第7話 職業とポーションについて

 冒険者登録を済ませた翌日、俺たちは初仕事を探すべく、再びギルドへとやって来た。


「……」


 足を踏み入れた瞬間、昨日とは明らかに質の違う視線が向けられていた。


 彼らの視線の先は、言うまでもなく俺の隣を歩く有栖川へと向けられている。


 眩いばかりの金髪に、吸い込まれるような碧眼。しなやかな肢体を強調する旅装束に、腰に差した異国の得物。


 昨日、この街の頂点に君臨するギルドマスターを吹き飛ばし、特例でAランク判定を受けたという衝撃的な噂は、一夜にして冒険者たちの間を駆け巡った。


「おい、あれが噂の……」

「嘘だろ、あんな細い娘っ子が、あのゼノンさんを?」

「……化け物か、さもなきゃ相当な魔道具使いだぞ」


 ひそひそと交わされる囁きの中には、純粋な驚嘆だけでなく、隠しようのない欲の色が混じっていた。荒くれ者たちの視線は、有栖川の体のラインを品定めするように、執拗に上から下へと這い回る。


 有栖川はそれらを不浄な塵でも払うかのように無視し、俺の腕にぎゅっとしがみついたまま、無関心に依頼掲示板の前へと立った。


 二人で掲示板に貼られた羊皮紙を眺めていた、その時だった。


「よお、ねえちゃん」


 背後から、不躾な声が放たれた。


 振り返ると、胸元にBランクのプレートをこれ見よがしに光らせた三人組が立っていた。先頭の男は岩のような体格に自信過剰な笑みを張り付かせ、有栖川の胸元を卑猥なほど執拗に眺め回している。


「お前、昨日登録したてのAランク様だろ? 噂は聞いてるぜ。どうだ、俺たちのパーティに入らないか。悪いようにはしない。そのランクに相応しい『極上の夜』もセットで保証してやるぜ」


 有栖川は掲示板から視線を逸らさず、氷のように冷たい声で切り捨てた。


「消えろ」


 男の表情から笑みが消え、不快げに歪んだ。今度はその矛先が隣に立つ俺へと向けられる。


「……そっちのとっぽい兄ちゃんはFランクか。職業は何だ」

「ポーション生成士だ」

「あ?」


 一瞬の静寂。


 直後、ギルド内を震わせるほどの爆笑が沸き起こった。


「ポーション生成士だと!? こいつは傑作だ!」

「薬草を煮詰めるだけの単純作業に、職業クラスとかあんのかよ!」

「冗談だろ、そんなハズレ職業初めて聞いたぞ!」


 あちこちから下品な嘲笑と野次が飛んでくる。まあ、想定内の反応だ。俺は冷めた目で掲示板に目を戻した。


 その時、俺の腕に絡みついている有栖川の指に、じわりと力が込められた。


 彼女の表情はぴくりとも動かず、ただ掲示板の一点を見つめている。だが、俺の腕に食い込む指の圧力だけが、静かに、確実に、岩を砕くほどの力へと増していく。


 先頭の男が、調子に乗ってさらに畳み掛けてきた。


「おいねえちゃん。なんでAランクのあんたが、そんな足手まといを連れてるんだ。非戦闘職が前線に出てくること自体、命知らずの迷惑行為なんだぜ。なあ、そんな役立たずと組むより、俺たちと――」


 有栖川が、ゆっくりと男たちへ振り返った。


「―――― ――」


 その瞬間、ギルドの空気が凍りついた。


 絶え間なく響いていた笑い声が、刃で断ち切られたように止まる。野次を飛ばしていた男が、持っていた杯を床に取り落とし、甲高い音が響いた。


 有栖川の顔に怒りはない。そもそも「感情」自体が存在していなかった。


 瞳の奥から溢れ出したのは、底なしの深淵と、剥き出しの殺意。人という枠組みを遥かに超えた、圧倒的な死の気配が、一瞬にしてギルド全体を支配した。


 その場に居合わせた全員が、一瞬、自分の首がはね飛ばされたのではないかと錯覚するほど。


 ……後になって「死神の鎌が喉元に触れるのを感じた」と語る者が続出したほどだ。


「……ひ、ひっ……!


 先頭の男の顔から、あっという間に血の気が引いていく。後退りしようとして椅子に足を引っかけ、情けなく尻餅をついた。仲間の二人は既に戦意を喪失したようで、壁際に張り付いてガタガタと震えている。


 有栖川の右手が、吸い込まれるように朧月へと伸びていく。


「――ちょっと待て、有栖川」


 俺は有栖川の手首を掴んだ。


 有栖川がゆっくりと、機械的な動作で俺へと振り返る。その空虚な瞳に、じわりと温かな人の色が戻ってきた。


「……影山」

「落ち着け。さっさと仕事を済ませて飯にしよう」


 一拍の沈黙。

 やがて、有栖川の指が刀からゆっくりと離れた。


「……うん」


 彼女は再び俺の腕に深く絡み直すと、何事もなかったように掲示板に向き直った。


 ギルド内の静寂が、澱んでいた水を流すように、ゆっくりと緩和されていく。だが、もう誰も笑う者はいなかった。さっきまで下品な言葉を吐いていた連中が一様に口を噤み、視線を逸らして気配を消している。


 腰を抜かした男が、ガタガタと震える唇でなにかを言っていた。


「……おい」

「ああ、わかってる」

「あれは……Aランクなんて生易しいもんじゃない。ありゃあ……ドラゴンだ。人の皮を被った、狂乱のドラゴンだ」


 俺は掲示板に目を戻しながら、静かに溜息をついた。



 ◆



 その日の午後、俺たちは街の東側に広がるベルク森林へ向かった。


 ギルドで受注したのは、繁殖期に入り村の家畜を襲い始めたというゴブリンの討伐依頼。報酬は銀貨1枚。討伐の証拠として五体分の右耳を持ち帰ることが条件だった。


 俺にとっては、底をつきかけていた薬草の補充を兼ねた、丁度いい散歩でもあった。


 森に入ると、有栖川の雰囲気がわずかに変わった。街中で俺の腕に絡みついていたギャルとは別人のような静けさ。足音が消え、視線が自然と周囲を流れる。身体に染み付いた剣士の本能だろうか。


 ゴブリンの群れは、獣道を少し外れた窪地ですぐに見つかった。

 計五体。血の匂いを漂わせ、何かの死骸を囲んで貪り食っている。


 有栖川の指が『朧月』の柄を握りしめる。その動きを横目に、俺は少し離れた場所で膝を折り、湿った地面に生い茂る下草を眺めていた。


「……今からゴブリンと戦闘なんだけど、影山準備は?」

「俺はいい。お前一人で十分だろう。それより俺は薬草を採取する」


 有栖川は一瞬、心底呆れたように肩をすくめたが、すぐにゴブリンへと向き直った。


 空気を切り裂く鋭い音が、立て続けに五回。断末魔の悲鳴を上げる暇さえ、醜悪な魔物たちには与えられなかった。返り血の一滴さえ浴びることなく、有栖川は無造作に刀身を払い、流麗な動作で納刀する。


 俺が【薬草鑑定】を発動させ、生い茂る緑の中から目当ての薬草を見つけ出した頃には、五つの耳が足元に転がっていた。


「終わったわよ。拍子抜けね」

「……早いな」


 この世界に放り出されてから100日以上経つ。今を生きるだけで精いっぱいだった俺にとって、魔物との実戦経験など無きに等しい。それゆえ、目の前で行われた「圧倒的な殺戮」は、いまいち現実味に乏しかった。


「お前、いつからそんなに戦えるんだ?」

「グランタリアにいた頃からよ」


 有栖川は俺の隣に屈み込み、俺が摘み取っている薬草を覗き込みながら、特に感慨もなさそうな口調で続けた。


「召喚されてすぐ、地獄みたいな討伐訓練が始まったじゃない? あたしは『Aグループ』に入れられたから、毎日吐くまで魔物を狩らされてたのよ。ゴブリンなんて、最初の一週間で何十体斬ったかわからないわよ」

「そうだったのか」

「慣れるものよ、意外と。感覚が麻痺していくっていうか……。ただ――」


 有栖川は言葉を切り、木々の隙間から漏れる陽光を見上げた。


「中には、どうしても慣れなかった子もいたけどね」

「心を病んだか」

「うん、何人か。そのまま姿を見なくなった子もいる」


 それきり、有栖川は口を閉ざした。俺も、あえて追及はしなかった。


 俺を見捨てた連中だ。今更その安否を案じるほど、俺の心は広くもなければ、慈悲深くもない。


 有栖川はしばらく無言で俺の手元を眺めていたが、やがて不思議そうに首を傾げた。


「ねえ。さっきから摘んでるそれ、ただの雑草じゃないの?」

「これはアルテア草だ。煮出してポーションに混ぜれば、劇的な解毒効果を発揮する」

「……あたしには、そこら辺の雑草との区別がつかないわ」


 彼女はしばらく黙って俺の作業を見ていたが、ふと思い出したように、ずっと抱いていた疑問を口にした。


「ねえ、一つ聞いていい」

「なんだ」

「明智の店で、影山のポーションが高値で置いてるじゃない。でもグランタリアにいた頃、ポーションなんて気休めだって教えられたのよ。効果は低いし、飲みすぎれば副作用で中毒になるって。だから怪我を治すのは、教会の回復魔法が常識だって。……なのに、どうして影山のポーションはあんなに高いのに売れるのよ」


 俺はアルテア草の根元を慎重に切り離しながら答えた。


「この世界のポーションが『気休め』だというのは、ある意味で正しい。傷は塞げても醜い傷跡が残るし、粗悪な成分が体内に蓄積して中毒を引き起こす。だから安値で買い叩かれる」

「でも、影山の作るものは違うんでしょう?」

「……そもそも、ポーションを作れるのは【ポーション生成士】だけじゃない。レシピと材料さえ揃えば、ガキだろうが素人だろうが、形にすることは可能だ。けど、専門外のやつが作ったそれは、言ってしまえば『まがい物』に過ぎないんだよ」

「まがい物?」

「呼び名こそポーションだが、中身はまるで別物だ」

「どういうことよ。材料が同じなら、同じものができるんじゃないの?」

「槍士が剣を振るう姿を想像してみろ。戦えないわけじゃないだろ? でも、本来の技のキレも、威力も、決して発揮されることはない。それと同じだ」


 有栖川が眉根を寄せ、真剣な眼差しで俺の言葉を待つ。


「有栖川、お前も戦う時に感覚の補正がかかるだろう? 例えば、得物を持っていない時と、その刀を握っている時とでは、身体の動きも、空間の把握力も変わるはずだ」

「ええ、それはもちろん。馴染んだ武器を持てば、自分の腕が伸びたような感覚になるわね」

「俺も同じだ。この手で薬草に触れると、その素材が持つ『潜在能力の最大値』が分かる。そして、引き出すことができる。そこにポーション生成士専用の調合スキルが加わることで、俺のポーションは完成する」


 有栖川が、驚きを隠せないように目を見開いた。


「じゃあ、この世界のポーションが微妙な理由って――」

「本物の【ポーション生成士】が作っていないからだ。誰でも作れる炒飯も、プロの料理人が振るう中華鍋と、素人の手料理では、味も食感も雲泥の差が生まれる。一部の賢い連中はその事実に気づいている。だから、小銀貨一枚の粗悪品から、白金貨数枚に及ぶ国宝級のポーションまで存在するんだ」


 有栖川はしばらくの間、俺の手元にある薬草を見つめて沈黙した。


「……それって、すごいことじゃないの」

「凄いかどうかは知らん。ただ、グランタリアの宰相も、今朝ギルドで俺を笑っていた連中も、その本質に気づく知能が欠けていただけの話だ」


 ――そして、あのスラムのマフィア、アルマン・デュシャンだけは、その価値を正しく理解していた。


 俺は立ち上がり、摘み取った薬草を詰めた袋の口を硬く縛った。


「ポーション生成士を無能だと軽視するのは勝手だ。だが、その代償は、いずれ戦場で、死という形で支払うことになるだろうな」


 有栖川はしばらくの間、俺の横顔を無言で見つめていた。やがて、憑き物が落ちたようにゆっくりと立ち上がると、いつものように俺の腕に深く絡みついてきた。


「……みんな馬鹿ね」

「否定はしない」


 有栖川は満足げに小さく微笑み、それきり何も言わなかった。

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