第4話「止まらぬ快進撃」

 前方の暗闇から、どこか淀んだ水のような湿った臭いが漂ってきた。


 鼻腔にまとわりつく臭いは、さっきの獣のとはまた少し違う不快感があった。松明の光の端に、何かが蠢いているのが見えた。


 ライラが息を呑んだ。


「あれはまさか……!なんで、こんなEランクダンジョンに……!」


 赤黒い鱗をまとった大蛇だった。大人の男が両手を回しても、到底抱えきれないような胴の太さ。その長大な体が石畳を這い、不気味に赤く光る眼差しがゆっくりとこちらを捉えた。ライラでもアニスでもなく、最初からオレだけをじっと見据えていた。


「な、なんですかあれ!?でっかい!アタシ、ヘビだけはホントに無理なんですー!」


 アニスが急いで後ずさった。ライラは剣を抜いたまま、目の前の魔物をじっと見ていた。


「ライラ、あの蛇はどういった魔物だ?」


「ブラッド・サーペント。Sランク相当の魔物よ。万力のような締め付けで獲物の骨を砕く、蛇系の中でも最上位のパワーの持ち主。なぜEランクダンジョンに……!?」


 ライラの説明にオレが気を取られているのを察知したのだろうか。突如、奴が動き始めた。


 石畳を蹴る音もなく、その巨体は滑るようにオレへ向かってくる。なんて速さだ。考える間も与えてくれない。


「二人は下が――」


 オレの言葉などお構いなしに、奴の胴体がオレに巻きついてきた。オレの腕の動きを封じるように肩から腰にかけてぐるりと絡みつき、じわじわと締め上げてくる。しまった……!


 後ろで二人が「グレン!」「グレンさーん!」と叫ぶ声が聞こえる。


 大蛇に締め付けられて息絶えた冒険者は数えきれないほどいる。オレもその中の一人になってしまうのか。


 ……。


 …………?


 思っていたよりも、奴の締め付けが弱い。全く苦しくない。


 オレは両腕に力を入れて、外側へ押し広げた。バキリという鈍い音がして簡単に締め付けがゆるんだ。腕をさらに押し広げると、奴がそのまま石畳へ叩きつけられた。尾だけがしばらくぴくぴくと動いている。


 よく分からないが、どうやらこれは絶好のチャンスのようだ。


「奴はひるんだ!アニス、君の魔法で攻撃してくれ!」


 振り返ると、アニスはすでに杖を構えていた。奴が石畳に叩きつけられた瞬間には、もう狙いを定めていたらしい。細い腕は震えていなかった。


「フリーガ!」


 それは氷属性の初級魔法だった。氷の塊が一直線に飛んでいき、横たわる奴の胴体に命中した。赤黒い鱗がゆっくりと白く凍りつくと、びきびきと音を立てながら、奴の動きが完全に止まった。


 もうその巨体が動く気配はない。……勝った、のか。


「グレンさん!アタシ、やりましたよー!」


 アニスが杖を高々と掲げた。本当に頼りになる。アニスがいなければどうなっていたことか。 初戦のときと比べて、少しずつ自信がついてきているようだ。頼もしい限りだ。


「ふう。どうやら退治できたようだな。アニスの魔法にまたしても助けられた。礼を言う」


「お褒めに与かり光栄ですー」


「二人とも、ちょーっと待ってくれる?」


 ライラが会話に入ってきた。その眉間には微かに縦皺が刻まれている。困惑してるというよりも、何か腑に落ちないことがあるかのようだ。


「グレン。さっきの締め付け。あれ、どうやって外したの」


「そのことなんだが……。思いのほか奴の締め付けが弱かったから、力づくで外した」


「うそでしょ!?Sランク相当の魔物なのよ!?」


「さっきの狼と同様に、Sランク魔物に似たEランク魔物なのだろう。失礼だが、ライラの見間違えじゃないのか?」


「それにしたって、あのサイズの大蛇の締め付けなんて、力づくで外せないんじゃ……」


「うーむ。そうだな。蛇は変温動物だ。最近肌寒い季節だから動きが鈍くなり本調子ではないのだろう。それに、脱皮直後なら筋力が落ちていたとしてもなんら不思議ではない」


「いや、待って。それが正しいとして、あのサイズの大蛇の締め付けを力づくで外せる人間が――」


「ともかく、オレは何もしておらずアニスの魔法が全てを解決してくれた。それだけは確かだ。二人とも、先へ進もう」


「そうですねー!魔物退治はこのアニスにお任せ下さいー!」


 アニスの元気な声が、ダンジョンにこだまする。ライラは何か言いたげに口をパクパクさせていたが、今は気にしている場合ではない。ダンジョン攻略が先決だ。


 思い返してみれば、前回の狼には炎を使っていたが、さっきアニスが使ったのは氷魔法だったな。咄嗟に属性を切り替えるとは、蛇系の魔物に氷が有効だとわかっていたのだろう。そういう直感的な判断力は見習わなくては。


 後ろで、ライラが小さな声でつぶやくのが聞こえた。


「……私がおかしいのかしら。いや、でも……」


 戦闘直後は混乱することもある。ライラも疲れているのだろう。


 そう思いながら歩いていると、足元からカチリ、という小さな音がした。


 この音はまさか――


 それが何を意味するかを頭で理解するより先に、体が動いていた。振り返ると、アニスとライラがすぐ後ろにいた。


「伏せろ!オレが盾になる!」


 とっさに身をかがめる二人にオレがおおい被さったその刹那、通路の両側の壁に空いた無数の穴から、矢が一斉に飛んできた。しまった。こんなつまらない罠に引っかかるとは――


 矢じりが空気を切り裂く音が聞こえる。一本一本が目にも止まらぬ速度。アニスが小さく悲鳴を上げ、ライラは息を呑んでいた。矢が全てオレに当たる。


 ……。


 …………。


 少しだけチクッとしたが、とくに痛みは無かった。


 矢はどうやら一本も刺さらずに落ちていったらしい。アニスとライラも無傷だ。しばらく経って次の罠が来ないことを確認してから、オレは立ち上がった。


「……矢か。古典的な罠に引っかかってしまってすまない。二人とも無事なようでなによりだ」


「グレンさん!ご無事ですかー?」


「ああ。無傷だ。オレの体を見てくれ。矢が一本も刺さってないだろ?」


「たしかに!傷ひとつありませんねー」


「矢じりの先が丸く劣化していたのか、速度が落ちていたのか、あるいはその両方か。ダンジョンとはいえ老朽化には耐えられないようだ。Eランクではこんなものかもしれないな」


「そうですねー!さっすがグレンさん!自らが盾になって守ってくれたのみならず、冷静な分析までー」


 そう褒められると少し照れるな。オレとアニスの会話へ、先ほどと同様にライラが割り込んできた。


「いやいやいやいや。この矢の先端、ものすごく鋭利だし、勢いもすごかったし、とうてい老朽化では片付けられないでしょ!」


「そうか?」


「そうよ!やっぱりグレン、あなたのカッチカチの筋肉がはじき返したの!普通の人なら致命傷よ!」


「……そうお世辞はよしてくれ。何度も言うが、オレはちょっと骨太なだけなんだ」


「は、はあ……」


 ライラは剣士として相当鍛えているだろうが、あくまで女性だからな。オレのようなごく普通の男性の筋肉がことさらに強そうに見えてしまうのだろう。気にせず先を急ごう。


◆◇◆


 さらに通路が深くなるにつれて、ひんやりとした空気が濃くなった。湿った石の臭いには、何か別の気配が混じっている気がする。しかし、気配だけでとくに魔物の姿は見当たらない。三人の足音だけが暗闇に響いていた。


「さっきから、魔物が全く出てきませんねー」とアニスがつぶやいた。ライラがそれに応える。


「たしかにそうね。出ないんじゃなくて、自分達から逃げてる可能性があるわね。何かを恐れて」


「何か、とはー?」


「……十中八九、このパーティの中の一人が原因だと思う」


「せん越ながら、それってもしかしてアタシのことですかねー?先ほどから魔物をけっこう退治してますし」


「う、うん。まあ、そうかもね……」


 妙に歯切れの悪いライラに、アニスが首をかしげる。このパーティの中でさっきから魔物を恐れさせている存在といえばアニス一人しか居ないのに、なぜライラは煮え切らない態度なのだろう。


 しばらく歩いた先。突き当たりに巨大な石の扉があった。扉の隙間からはかすかに光が漏れていた。その向こうから地響きのような足音が、一定のリズムで響いていた。


「……ここが最深部のようだな。アニス、ライラ。気を引き締めていくぞ」

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