第10話 噂のポーション

 昼を過ぎた頃、俺はなんとか宿の扉を開けることに成功した。


 なんとか、という表現が大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは誇張でも何でもない。上着に腕を通すだけで三分かかった。靴紐を結ぶのに有栖川の手を借りた。階段を降りる際は、手すりにしがみつきながら一段一段を慎重に踏みしめた。


「……情けない」

「まあそうね」


 隣を歩く有栖川が頷いた。慰めの言葉すらない。


「せめて否定しろよ。そこは嘘でも『そんなことないよ』って言う場面だろ」

「光劫清森幸福論では、嘘は罪とされてるのよ。影山も入信したんだからそれくらい覚えておきなさい」

「は? ちょっと待て! いつそんなカルト宗教に入ったんだ!」

「何言ってんのよ。光劫清森幸福論は信者同士の婚姻しか認めてないの。影山はあたしと結婚するんだから、入信するのは当然。義務みたいなものよ」

「ふざけんなっ! 絶対嫌だ! 俺は断じてカルト宗教には入信しないからな!」

「何をそんなに怒ってるのよ。いい、あんたはあたしの旦那なんだから、即幹部就任。ちなみに初年収一千万よ」

「いっ、いい、一千万!?」

「うちは信者50万を抱えてるから、教祖になれば軽く年収は億。良かったわね、勝ち組じゃない」

「……っ」


 喜ぶべきなのだろうか。

 ……正直、複雑だ。


 宿の外へ出ると、昼の陽光が容赦なく目に刺さった。レジャスの街は今日も賑やかで、行き交う人々は一様に活気に満ちている。その中で、俺だけが全身に重石を括り付けたような足取りで歩いていた。


「ほら、つかまって」


 有栖川が当然のように腕を差し出した。


「いい」

「よくない。見ててハラハラする。生まれたての小鹿の方がまだシャンと歩いているわよ」

「例えが最悪だな」

「転んだら盛大に笑うわよ」

「……わかったよ」


 渋々、俺は彼女の腕に手を添えた。屈辱的ではあったが、支えがあるだけで歩行の安定感は劇的に改善された。彼女は俺の不自由な歩調を完璧に汲み取り、自然にペースを落として並走してくる。


 おかしな話だ。昨日まで、俺はこいつの保護者気取りでいたはずなのに。


「これじゃあ、カッコがつかんな」

「そう? あたしは別に……」

「別に、なんだよ」

「……なんでもない」


 有栖川は前を向いたまま、それ以上何も言わなかった。


「ふぅーん」

「……なによ?」

「別に」


 明智の店までの道は、いつもなら大した距離ではない。しかし今日に限っては、一歩ごとに筋肉が悲鳴を上げ、関節が軋むため、やけに遠く感じた。


 大通りに差し掛かったあたりで、前方から冒険者らしき男たちの一団が歩いてきた。返り血が染み付いた革鎧を纏い、腰には使い込まれた剣を佩いている。見るからに荒事慣れした連中だ。


「知ってるか、明智商会のポーション」

「ああ。中回復魔法以上の効果がある上に、傷跡が一切残らねえんだろ。古傷まで消えるって噂になってる」

「中毒症状もなし。何より驚いたのは”味“だ。泥水みたいな従来の代物とは訳が違う。ポーションが美味いなんて、初めて聞いたわ」

「しかもあの安さだ。ボッタクリの教会で小回復魔法を拝むより、よっぽどマシだぜ」


 男たちは興奮を隠せぬ様子で、俺たちの横を通り過ぎていった。


 続いて、背後から複数の慌ただしい足音が迫る。


「おい、明智商会はこっちで合ってるのか!」

「大通りを一本入った路地だろ! 急げ、売り切れたら明日の依頼は中止だからな!」


 数人の冒険者が、競い合うように俺たちを追い抜いていった。

 俺はその背中を無言で見送った。


 中回復以上の効果。中毒症状がない。そして、美味い。


 かなり薄めたはずだった。純度を落として、効果を抑えて、一般流通に乗せられる水準に調整したつもりだったのに。


 しばらく考えて、俺はひとつの結論に辿り着いた。

 この世界のポーションが、俺の想像をはるかに超えて粗悪なのだ。


 小回復魔法以下の回復効果。そのうえ傷跡が残り、中毒症状が出る。さらにまずい。それが当たり前の世界で、俺が「下限」と思って調合したものが、この世界の人たちにとっては「あり得ない上限」に映っている。そういうことだろう。


 それに加えて、教会か。


 この国では、教会の施す魔法が医療の根幹を成している。

 小回復で大銀貨一枚、日本円にして五万円。中回復で金貨一枚、十万円。大回復に至っては大金貨一枚、五十万円だ。対して明智商会のポーションは銀貨三枚、三万円。しかも効果は教会の中回復魔法以上。


 冒険者たちが飛びつくのは当然だ。


 だが、それは同時に――


「教会の稼ぎを食ってることになるな」


 思わず呟くと、有栖川が首を傾けた。


「何か言った?」

「いや。面倒なことにならなきゃいいと思っただけだ」


 有栖川は特に深く追及せず、前を向いた。


 まあ、今すぐどうこうなる話でもない。とりあえず、明智の顔を見てから考えよう。


 角を曲がり、見慣れた路地へと入る。


 ――そこで、俺は思わず足を止めた。


「さあさあ、お立ち会い!  寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」


 路地へ足を踏み入れた俺たちの耳に飛び込んできたのは、静寂とは無縁の、喉が裂けんばかりの野太いダミ声だった。


 店は昨日の襲撃で半壊。崩れた壁の一部はそのままに、木材と布で応急処置が施されている。窓枠は吹き飛び、扉は蝶番ごと外れて脇に立てかけられていた。どう見ても営業できる状態ではない。


 しかし。


「本日は特別に、グランタリア王国直輸入の逸品をご紹介いたしますぞ!」


 崩れた壁を背に、明智光秀は扇子を広げて立っていた。


 昨日、血まみれで床に倒れていた男と同一人物とは、到底思えない。顔色は健康そのもので、腹の底から響く声には一点の翳りなく、目は爛々と輝いている。その手には一振りの短剣が握られており、周囲には十数人の野次馬と冒険者が取り囲んでいた。


「さあ、こちらをご覧くだされ!」


 明智は短剣を高々と掲げた。


「一見、どこにでもある普通の短剣。しかし! この刃、実は職人が三日三晩かけて研ぎ上げた逸品でございます。おや、そこのお兄さん。そんなに切れるのか、なんて疑いの眼差しを向けていらっしゃいますな?」


 明智は巧みに声色を使い分け、ひとり芝居を始めた。


「『マーク、本当にそんなに切れるの? あなたが大袈裟に言ってるだけじゃない?』『何を言っているんだキャサリン!』」


 一転、彼は大仰に胸を張ってみせる。


「刃物の扱いに疎い商人のわたくしでも、ご覧の通り!」


 傍らに置いてあった野菜を手に取り、短剣で一閃。

 すぱん、と小気味よい音が鳴り、野菜が真っ二つに割れた。


 周囲から、おおっという歓声が上がる。


「スパスパと、まるでバターを裂くように切れちゃうんですぞキャサリン! これ一本あれば、魔獣の解体から夕飯の支度まで自由自在! 本日に限り、通常価格銀貨五枚のところを――」


「……」

「……」


 俺と有栖川は、崩れた壁の前で繰り広げられる胡散臭い実演販売を、無言で眺めていた。


「あれ、昨日死にかけてたよな」

「うん」

「フルポーション、調合した本人が言うのもなんだが……凄まじいな」

「……そうね」


 有栖川の声が、心なしか遠かった。


 しばらくして、明智の口上が一段落した。短剣は三本売れた。満足げに懐へ売上を収め、扇子をパチンと畳んだ明智が、ふと顔を上げてこちらを見た。


 一瞬の間。


「おや」


 明智はにっこりと笑い、悠然と歩み寄ってきた。昨日血まみれで倒れていた男の歩き方ではない。完全に、いつもの明智だ。


「これはこれは玄兎殿、それに有栖川殿も。ご足労いただき、恐悦至極に存じますぞ」

「……元気そうだな」

「おかげさまで。フルポーション、まこと素晴らしい一品でございますな。あれ一本で白金貨十枚、いや二十枚は固いと見ておりますぞ」

「売るつもりはないからな」

「冗談でございますよ」


 扇子がひらりと開く。その目は、これっぽっちも冗談を言っているようには見えなかった。


「それより」と俺は周囲を見回した。


「店、どうするんだ。壁が崩れてるぞ」

「存じておりますとも。修繕の職人は既に手配済み。三日後には元通りになる予定ですな」

「三日も?」

「その間も露店で営業いたしますぞ。むしろ」


 明智は扇子で口元を隠し、声を潜めた。


「昨日の一件、こちらにとっては好都合でございましたからな」

「……は?」

「考えてもみてくだされ。我が商会のポーションを狙い、正体不明の刺客が送り込まれた。それほどまでに価値ある商品を扱う【明智商会】の名は、今や恐怖と羨望を孕んで街中に響き渡っている。おかげで本日の客入りは過去最高。半壊した店構えも、むしろ箔がつくというものでございましょう」


 明智は満足そうに頷いた。


「ピンチはチャンス。これ、商売の鉄則にございますな」


 俺は有栖川を見た。有栖川は俺を見た。


「……ねえ影山」

「なんだ」

「あたしたち、昨日本気で命がけだったよね」

「そうだな」

「こいつ、それを宣伝に使ってるわよ」

「使ってるな」


 明智は涼しい顔で扇子を仰いでいた。


「打算丸出しだな」

「左様でございます。商人に情はあれど、損得を忘れては商いになりませぬゆえ」


 明智は、悪びれる様子もなく答えた。


 こいつはこういう男だ。日本にいた頃から、誰よりも打算的で強欲なのだ。



 ◆



 明智が次の客の対応に移ろうとした、その時だった。喧騒の波を割るようにして、一人の老人が姿を現した。


 年齢は六十を超えているだろうか。白髪を丁寧に撫でつけ、上質な黒の燕尾服は使い込まれながらも丹念に手入れされている。軍人さながらに真っ直ぐ伸びた背筋、そして周囲の冒険者たちに自然と道を開けさせるような、長年の奉公で培われた揺るぎない品格。その佇まいは、この薄暗い路地裏にはあまりに不釣り合いな、異質な重みを放っていた。


 老執事は明智の前まで歩み寄ると、深々と一礼した。


「失礼いたします。こちらが噂の明智商会と伺い、推参いたしました。わたくし、レンバース伯爵家にてご奉公しております、クロードと申す者にございます」

「これはこれは、ご丁寧に。万屋・明智商会の主、明智光秀と申します」


 明智も扇子を畳み、居住まいを正した。商売人としての勘が働いたのだろう。相手が只者ではないと、即座に察したらしい。


「折り入ってお願いがございまして。こちらで扱っておられるポーション、それを調合されている御仁に、ぜひともお目にかかりたいのです」

「はて、調合師、でございますか。左様なお尋ねをいただきましても、わたくしどもはあくまで商会。仕入れ元については、商い上の機密もございまして……」

「存じております」


 老執事はゆっくりと口にした。

 その瞳には焦燥も傲慢もなかった。ただ、深い底から滲み出るような疲労と、祈りにも似た切実さが宿っている。


「無理なお願いであることは重々承知しております。しかしながら、我が主は長年、不慮の事故による顔の火傷痕により、大変なご苦労をされておられます。これまで名だたる白魔導師様には、すべてお目にかかりました。……しかし、どなたも最後には匙を投げられたのです」


 明智は黙って聞いている。


「先日、隣国グランタリアに聖女様が降臨されたと聞き及び、我ら主従、藁にも縋る思いで国境を越えました。しかし……王城の門前にて、取り次ぎすら叶いませんでした」

「聖女様に、直接会うことはできなかったんですか」


 気づけば俺は口を開いていた。老執事がこちらを向く。


「左様でございます。お姿を拝見することはおろか、伝言を届けることすら。聖女様は現在、王家の重要公務に専念されており、私的な謁見はいかなる理由があろうとも一切受け付けぬ……との一点張りでございました」


 俺は黙って、その言葉を脳内で咀嚼した。


 楪の性格を、俺は誰よりも知っている。彼女はたとえ自分がどれほど困窮していても、助けを求める者の手を振り払うような人間ではない。誰に対しても平等に微笑み、その苦しみを分かち合おうとする、お人好しすぎるほどの善人だ。


 だとすれば、この老執事が訪ねてきたことも、そもそも楪の耳に届いていない可能性が高い。王城の厚い壁の中、誰かが意図的に情報を遮断し、彼女を【聖女】という名の飾り人形として幽閉しているのではないか。


 今、楪はどんな生活をしているのだろう。


 胸の奥で、粘りつくような嫌な予感が広がった。


 対する明智は、崩れぬ笑みの裏で冷徹な計算を走らせていた。


「左様な事情、心中お察しいたします。しかしながら……やはり、仕入れ元の詳細を明かすことは、商会の存亡と信義に関わる一大事。昨今の不穏な情勢も鑑みれば……」


 頑として教える気がない。昨日何者かに襲撃されたばかりだ。ポーションの出所をうかつに明かせるわけがない。明智の判断は正しい。


 俺は二人のやりとりを、有栖川の隣でじっと眺めていた。


 だが、この先この国で活動拠点を築くのであれば、伯爵家という確かな人脈を繋いでおくことは、決して無駄にはならない。それに何より、グランタリアの現状、それに楪についても、もう少し具体的な情報が欲しかった。


「……少し、よろしいでしょうか」


 俺は、一歩前に踏み出すようにして老執事へ声をかけた。


「私は他国で薬学を学んでいた者です。……もしよろしければ、一度、伯爵様を診させていただきたい。お力になれるかもしれませんよ」


 老執事が、値踏みするように俺を見た。俺の若すぎる年齢、そして酷い筋肉痛のためにわずかに腰が引けた、お世辞にも頼りがいがあるとは言えない情けない立ち姿。老執事の瞳に、一瞬だけ疑念の色がよぎった。無理もない。


「失礼ながら、お名前をお聞かせ願えますか」

「影山と申します」


 老執事の目が、わずかに動いた。


「影山……」


 老執事は小さく繰り返した。しばらく考え込むような間があって、彼はゆっくりと顔を上げた。


「もしや……グランタリア王国にて召喚された、聖女様のご知友、でいらっしゃいますか」

「……まあ、否定はしません」

「では、こちらの明智様も」


 老執事の視線が明智へと向いた。明智は扇子で口元を隠したまま、含みのある笑みを浮かべていた。


 老執事は、しばらく沈黙した。


 名のある白魔導師には匙を投げられ、頼みの綱の聖女には会えなかった。そしていま、目の前にいるのは、薬学を修めたと自称する、出所不明の若者だ。信じるに足る根拠など、どこにもない。


 それでも、絶望の淵にある者にとって、差し出された手は蜘蛛の糸ほどに細くとも、掴むしかない『光』だったのだろう。

 老執事は、先ほどよりもさらに深く、敬意を込めて一礼した。


「……背に腹は代えられません。影山様、もしよろしければ、一度屋敷へお越しいただけないでしょうか」

「わかりました」


 俺は隣の有栖川へと視線を向けた。


「有栖川」

「……なに」

「お前、楪のこと……何か知ってるか?」


 一瞬の沈黙。路地の喧騒が、遠ざかったように感じた。


 有栖川は視線を逸らさず、ただ正面を凝視したまま、仮面のような無表情を貫いた。

 

「知らない」

「知らないって……お前、楪と仲良かっただろ」

「だから、知らないって言ってるでしょ」


 声が、わずかに固かった。


 俺は有栖川の横顔をじっと見つめた。彼女は頑なに目を合わせようとせず、口元を一文字に結んでいる。外套の裾を握りしめるその指先が、白くなるほどに震えているのを、俺は見逃さなかった。


 あれほど仲が良かったはずの二人の間に、何かあったのか。


 追及の言葉が喉まで出かかったが、彼女の頑なな拒絶を見て、それを飲み込んだ。今は聞かない方がいいと思った。


「……そうか」


 それだけを短く答え、俺は再び老執事に向き直った。


 石畳の上に、長くて暗い影が伸びていた。


 レンバース伯爵邸への訪問を明後日に取り決めると、老執事は深々と一礼し、静かに路地を去っていった。

 その背中が人波に消えるのを見届けてから、俺はようやく大きく息を吐いた。



――――――――――――――――――――


いつもお読みいただき、誠にありがとうございます!


下記について、ご理解いただけますと幸いです!!


面白い!


続きが気になる!



と思っていただけましたら、☆で応援や作品フォローよろしくです!!


励みになります!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る