第22話 彼女が踊る舞台の上は
湯気が、白く立ちのぼる。
「ぽよえぇ……」
ターニャは湯船の中で、力の抜けた声を漏らした。
身体中が重い。
逃亡。
戦闘。
海への飛び込み。
全部まとめて押し寄せてきたみたいだった。
じわじわと熱が染み込んでいく。
口元まで湯船に沈め、隙間から息を吐く。
ぶくぶくと音を立てて、空気が上がって来る。
湯の色は乳白色だ。
(これ、今お貴族様の間で流行っている入浴剤とかいうやつ!?めちゃ高いんじゃないの??)
疑問は浮かぶが、身体は脳を使うことより癒しを求めていた。
(……生き返る……)
湯から肩まで出して、ぼんやり天井を見上げた。
高いし、広い。
無駄に豪華。
壁には金の装飾。
床は磨き上げられた白い石。
灯りは柔らかく、それでいて影ひとつ曖昧にしない。
(なんなの、ここ……?)
下手な王族より良い暮らしをしている。
(魔王軍ってもっとこう、じめじめした洞窟とかじゃないの?)
「失礼いたします」
数人のメイドが入ってくる。
全員、整った所作だった。
無駄な動きがない。
「お召し物の準備が整いました」
「……え、自分で着れるけど」
「魔王様への
にこやか。
なのに断る余地が見当たらない。
(なんなの、この圧……?)
そのまま流されるように、髪を梳かれ、衣装を整えられていく。
「ちょ、引っ張らないで、いたたた」
「失礼しました」
「ちょっと雑じゃない!?」
「気のせいかと」
「絶対うそ」
運ばれてきたのは、深い藍色のドレスだった。
夜空みたいな色。
銀糸の刺繍が、星みたいに散っている。
「……これ着るの?」
「はい」
「ほんとに?」
「はい」
「いやターニャ逃亡中なんだけど」
「現在は魔王城内に保護されておりますので問題ありません」
「えっ、ターニャ、保護されてたの?」
気づけば着替え終わっていた。
鏡の前に立たされる。
「……誰?」
思わずそんな声が出る。
そこに映っていたのは、旅装束の剣士じゃない。
どこかの貴族令嬢みたいだった。
「とてもお似合いです」
「そういう問題かなぁ……」
頭を抱えるターニャ。
扉が、静かに開いた。
「準備が整ったようですね」
現れたのは、燕尾服姿の男だった。
白髪。
片眼鏡。
整いすぎた所作。
まるで人間の執事のように見える。
けれど、視線を向けられた瞬間、
ターニャは"違う"と感じる。
歩幅。
瞬き。
呼吸の間。
なにかが、ほんの少しだけ“合っていない”。
「……ゼッシーサス、さん?」
「さすがですね。そして、覚えていただけて光栄です」
柔らかな笑み。
けれど、その奥が読めない。
「こちらへ」
促され、廊下へ出る。
長い通路だった。
赤い絨毯。
高い天井。
窓の外には、夜の魔王領。
そして。
途中、何人もの魔族たちとすれ違った。
「……」
ターニャは違和感を覚える。
誰も騒がない。
威嚇もしない。
自然と足を止め、ゼッシーサスへ頭を下げていく。
深く礼をする者。
微笑みを向ける者。
軽く会釈だけする者。
(……怖がってる感じじゃない)
むしろ。
(慕ってる……?)
その感覚が、一番近かった。
中には、角を持つ者もいた。
獣耳の少女。
人間に近い姿の青年。
肌の色が異なる者。
けれど、誰も居場所を失っているようには見えない。
「……意外ですか?」
前を歩きながら、ゼッシーサスが言う。
「え?」
「魔王軍の印象です」
「まぁ……もうちょっと殺伐としてるかと」
「よく言われます」
口元だけで笑う。
「ですが、生きる場所を失った者ほど、秩序を求めるものですから」
「……」
その言葉は胸に残った。
チクリ、と棘を刺すように。
やがて――巨大な扉の前で、ゼッシーサスが立ち止まる。
「この先です」
変わらない声音なのに。
空気が、わずかに張り詰めていた。
「忠告とか、ある?」
「あります」
ゼッシーサスはターニャを見た。
「見たものを、すぐ理解しようとなさらないことです」
「……どういう意味?」
「そのままの意味です」
そこで言葉を切る。
彼は目を伏せたようにも見えた。
「ですが」
視線がターニャを捕える。
「魔王様は、あなたに期待されています」
(嫌な予感しかしない……)
扉が、開いた。
白。
最初に見えたのは、それだった。
「……え」
声が漏れる。
どこまでも白い。
床も。
壁も。
天井も。
境界すら曖昧な空間。
方向感覚がおかしくなる。
まるで世界そのものが、切り取られていた。
その中央。
巨大な結晶が浮かんでいた。
宝石みたいだった。
透き通った光。
ゆっくり脈打つ魔力。
存在しているだけで空間を歪める圧。
「……これが、魔王?」
答える者はいない。
代わりに。
空間へ、無機質な声が響いた。
——個体:ターニャ
——機能:適合
——観測済み
——支配行動:良好
——損耗:最小
——効率:高
「……なにそれ」
眉をしかめる。
まるで人間を、道具みたいに数えている。
すると。
『人類は、増えすぎる』
今度の声は違った。
無機質なのに。
意思がある。
ターニャの背筋に、ぞわりと何かが走る。
『世界は均衡を求める』
『生命は際限なく増殖する』
『増えすぎれば、世界を食い潰す』
「……だから減らしてるって?」
『違う』
無機質な声で。
『"調整"している』
あまりにも当然みたいに。
『均衡維持のために』
そこで初めて、ターニャは理解した。
この存在は。
人を憎んでいるわけじゃない。
殺したいわけでもない。
もっと別の。
世界の仕組みそのものみたいな感覚。
「……意味わかんないんだけど」
ぽつりと漏らす。
『理解する必要はない』
結晶が、わずかに脈打つ。
『重要なのは適合性だ』
「適合?」
『お前は効率的だ』
『無駄な殺戮を行わない』
『支配行動に安定性がある』
『損耗率が低い』
淡々と告げられる。
その内容に、ターニャは顔をしかめた。
「……は?」
『観測済み』
結晶が明滅する。
『恐怖による統制』
『労働による更生』
『秩序形成』
『領域安定』
『極めて合理的』
「……」
ターニャの顔から、表情が消えていく。
(なに言ってるの、こいつ)
だが。
ひとつだけ、理解できた。
この存在は。
破壊ではなく、
統治でもなく、
“最適化”を選んでいる。
恐怖で縛るのではない。
秩序によって、
結果的に従わせている。
それは、英雄と魔王を、区別していないということ。
『ゆえに問う』
白い空間に、声が満ちる。
『ターニャ』
『お前は、こちら側へ来るか?』
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