第31話 孤独な戦い
明智光秀が営む「万屋 明智商会」は、レジャスの目抜き通りから一本外れた路地裏に店を構えていた。
木造二階建てのこぢんまりとした店舗だが、かつてはこの界隈でも知らぬ者のいない人気店だった。
理由は単純である。
この店で扱うポーションが、異常なまでによく効いたからだ。
命懸けで魔物と戦う冒険者たちが、「意味が分からないほど効く」と口々に噂を広め、その評判は瞬く間に街中へ広がった。
朝から晩まで客足が絶えることはなかった。
冒険者だけではない。傭兵、商人、職人、時には貴族の使いまで訪れ、店の前には長い列ができた。
カウンター越しに客へ愛想を振りまき、手に馴染んだ扇子を広げながら商談をまとめ、積み上がる銀貨を数える。
それは明智にとって、この異世界へ召喚されて以来、最も順風満帆な日々だった。
己の才覚が認められ、人脈が広がり、商売が大きくなっていく。
未来には希望しか見えていなかった。
――それが今ではどうだ。
明智は帳場の奥に置かれた椅子へ深く身を沈め、静まり返った店内を見回した。
ぱちり、と乾いた音を立てて扇子を閉じる。
聞こえるのは時計代わりに吊るした魔導具の微かな駆動音だけだった。
客の姿はない。
昨日も来なかった。
一昨日も来なかった。
その前も、そのまた前も同じだ。
どれほど記憶を辿っても、最後にまともに客が入ってきた日のことを思い出せない。
商品棚には売れ残ったポーションが並び、磨き込まれたカウンターだけが無意味なほど綺麗だった。
客足が途絶えた原因なら、嫌というほど理解している。
今日もまた、閉め切った店の外から男たちの声が聞こえてきた。
明智は重い腰を上げると、足音を殺して入口へ向かった。
開き戸の隙間へそっと目を寄せる。
案の定だった。
純白の法衣を纏った教会の男が二人、店の正面に陣取っている。
もはや毎日の光景だった。
男たちは通行人の視線を集めるように大きな木板を掲げていた。
そこには悪意に満ちた文言が黒々と書き連ねられている。
【異端ポーションの疑い有り。購入は自己責任】
【治療を求めるなら正しき教会へ!】
【神に背く異端薬に注意!】
【黒き秘薬、街から追放せよ!】
【聖職者なき治療は異端の始まり!】
【神に背く異端薬に注意せよ!】
さらにもう一人が、通りを行き交う人々へ向けて声を張り上げていた。
「良いですか! こちらの店で売られているポーションには、神の教えに背く異端の術が施されている疑いがございます! 教会では正式な認可を受けた安全な治癒魔法をご提供しております! 怪我や病に苦しむ方は、どうか安心できる教会へお越しください!」
通行人たちは足を止めこそしないが、その視線だけは確実に店へ向けていた。
好奇心。
警戒。
嫌悪。
様々な感情が入り混じった視線が、店の看板へ突き刺さる。
そして誰一人として入口へ近づこうとはしなかった。
中には気まずそうに目を逸らす者もいたが、大半は厄介事に関わるまいと露骨に距離を取って通り過ぎていく。
明智は小さく息を吐いた。
拳を握る手に力が入る。
薬学協会から正式な許可を得て営業している以上、本来ならば何一つ後ろ暗いことはない。
だが、相手は街で絶大な影響力を持つ教会だ。
正論だけではどうにもならないことを、この数か月で嫌というほど思い知らされていた。
それでも、いつまでも黙って見過ごすわけにはいかない。
明智は意を決すると扉を押し開き、冷たい外気の中へ足を踏み出した。
「少しよろしいですかな」
穏やかな声だった。
しかし、その奥には抑えきれない苛立ちが滲んでいる。
法衣の男たちが一斉に振り返った。
「これはこれは店主殿。我々に何かご用かな」
「このような真似は明らかな営業妨害ではないですかな。こちらは薬学協会へ必要な書類を提出し、正式な認可を得て営業しております。にもかかわらず、毎日のように店先で根拠のない中傷を続けられては――」
「ほう」
男の一人が言葉を遮った。
その口元には薄い笑みが浮かんでいる。
見下すような笑みだった。
男はゆっくりと一歩前へ踏み出した。
法衣の裾が石畳を擦る。
周囲の通行人たちも、何事かと足を緩め始めていた。
まるで最初から明智が出てくるのを待っていたかのように、男の目が細くなる。
「営業妨害、ですか」
その声音には、わずかな嘲りが混じっていた。
「薬学協会などという、国にも認められぬ市井の集まりに申請を出し、それですべてが丸く収まると、本気でそのようにお思いか?」
男は嘲るように鼻を鳴らした。
「我々が問題にしているのは、そのような書類上の話ではない。貴様の店で売られているポーション、その不自然かつ異常な効能そのものが問題なのだ」
周囲の通行人たちも、足を緩めて様子を窺っている。
男はわざと聞かせるように声を張り上げた。
「人智を超えた不可解な力には、それ相応の厳格な調査が必要というもの。もし我々の正当な活動がお気に召さないというのであれば――」
男の口元がゆっくりと吊り上がる。
「これ以上の弁明は無用。貴様を異端審問にかけるという手もあるのだが?」
その言葉を聞いた瞬間、明智の手の中で扇子の竹骨がぎりりと軋んだ。
異端審問。
この世界へ来てまだ数か月とはいえ、その名が意味するところを理解できないほど無知ではない。
異端の疑いをかけられた者は拘束される。
財産は調査対象となり、営業は停止される。
無実を証明できたとしても、その頃には商売は壊滅していることが珍しくない。
まして教会が本気で敵意を向けてきた場合、果たして無事に解放される保証などあるのか。
考えるまでもなかった。
友人の影山とは違う。
明智にはエレノアのような大貴族の後ろ盾が存在しない。
ここで教会を正面から敵に回せば、失うのは店だけでは済まないだろう。
明智は数秒の沈黙の末、ゆっくりと扇子を畳んだ。
「……承知しました。ご苦労をかけますな」
表情には一切の怒りを浮かべない。
長年の商人として培った仮面を被り、穏やかな笑みを保ったまま頭を下げる。
そして、そのまま踵を返した。
「見たか、さっきの店主の顔」
背後から嘲笑が聞こえる。
「ああ。ようやく自分の立場を理解したんだろうさ」
男たちの忍び笑いが通りに広がった。
明智は振り返らなかった。
開き戸を閉める。
木戸が重い音を立てて閉まると同時に、外の喧騒が遠ざかった。
「……っ」
薄暗い帳場へ戻り、椅子へ腰を下ろす。
握り締めていた拳から力が抜けた。
閉じた扇子を膝の上へ置き、深く長い息を吐く。
視線の先には、何一つ変わらない天井の木目。
店内には客の気配もなければ、商品の売れる気配もない。
聞こえるのは魔導具の微かな駆動音だけだった。
――このままでは店が潰れる。
その事実は疑いようがない。
教会の組織力は強大だ。
武力で対抗することもできない。
権力で押し返すこともできない。
だが。
だからといって、明智光秀が黙って首を差し出す理由にはならなかった。
彼は武人ではない。
英雄でもない。
だが商人である。
そして商人とは、勝てない戦を正面から挑む者ではなく、勝てる盤面を作り出す者だ。
打てる手が残されている限り、勝負は終わらない。
明智はゆっくりと顔を上げた。
「このような幼稚な嫌がらせには、絶対に屈しませんぞ」
その瞬間だった。
静まり返った店内に、不意に激しい羽音が響いた。
バサバサッ――。
「!」
明智は弾かれたように立ち上がる。
音がしたのは裏口の方角だった。
足早に向かうと、小窓の桟に一羽の伝書鳥が止まっている。
以前にも見たことのある、小柄で利口そうな鳥だ。
警戒する様子もなく羽を整えているその姿を見た瞬間、明智の目が鋭く光った。
右脚には小さな紙片が括り付けられている。
「きましたか」
声がわずかに弾む。
鳥を刺激しないよう慎重に近づき、紙片を外して広げた。
そこに記されていたのは、見覚えのある几帳面な筆跡だった。
【商品、手配完了。国境沿いの例の場所で待つ。――A】
一行だけ。
だが、それで十分だった。
読み終えた瞬間、明智の口元がゆっくりと歪む。
先ほどまで押し殺していた感情が、一気に胸の内から湧き上がってきた。
「……クックックッ」
低い笑い声が漏れる。
ぱちり、と小気味よい音を立てて扇子が開いた。
先ほどまでの沈鬱な空気は跡形もない。
そこにいるのは追い詰められた商人ではなく、策が嵌まる瞬間を確信した策士だった。
明智は閉ざされた店の入口へ視線を向ける。
その向こうでは今も教会の人間たちが勝ち誇っていることだろう。
だからこそ愉快だった。
「さて――」
不敵な笑みが深まる。
「この明智光秀を敵に回したこと、存分に後悔させてやりますぞ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。