第43話 居場所を求めて
レンバース邸に戻ってから三日が経った朝、机の上でスマホが震えた。
村での一件はひとまず片がついた。イグナーツたちはすでにレジャスの憲兵に引き渡されており、今頃は鎌倉と同じ牢の中にいるはずだ。
桐島たちは、以前に俺が拠点として使っていた安宿に身を寄せている。当面の宿代は、すべて俺が立て替えている状態だった。
スマホの画面を確認すると、通知欄には桐島なつめの名前でLINEのメッセージが届いていた。
『少し相談したいことがあるんだけど、今日とか空いてる?』
俺は画面をタップし、親指を素早く動かして返信を打ち込んだ。
『構わないけど、何か問題でも起きたのか?』
『直接会ってから話すね』
『了解。すぐに行く』
端末をポケットに収めた俺は、改めて現代文明の利便性を実感しつつ、足早に部屋を出た。
庭に面した廊下を通り過ぎる際、視界の端に有栖川の姿が映る。
彼女は毎朝欠かすことがない剣の稽古に打ち込んでいた。風を切る鋭い風切り音がここまで聞こえてきそうだった。
声をかけようかと一瞬だけ足を止めたが、彼女は深く集中している。邪魔をするべきではないと判断し、俺はそっと屋敷を出た。
向かった先は、桐島たちが待つ宿場街。
彼女たちが泊まっている宿屋は、木造の古びた建物で、外壁の塗装があちこち剥げている。
料金は安いが、清潔で飯もそこそこ食える。スラムに比べれば天国みたいな場所だと、当時の俺は本気でそう思っていた。
宿の食堂に入ると、一番奥の窓際の席に三人が揃っていた。
俺の姿を見て、桐島が椅子を引いて立ち上がる。隣には水瀬が身を硬くして座り、その奥に安西が腰を下ろしていた。
「影山くん、こっちこっち!」
「さあさあ、遠慮せずに座ってください」
俺は彼女たちの向かいにある椅子を引き、腰掛けた。
「兄ちゃん、久しぶりだな。注文何にする?」
店の主人が注文を聞きにきたので、俺はレモン水を頼んだ。この店で一番安いメニューだ。
「はいよ」
運ばれてきた杯を受け取り、一口飲む。酸味の強い味はそれなりだった。
俺は杯をテーブルに置き、本題を切り出した。
「で、相談というのは?」
桐島が水瀬と顔を見合わせてから、俺の方を真っ直ぐに向いた。
「仕事のことなんだけど……。このまま影山くんにお金を借り続けるわけにはいかないし、私たちも自分のことは自分で何とかしなくちゃなって」
「三人はこの街にずっといるつもりか?」
俺が問いかけると、水瀬が小さく頷いた。
「そのつもりです。さすがにグランタリアには戻りたくないですし……。なっちゃんの星占いでも、私たちはこの街で生活していたみたいですから」
そういえば、あの村でそんな話をしていたな。
ちらっと安西の方を見てみるが、彼女は相変わらず何も話さなかった。
ただ、気持ちを伝えるように桐島の袖をそっと引いた。
桐島が「ふみも同じ気持ちだって」と代わりに言った。
俺は手の中の杯を机に置いた。
コン、と軽い音が響く。
三人の顔をじっと見る。
彼女たちがグランタリアでどのような仕打ちを受けてきたかは、何となくだが想像ができる。
事情がわかる分、力になってやりたいとも思う。
俺は少し考えて、ふとある会話を思い出した。
先日、屋敷の廊下でメイド長のヘルガとすれ違った際、長く勤めていたメイドが結婚を期に田舎に帰ってしまい、そのため人手が足りないとボヤいていたのだ。
「仕事に関しては、少し心当たりがある」
「ほんとに!」
「私たち冒険者とかは無理ですよ! 戦えませんから!」
「俺たちが世話になっている屋敷のメイド長がさ、人手が足りないって言ってたんだよ。上手くいけば雇ってもらえるんじゃないかなって」
「え、本当に!」
「それなら私たちでもやれそうですね!」
二人の顔がパッと明るくなった。
「メイド長に話を通してみるけど、雇うかどうかは向こうが判断する」
二人はやる気満々といった様子で、ブンブンと首を縦に振っている。
安西も意外とやる気なのか、じっとこちらを見つめていた。
「採用試験があると思うから、受かる保証はないぞ」
「絶対に受かります!」
水瀬が即答した。
安西も小さく頷いていた。
「わかった。ならあとで屋敷に来てくれ。話は通しておくからさ」
俺は椅子から立ち上がった。
レモン水の残りを一気に飲み干して、空の杯を置く。
「影山くん」
桐島に呼び止められた。
振り返ると、切実な目で俺を見上げていた。
「本当になにから何までありがとう」
「そういうのは、受かってから言うもんだろ」
俺はそのまま宿を出た。
レジャスの昼前の通りは、それなりに人が行き交っている。
俺は屋敷に戻りながら、メイド長にどう話を持っていくか考えた。
彼女は打算で動くタイプではない。仕事に厳格で、使えると判断すれば雇うし、使えなければ雇わない。
メイドの雇用をエレノアから一任されていることもあり、彼女に認められることは絶対条件になる。
桐島たちの家事スキルがどの程度なのかが問題だな。
◆
有栖川はまだ庭で刀を振っていた。
鋭い風切り音が庭に響く。
俺の気配に気づいたのか、彼女は動きを止めた。額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、こちらへ視線を向ける。
「どこに行ってたの?」
「桐島たちのところだ。仕事の相談をされたんだ」
そう答えると、有栖川はわずかに眉をひそめた。
「ふうん。紹介できそうな仕事なんてあるの? なつめたち戦えないわよ?」
「午後にメイド長へ紹介することになった」
「……この屋敷で働くの?」
有栖川の手が止まる。
やや間を置いてから、カチャリと刀を鞘に納めた。
「採用されればそうなるだろうな」
「なんでまた増やすのよ」
「ん? ……どうかしたか?」
「なんでもないわよ!」
吐き捨てるように言うと、有栖川はぷいと顔を背けた。
「おい、どこ行くんだよ」
そのまま足早に歩き出した背中へ声をかける。
「汗かいたから、お風呂に入るのよ!」
有栖川は振り返りもしない。
苛立ちをぶつけるような足取りで庭を横切り、そのまま屋敷の中へ入っていった。
残された俺は、遠ざかる背中を見送る。
「何だよ……あれ」
首を傾げながら、小さく息を吐いた。
◆
午後。
桐島たちが屋敷を訪ねてきた。
玄関口に並ぶ三人はいずれも表情が硬く、肩にも力が入っている。
俺は挨拶もそこそこに、彼女たちを連れてメイド長がいる執務室へ向かった。
重厚な扉の前で足を止め、優しくノックをする。
「どうぞ」
短い返答を聞いて部屋へ入ると、デスクに座るヘルガが書類から顔を上げた。
茶色がかった髪を後頭部で乱れなくまとめ、制服にも隙がない。
長年レンバース家に仕え、実力だけでメイド長の座まで上り詰めた人物だ。その鋭い眼差しは相手の本質を見抜くかのような迫力を持っていた。
「影山様、そちらがお話されていた方々でよろしいのですね」
「ああ。さっき話した通りだ。彼女たちは俺や有栖川と同じ異世界人で、今は身寄りも働き口もない。住み込みで雇ってもらえないか?」
ヘルガの視線が三人へ向けられる。
その眼差しを受け、桐島と水瀬は思わず背筋を伸ばした。
一方で安西だけは最初から姿勢を崩さない。
ヘルガは何も言わず、三人を静かに見つめた。
部屋には時計の秒針だけが響く。
十秒にも満たない時間だったが、妙に長く感じられた。
「ここは由緒あるレンバース邸でございます。まずは皆様に適性を確認するための試験を受けていただきます。採用の可否は、その結果次第です」
やはり簡単にはいかないか。
三人へ目を向けると、そこにあるのは怯えではなく決意だった。
「早速試験を行いたいと思いますが、よろしいですか?」
「望むところです!」
桐島が勢いよく腕まくりをしながら答える。
「よろしくお願いします……!」
水瀬は緊張しているのか、何度も眼鏡の位置を直していた。
「……」
安西は無言のまま深く頭を下げる。
ヘルガは一瞬だけ彼女を見たが、特に何も言わなかった。
安西が言葉を発せないことは、事前に説明済みだ。
そのことで不利になるかとも思ったが、ヘルガは「口が利けない程度のこと、この屋敷の業務に支障はございません」と即答していた。
「三人とも、頑張れよ」
「うん!」
「は、はい!」
「……」
安西も小さく頷く。
俺は三人を見送り、庭に面した一階の応接間へ移動した。
ソファーに腰を下ろしてしばらくすると、メイドがやって来て、俺の前へ紅茶を置く。
「いい香りだな」
立ち上る湯気を眺めながら呟くと、メイドが柔らかく微笑んだ。
「アールグレイでございます。エレノア様より、影山様には必ずアールグレイをお出しするよう仰せつかっております」
「そうなのか? ……でも、なんでアールグレイなんだ?」
何気なく尋ねると、メイドはわずかに身を寄せて声を潜めた。
「アールグレイには『あなたは私の好み』という意味がございます」
「……え」
思わず動きを止める。
するとメイドは真顔のまま続けた。
「より分かりやすく申し上げますと、『大好き』『ドストライク』という意味でございます」
「……あ、そうですか」
俺はそれ以上考えることをやめた。
聞かなかったことにしよう。
そう決めて、そっと紅茶へ口をつけた。
しばらくして、裏庭の方から何かが盛大にぶつかる音が響いた。
どうやら試験は炊事から始まったらしい。
やがて厨房の方角から焦げた匂いが漂ってくる。
続いて、
「わわわっ!?」
という桐島の悲鳴と、
「ちょっと待ってください!? 計算がっ!」
という水瀬の慌てた声が重なった。
その直後。
「何をやっているのです! ばかっ! 鍋を持ちなさい! そちらは火が入っています!」
これまで聞いたこともないヘルガの怒声が屋敷中に響き渡った。
「……」
俺は黙って紅茶を口に運ぶ。
「まだ試験は始まったばかりだからな」
自分に言い聞かせるように呟いた。
次は洗濯の試験だったらしい。
裏庭の方から鋭い風切り音が走ったかと思うと、窓の外を数枚の洗濯物が舞い上がった。
真っ白なシーツが庭木の枝に引っ掛かっている。
「魔道具の出力を間違えました……」
消え入りそうな水瀬の声が届く。
「見れば分かります」
ヘルガの返答は実に簡潔だった。
俺はカップを持つ手を止めた。
そして何事もなかったかのように紅茶を飲む。
「まあ……最初から完璧にできる奴なんていないよな」
裁縫は室内で行われたらしく、こちらまで音は聞こえてこなかった。
しかししばらくすると、救急箱を抱えたメイドが廊下を慌ただしく駆けていく。
「桐島様が針を指に刺されてしまいました!」
「急いでください!」
使用人たちの緊迫した声が遠ざかっていく。
「……大丈夫か、あいつ」
思わず呟く。
一方で、ヘルガの声が何度か不自然に途切れる場面もあった。
採点の手が止まっているのだろう。
それは決まって安西の番だった。
安西は大家族の長女で、家事全般が得意だと以前桐島たちが話していた。
まさか一番心配していた彼女が、実は一番の即戦力だったとは、誰が予想できただろうか。
試験がすべて終わったのは夕方近くだった。
応接間の扉が開き、ヘルガが入ってくる。
珍しく疲れた顔をしていた。
その後ろには三人が続いている。
桐島の指には白い布が巻かれ、水瀬の髪は少し乱れていた。
二人とも完全に消耗している。
対照的に、安西だけは朝と変わらぬ様子で静かに立っていた。
「影山様」
ヘルガが口を開く。
「安西様は即戦力として採用いたします」
安西がわずかに目を見開いた。
「ですが、桐島様と水瀬様については――」
一拍の間。
「不合格です」
「えっ!?」
「そ、そんな……!?」
二人の顔から血の気が引いた。
「ヘルガさん、お願いします!」
水瀬が一歩前へ出る。
「見習いでも何でも構いません! 必ず上達しますから!」
「私たち、本当に頑張ります!」
桐島も必死に頭を下げた。
「ここで働けなかったら、私たち……」
「本当に行く場所がないんです!」
ヘルガはしばらく二人を見つめていた。
やがて小さく息を吐く。
「……見習いです」
二人の顔が跳ね上がる。
「給金は正規の半分。三か月以内に結果を出せなければ終了。それでよろしいですね」
「「ありがとうございます!」」
二人は勢いよく頭を下げた。
安西も隣で静かに一礼する。
「では制服を渡します。付いてきなさい」
ヘルガはそう告げると三人を連れて部屋を出ていった。
再び応接間に静寂が戻る。
空になったカップを眺めていると、先ほどのメイドが新しい紅茶と小皿を運んできた。
小皿の上には見覚えのある瓶が載っている。
「こちらのジャムをお使いください」
「どこで手に入れたんだ?」
「最近、明智様がお屋敷へ売りに来られているのです。食品流通には教会も干渉できないそうで、貴族のお屋敷を中心に販路を広げているとのことです」
俺は瓶を手に取り、蓋を開けた。
甘い果実の香りが広がる。
相変わらず抜け目のない男だ。
教会が手出しできない食品市場に目を付け、まずは貴族相手に人脈を築く。
一度この味を知れば、貴族たちは自然と明智の店へ足を向けるだろう。
そうなれば店の状況も一気に好転する。
今のところ、ルクセリアで瓶詰めを売っているのは明智くらいのものだからな。
「相変わらず、ゴキブリ並みにしぶとい奴だな」
苦笑しながらパンにジャムを塗る。
そして一口かじった。
文句の付けようもなく美味かった。
そのとき、再び応接間の扉が開いた。
制服姿の桐島と水瀬が並んで入ってくる。
仕立てたばかりの制服は二人によく似合っていた。
後ろには安西もいる。
少しだけ丈は余っていたが、それでも十分に様になっていた。
「これからもよろしくね、影山くん」
桐島が晴れやかな笑顔を向ける。
「何かあったら、いつでも言ってください」
水瀬も力強く頷いた。
安西はその隣で静かに頭を下げる。
俺はパンを皿に戻した。
「こっちこそ、よろしくな」
こうして三人は、新しい居場所を手に入れた。
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