かった直後。
本来なら慌ただしくなってもおかしくない。
だが今は、全員が次の一手の重さを理解しているせいで、かえって言葉数が減っていた。
中央の補助作業台には、回収した三つが並んでいる。
補助台帳の続きと思われる記録ユニット。
認証ユニット。
そして、封印筐体“第三”。
黒銀色の外装。
角の少ない直方体。
表面には薄く、旧管理局系の刻印と識別列。
見た目は静かだが、ここまで来る間にどれだけのものが絡んだかを考えれば、ただの箱には見えなかった。
「まずはこれだな」
俺が封印筐体へ視線を向けると、エルフィナが小さくうなずいた。
『“順番として正しいです。記録ユニットの解析も大事ですが、筐体の中身次第で優先順位が変わるかもしれません”』
ダルクが腕を組む。
『“開けられるのか?”』
『“正規の方法ではありません”』
エルフィナはいつもの調子でそう言ったが、要するにかなり綱渡りということだ。
『“でも、認証中継器と本保管区画から持ち出した補助権限の流れがある今なら、完全な破壊なしで“中身確認”までは狙えます”』
「開封までいけるか?」
『“中身確認が先です。完全開封はその次。こういう筐体は、場合によっては内容物の保全と自己破棄が一体化しています”』
「怖いな」
『“旧文明遺産はだいたいそうです”』
ノアが補足する。
『現段階で最も安全なのは、封印筐体を“保管先でまだ管理下にあるもの”として扱うことです。盗品としてではなく、搬送途中の荷として応答させる方が成功率は高いと推定します』
「なるほど」
つまり、こちらが奪った側だと悟らせない。
あくまで“正当な中継の続き”を装うわけだ。
「やるか」
『はい、艦長』
◇
封印筐体の開封手順は、これまでで一番神経を使った。
認証中継器を介して、記録柱から拾った補助搬送台帳の断片を一時的に参照し、筐体へ“この搬送はまだ途切れていない”と誤認させる。
その上で、エルフィナの鍵からごく低い認証波形を重ねる。
強すぎれば警戒される。
弱すぎれば応答しない。
絶妙なところを通す必要があった。
『封印筐体“第三”へ、搬送継続照会を開始します』
ノアの宣言とともに、筐体表面に細い光が走る。
最初は一本。
次に二本。
そして表面の継ぎ目に沿って、うっすらと幾何学的な線が浮かび上がった。
『応答あり』
全員が息を潜める。
筐体が開く音はしない。
代わりに、その上空へ小さな文字列が立ち上がった。
読めない旧字。
だがエルフィナの表情が、見る見る変わった。
『“内容照会が通った……!”』
「何が入ってる」
エルフィナは一行ずつ慎重に読んでいく。
『“保管物種別……予備鍵束構成片……識別、第三片……”』
中央ハブの空気が一瞬で張った。
リェンが小さく息を呑む。
『“本物……”』
ダルクが思わず低くうなる。
『“冗談みたいだな……”』
だが冗談じゃない。
封印筐体“第三”の中身は、文字通り予備鍵束の第三片だった。
断片。
しかし本物。
少なくとも台帳に記録されていたものが、ここに現存している。
「開けられるか」
俺が訊くと、エルフィナは数秒黙ったあとで答えた。
『“内容照会と完全開封は別です。今ここで無理に全開すると、中の保護封印まで動くかもしれません”』
「でも確認は必要だ」
『“はい。だから、完全開封ではなく“観察窓”だけを開かせます”』
器用なことを言う。
だがここまで来たら、そのくらいやってもらわないと困る。
『“もう一段だけ、搬送継続状態を維持したまま保護層の外側を剥がします”』
『注意してください』
ノアが静かに告げる。
『ここで位相ずれが起きると、筐体が再封鎖に入る可能性があります』
『“分かっています”』
エルフィナの声は落ち着いていたが、指先はかなり繊細に動いていた。
認証中継器から筐体へ、微細な波形が流れる。
数秒後。
筐体の側面の一部が、音もなく数ミリだけずれた。
『観察窓、開放』
中に見えたのは、薄い結晶板のようなものだった。
いや、板というより、多層に重なった透光性の小片。
淡い青金色の光を内側から返している。
金属でも情報端末でもない。
けれど“鍵”と呼ばれるのが分かる、不思議な存在感があった。
エルフィナの声が、今度ははっきり震えた。
『“予備鍵束第三片……完全な形で残ってる……”』
「使えるのか」
『“条件が揃えば、はい”』
彼女は観察窓越しにそれを見つめながら続けた。
『“これは単独で門を開く物じゃありません。でも、汚染や喪失が起きた系統の認証を一時的に補う補助鍵です。管理局跡の補助制御核、認証中継器、そして私の持つ正規側の鍵と組み合わせれば、少なくとも照会と一部承認は通せる可能性があります”』
つまり、今まで“あり得るかもしれない”だったものが、現実味を帯びたわけだ。
管理局跡。
補助制御核。
認証中継器。
予備鍵束第三片。
エルフィナの鍵。
ピースが繋がり始めている。
「これで、管理局跡の先も読めるかもしれないな」
『“はい。少なくとも、今までより深いところまでは”』
そこまで言ったところで、ノアが外部通信を拾った。
『ラグランジュ・リンクスから通信です』
「今か」
『タイミング的には、こちらの活動を何らかの形で推定した可能性があります』
リェンが露骨に嫌そうな顔をする。
『“本当に鼻が利くわね、あの白い船”』
「切る理由もない。繋げ」
◇
通信が繋がると、前回と同じ女性の声が響いた。
『こちら《ラグランジュ・リンクス》。先の情報返礼に感謝する』
「礼を言うほどの情報じゃない」
『それでも、敵対よりは有益でした』
相変わらず率直だ。
「今度は何だ」
『二つあります。一つは、接近中の新勢力について。もう一つは、あなた方とヴァルガのどちらが“話になる相手か”の暫定判断についてです』
中央ハブの空気が少し変わる。
「聞こう」
『まず新勢力ですが、観測の結果、単一国家の正規軍ではありません。ただし軍規格を基礎にした複合編成です。言い換えるなら、“正規軍崩れか、それに準ずる私設戦力”の可能性が高い』
リェンが眉を寄せる。
『“ヴァルガと似てる?”』
『似ていますが、統制はもっと強いようです』
嫌な話だ。
ただの烏合の衆ではない。
ある程度まとまりのある武装集団。
しかも軍規格由来。
「規模は」
『現時点の観測では二隻以上、四隻未満。先行艦の可能性があります』
ヴァルガだけでも面倒なのに、そこへ別の軍崩れが来る。
本当に時間がない。
「もう一つは?」
少しだけ間が空いた。
『現時点で、あなた方はヴァルガより交渉可能性が高いと判断しています』
ダルクが思わず小さく吹いた。
俺も少しだけ肩の力が抜けた。
「それは光栄だな」
『ただし、それは“まだ何も壊していないから”でもあります』
「そっちも同じだろ」
『ええ。その通りです』
つまり、向こうはこっちを完全な味方だとは見ていない。
だが少なくとも、現時点では“話して得がある”相手だと思っている。
そこまでなら上出来だ。
「そっちに一つ聞く。新勢力はヴァルガと組むと思うか?」
『短期的にはあり得ます。ただし長期的には低いでしょう。価値のある遺構が絡む宙域では、二流勢力同士はすぐ利害衝突します』
「つまり、最初は同じ獲物を狙って並ぶかもしれないが、すぐ揉めると」
『可能性は高いです』
使えるな、と思った。
こっちが直接両方を相手にするより、向こう同士の疑心暗鬼を強めた方がいい。
「そっちの目的をもう一度確認する」
『観測、評価、そして必要なら契約です』
「契約相手は選ぶんだな」
『もちろんです。安くて危険な相手より、高くても話の通じる相手の方が良い』
その言い方は、かなり露骨だった。
「覚えておく」
『そのつもりで言いました』
通信はそこで切れた。
リェンがため息をつく。
『“あの女、完全に商売人ね”』
「嫌いじゃない」
『“知ってる”』
エルフィナはまだ筐体“第三”を見つめていたが、そこで静かに言った。
『“でも、今の話は重要です。新勢力とヴァルガが完全に一枚岩になるとは限らない”』
「だから、割れる前提で盤面を作る」
『“はい”』
◇
ラグランジュ・リンクスとの通信を終えたあと、封印筐体“第三”は慎重に再封鎖した。
まだ使う段階ではない。
今は“持っている”こと自体が武器になる。
代わりに、認証ユニットと補助台帳の続きの解析を進める。
認証ユニットは、予想通り管理局跡と現地保管先のあいだを繋ぐための補助器だった。
それ自体に強い権限はないが、正規鍵と予備鍵束のあいだで橋をかける役目を持つらしい。
そして補助台帳の続きからは、さらに厄介で重要な情報が出た。
『“保管先コード・アンカー……”』
エルフィナがゆっくり読み上げる。
『“位置はこの星系外ではありません。でもベース・ゼロでも管理局跡でもない”』
「第三地点か」
『“はい”』
ホログラム上に、新しい薄い点が浮かぶ。
第三惑星外縁のさらに向こう。
密な残骸帯ではなく、放棄された観測ブイ群のような領域。
これまで大して注目していなかった場所だ。
「そんなところに」
『“固定保管点、最終退避先、あるいは中継門に接続しない独立保全区画……そのどれかかもしれません”』
ダルクが頭を抱える。
『“増えるなぁ……”』
「増えるな」
『“しかも掘る価値が高いやつばっかりだ……”』
確かに。
ベース・ゼロ。
管理局跡。
そして新しく見つかった“アンカー”。
この星系はもう、三つの芯を持つことになる。
敵にとっては面倒だ。
こっちにとっても面倒だ。
だが戦術的には悪くない。
敵の意識を散らせるからだ。
「ノア、今の時点で新勢力の位置は」
『なお接近中です。ヴァルガ後方を意識しつつ、慎重に速度を調整しています』
「ラグランジュ・リンクスは」
『距離維持を継続。観測に徹しています』
「よし」
ここで無理にアンカーへ行くのは危ない。
だが存在を知っただけでも意味がある。
次の一手が選べるからだ。
「当面の方針を更新する」
俺は中央ハブのマップを開き、三つの価値地点を並べる。
「第一、ベース・ゼロは保持。これは変わらない」
青い点。
「第二、管理局跡は補助制御核の継続利用を狙う。ただし深入りはしない」
外側の点。
「第三、アンカーの調査はまだ保留。だが敵に先に気づかれたくない」
新しい点が薄く光る。
リェンがうなずく。
『“つまり今は、“三つ目の宝”の存在を隠したまま二つで戦うのね”』
「そうだ」
エルフィナが静かに続ける。
『“そして、筐体“第三”と認証ユニットがある今、管理局跡側の照会は前より深くできます”』
「そうなると、管理局跡からアンカーの正体をもう少し引けるかもしれない」
『“可能性はあります”』
ダルクが半分あきれた顔で言う。
『“やることが減らないな、本当に”』
「増える一方だ」
『“なのに顔が死んでないのが嫌なんだよ……”』
「面倒だけど面白いからな」
リェンが小さく笑う。
『“やっぱりそうなのね”』
◇
その日の終わり、ベース・ゼロはまた一段階“ただの避難拠点”から遠ざかった。
封印筐体“第三”の中身は本物の予備鍵束構成片だった。
認証ユニットも本物。
補助台帳の続きからは、第三の保管候補“アンカー”まで見えた。
ラグランジュ・リンクスとは、まだ薄いが敵対ではない関係を維持できている。
そして接近中の新勢力は、正規軍崩れに近い複合戦力らしい。
状況は悪化している。
だが、盤面を読む材料は増えている。
それは大きかった。
中央ハブの照明が少し暗くなり、簡易夜間モードへ切り替わる。
それでも誰も完全には休めない。
ベース・ゼロの外ではヴァルガが傷を舐め、別勢力が近づき、白い船が静かに見ている。
内側では、古い鍵束の欠片が眠り、まだ掘られていない場所が呼んでいる。
開拓ってのは、たぶんこういう時に本性が出る。
何を守るか。
何を掘るか。
誰と組み、誰を疑うか。
その全部を、自分で決めるしかない。
俺は三つ並んだ点を見ながら、静かに息を吐いた。
ベース・ゼロ。
管理局跡。
アンカー。
星系の骨格が、ようやく見え始めた。
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