第15話 火花飛び散る店内
【万屋 明智商店】は静まり返っていた。
つい先日まで、開店から閉店まで絶えることのなかった喧騒が嘘のように、客足がめっきり遠ざかっている。
カウンターに深く頬杖をついた明智は、手持ち無沙汰に扇子を弄んでいた。乾いたパチンという開閉音だけが、閑散とした店内に寂しく響き渡る。
大きく開け放たれた間口の向こう、通りかかる人々は一様に店から目を背け、まるで恐ろしい伝染病の巣窟でも避けるかのように、足早に走り去っていく。
「見事なもんだな。たった一週間でここまで客が飛ぶなんて」
俺はカウンターにもたれながら、ガラガラの店内を眺めた。
「教会に目を付けられた店……ですからな」
扇子をパチリと閉じた明智は、忌々しげに唇を噛んだ。
「人間、わざわざ進んで火中の栗を拾おうとは思いますまい」
「にしても、ここまで露骨に客が減るもんなのか?」
「この世界において、教会の影響力は絶大ということです。彼らが黒と言えば、白であっても黒になる。それが、この世界の理なのでしょう」
「でも、それじゃああんた、食っていけないじゃない」
遠慮を知らない有栖川のド直球な言葉に、明智は困ったように眉を下げていた。
「悔しいですが、有栖川殿の言う通りですな」
「まあ、そんなに落ち込むことないわよ。ギルドに行けば仕事なんていくらでもあるんだし」
「拙者の
明智がこれからの身の振り方に思いを馳せていると、珍しく店の扉が開いた。
やって来たのは、この店にはおよそ似つかわしくない、漆黒のドレスを身に纏った女性だった。
見覚えのある深緑の髪。吸い込まれるような翠色の瞳。
――俺の思考が、一瞬で停止する。
久方ぶりの客は、まさかのエレノア・レンバース伯爵だった。 彼女は店内を見渡し、俺と目が合った瞬間、安堵したように表情を緩めた。
「よかった……。ようやくお会いできましたわ、影山様」
「伯爵!? どうしてレンバース伯爵がこんな店に?」
「レンバース伯爵などという他人行儀な呼び方はおやめください。どうか、エレノアとお呼びくださいまし」
「いや、それはちょっと――」
「エレノアです」
「……伯爵相手に呼び捨ては――」
「エレノアです! わたくしが良いと言っているのですから、良いではありませんか」
「いや、そういう問題では」
「では、どのような問題なのでしょう?」
「それは……」
「愛する人に名を呼ばれぬことほど、悲しいことはありませんわ」
まただ。
またしても伯爵は無防備に身を近づけてくる。俺は堪らず白旗を上げた。
「わ、わかったよ……エレノア」
「うふふ。わたくしとしたことが、影山様に名を呼ばれただけで、ショーツが少しばかり濡れてしまいましたわ」
なっ、なに言ってんだ……この人!?
というか、この状況はヤバい。
「ねえ、影山」
――ほら、きた!
すぐ隣から落ちてきた声に、喉がひゅっと縮こまる。思わず唾を飲み込んだ。
俺は今すぐこの場から逃げ出したい衝動をどうにか押し殺し、ちらりと有栖川へ視線を向けた。
「ひぃっ!?」
有栖川は世界の終わりを宣告する悪魔みたいな顔でこちらを見ていた。
「この女、レンバース家の――あの時の未亡人よね? ……聞いてるんだけど」
「……はぃ」
なんなんだよ、この修羅場みたいな空気は……!?
有栖川はエレノアを射貫くような目で見据えている。対するエレノアは、その視線を真正面から受け止めたまま、優雅に微笑んでいた。
控えめに言って、恐ろしすぎる。
「……で、あんた何?」
「あらあら、淑女がそのような言葉遣いは感心いたしませんわね」
「だ・か・ら・なんだって言ってんのよ!」
「これはこれは、わたくしとしたことが、相手の質問にお答えしないというのもまた、淑女としてあるまじき行いでしたわね。わたくしはエレノア=レンバース。この地の領主であり、影山様の未来の愛する妻ですわ」
「あぁ? ……誰の妻ですって?」
有栖川の眼球がギロリとこちらを見る。俺は全力で知りませんと首を横に振った。
「影山はあんたみたいなおばさん知らないって言ってるけど?」
「あらあら、随分と失礼な物言いですね。若さゆえの、嫉妬かしら?」
「あたしがババアに嫉妬なんかするわけないでしょ!」
「ばっ……」
優雅な笑みを浮かべていたエレノアの額に、青筋が浮かぶ。
「影山様、こちらのご友人はスラム出身者なのでしょうか? 差し出がましいようですが、今後の華々しい影山様の未来のために、お付き合いは控えた方がよろしいかと」
「え……あ、いや――」
「恋人よ!」
俺の言葉を遮るように、有栖川は勝ち誇るように言い放った。
「ちなみに、あたしと影山は婚約中。あんたみたいなおばさんが出る幕なんて、最初からないのよ! そもそも四十手前の年増が、高校生に言い寄るとか頭おかしいんじゃないの!」
「と、年増……ッ」
「そうやって無理して余裕ぶってるの、正直ダサすぎ。だいたい四十手前にもなって高校生に惚れるとか、普通に痛すぎでしょ!」
効いている。
たぶん、かなり効いている。
エレノアが先ほどから怒りでぷるぷると震えている。
「影山様、本日は影山様にせ・ん・じ・つ・の・婚姻のっ! 件を進めたく訪ねましたの」
む、無視した!?
有栖川の存在など最初からいなかったかのように、エレノアは話を続ける。
「こ、婚姻!?」
確かに、あの時そのような話になったことは記憶している。
「影山、この年増、いい加減斬ってもいい?」
「いや、それはダメだろ!?」
「じゃあ、殴る!」
「それもダメに決まってるだろ! 暴力はよせ!」
「なんでよ!」
「犯罪だからに決まってるだろ!」
「まあ! 影山様は気の狂った娘から、わたくしを守ってくれているのですわね。わたくし、感激ですわ」
頼むから、これ以上火に油を注がないでくれ……。
「もう我慢の限界よ! 今ここで叩き斬る!」
「あっ、ばかよせ!」
腰の刀に手をかける有栖川を、俺は必死に押さえ込んだ。
そんな騒ぎなど意にも介さず、エレノアは優雅に話を続ける。
「そういえば、聞きましたわよ。教会が影山様に異端の疑いをかけているとか」
「あ、あれはまだ俺だとバレてないから……暴れるなよ」
「離しなさいよ!」
俺は有栖川を羽交い締めにしたまま、ポーションを作っているのが自分だとは、まだ教会に知られていないことを説明する。
「しかし、教会に知られるのも時間の問題かと……。そうなれば、影山様の身に危険が及びます」
「影山はあたしが守る! だからあんたに心配される筋合いはない!」
「あなたのような平民が、教会からどのように影山様をお守りするというのです」
「彼女は剣聖ですぞ」
ずっと面白がって見ていた明智が、突如口を開いた。
「明智!」
俺は余計なことを言うなと明智を睨みつけた。
「玄兎殿、伯爵殿に有栖川殿の正体をお伝えすべきですぞ。でなければ、取り返しのつかないことになりますぞ」
俺は観念したように、小さく息を吐いた。
「明智の言う通り、有栖川は剣聖だ。ちなみに、こいつも俺と同じ別の世界からやって来た。エレノアからしたら、異世界人だ」
エレノアの表情が、一瞬固まった。
「剣聖……異世界人……ですか」
それから、彼女はすぐに状況を再計算し始めた。翠色の瞳に、伯爵家当主としての冷静な知性が戻る。
「そうでしたか。存じ上げなかったとはいえ、申し訳ありません。これまでの無礼、心より謝罪致します」
エレノアは恭しく頭を下げた。
有栖川の怒りはまだ収まっていなかったが、ひとまず刀を抜こうとすることはやめたようだ。
「――ですが、教会に影山様の正体が知られてしまえば、いずれ異端審問にかけられてしまいます。そうなれば、最悪死罪もありえます。ですから――」
「あたしが守るから問題ない!」
有栖川が即座に断言した。一点の曇りもない、鋼のような声だった。
「確かに、相手が剣を持った人間であるならば、有栖川様の力でねじ伏せられるでしょう」
エレノアが問い返す。
「ですが、教会は違います」
「どう違うっていうのよ」
「教会は永い年月をかけて築かれた組織です。その権力は一個人でどうにかできる相手ではございません。彼らは必ず、影山様を追い詰めます」
エレノアは一歩踏み出し、有栖川を真正面から見据えた。
「教会の力をもってすれば、令状一枚で、法的に影山様を拘束できます。裁判すら開かずに、牢に閉じ込めることも可能なのです。それは、剣で斬り伏せられる相手ではありません」
「だったら、令状なんて出させなければいい。邪魔な奴を叩き斬れば済む話よ」
「どうやってです? あなたは聖王国を滅ぼそうと仰るのですか? あるいは神官たちを皆殺しにしますか? そうなれば、あなたは神に仇なす大罪人として追われることになります。……あなたは、彼を一生憐れな逃亡者にするおつもりですか!」
「……っ」
有栖川が、はじめて言葉を詰まらせた。
「どれほど個人の武勇が優れていても、個では教会には勝てません。教会という組織が相手となれば、有栖川様――剣聖の力ですら、無力に過ぎないのです。教会との戦いにおいて、影山様をその身一つで守りきれる場面など、最初から存在しないのです」
有栖川の瞳が、わずかに揺れた。
グランタリアにいた頃から、貴族社会の理不尽さは嫌というほど見てきた。剣の届かない場所で、誰かが踏みにじられていく光景も、幾度となく目にしてきたはずだ。どれほど力を持っていても、決して剣の届かない場所があることを、有栖川は誰より知っている。
それでも、有栖川は簡単には引き下がらなかった。
「……婚姻は、絶対に認めない。影山と結婚するのはあたし! それだけは、絶対に譲らない!」
「……そうですか」
「影山はあたしのものなのよ!」
有栖川は睨みつけるように言い切った。
重苦しい沈黙が落ちる。
エレノアは少しの間、何かを考えるように視線を落とした。やがて、彼女は決然と顔を上げた。
「では、一つ提案がございます」
「……なに」
「お二人には、レンバース家に滞在していただきます」
有栖川の眉が、怪訝そうに動いた。
「客人……?」
「レンバース家に住んでいただくということです。客人という形であれば、教会も伯爵家の敷居を簡単に踏み越えることはできません。影山様への異端審問も、簡単には進められなくなります」
「そんな方法で上手くいくの」
「確実ではありません」
エレノアは正直に答えた。
「――ですが、剣聖様がルクセリア王国の伯爵家と密接な協力関係にあるという事実は、国を動かす大きな切り札になりましょう。国があなたの身柄を保護しようと動けば、教会の独断を牽制できる。貴女の存在は、それだけの重みを持ちます」
店内に、張り詰めた沈黙が落ちる。
有栖川は何も答えない。そっと目を閉じ、一度だけ深く息を吸い込む。
それから目を開け、俺をじっと見つめる。
「影山」
「……なんだ」
「この女の件については、後でたっぷり、納得いくまで話してもらうから」
「……ああ」
有栖川はエレノアに向き直り、毅然と言い放った。
「レンバース家に世話になるわ。影山の安全のために」
エレノアが安堵したように息を吐いた。
「……賢明なご判断、感謝いたします」
「勘違いしないで」
有栖川の目は、最後まで笑っていなかった。
「あんたを認めたわけじゃない。影山を守るための、一時的な手段として利用するだけ。それだけよ。もし影山に余計な真似をしたら……その時は、迷わずあんたを斬る」
エレノアは何も答えなかった。
ただ、その翠色の瞳には、冷徹な打算と、それだけでは説明のつかない複雑な色が混じり合っていた。
俺は窓の外、相変わらず人影のまばらな通りを見つめた。
事態は好転したはずなのに、どうしようもなく面倒なことになったという予感だけが、胸の中で黒く渦巻いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。