第6話 剣聖vsギルマス

 街の東にそびえる石造りの頑丈な建物。それが、この街の冒険者ギルドだ。


 重い扉を開けた瞬間、安酒と汗の混じった独特の臭いが鼻を突いた。中は独特の熱気に包まれている。昼間から大声を上げて酒を煽る者、掲示板の依頼を血眼で品定めする者、カウンターで受付嬢と交渉を続ける者。荒くれ者たちのエネルギーが、広いホールに満ち満ちていた。


「思ったより賑やかね」


 有栖川が物珍しそうに周囲を見渡す。明智は扇子を広げ、値踏みするような目で室内を観察していた。


 俺たちはカウンターへと向かった。

 受付に立っていたのは、栗色の髪を綺麗にまとめた若い女性だった。糊のきいた制服に身を包み、喧騒の中でも背筋を一本の針のように伸ばしている。


「いらっしゃいませ。ギルドへようこそ。ご用件を承ります」

「冒険者登録を二人分お願いしたいんですけど」

「承りました。では、現在の職業クラスをお教えください」

「俺はポーション生成士です」


 受付嬢が淀みのない動作でペンを走らせる。


「ポーション生成士……初めて聞く職業クラスですね。後衛、支援がメインという認識でよろしいですか?」

「その認識であってる」

「では、適正試験は免除となります。ランクはEからのスタートとなります」

「わかった」


 有栖川が不思議そうに俺の袖を引いた。


「え、影山は試験受けないの?」

「ポーション生成士は戦闘職じゃないからな」

「……そっか」


 有栖川は少し複雑そうな顔をした後、受付嬢に向き直った。


「あたしは剣――」

「こいつは剣士だ」

「剣士ですね。では適正試験の日程を――」


 有栖川がムッと頬をふくらませる。


「あたし、剣聖なんだけど」

「今は目立たない方がいい」

「……はーい」


 不満そうな返事だったが、一応納得はしたらしい。


「見ない顔だな。新入りか」


 その時だった。


 受付の奥から、どしりどしりと重い足音とともに一人の男が姿を現した。長い赤みがかった髪を無造作に束ね、顔の左側には目元から顎まで走る古い傷跡。年齢は四十代前半といったところか。古びた上着を無造作に羽織った姿は、どこか場末の飲み屋の常連のようにも見えるが、その双眸から放たれる眼光だけは、獲物を屠る瞬間の猛禽そのものだった。


 受付嬢が目を見開き、反射的に椅子から立ち上がった。


「ギルドマスター、どうしてこちらに……」


 ギルドマスター。その名が受付嬢の口から漏れた瞬間、喧騒に包まれていたギルド内が一気に静まり返った。


「おい、ありゃゼノンじゃないか」

「なんでギルマスが受付に……?」


 周囲の冒険者たちが息を飲み、遠巻きにこちらを注視する。

 ゼノンと呼ばれた男は、受付嬢の困惑を歯牙にもかけず、ゆっくりと有栖川の腰元へ視線を落とした。


「刀か……この国で珍しいな」


 明智が素早く前に出た。


「おお、お目が高い! さすがはギルドマスター殿。実はその業物、拙者の商会が特別に融通した逸品でございましてな。もしご興味がおありでしたら、後ほどカタログを――」

「ほぉー、例のポーションを売ってる店か」


 ゼノンは明智を軽く流し、再び有栖川へと視線を戻した。


 じっと、深淵を覗き込むような威圧感。


 有栖川はその重圧を、逸らすことなく正面から受け止めた。一歩も引かない。瞬き一つせず、ゼノンの鋭い眼光を真っ向から見返している。彼女の周囲の空気が、まるで真剣を抜いた直後のように鋭く研ぎ澄まされていく。


 数秒の沈黙の後、ゼノンの口の端がわずかに上がった。


「その面構え、気に入った! 特別に試験は俺がしてやるよ」


 受付嬢が、文字通り石像のように硬直した。


「ギルドマスター、正気ですか!? ギルドマスターが新人登録の適正試験を行うなんて、一度も聞いたことが――」

「なら、今日が記念すべき一日目だ。問題ないだろ」


 ゼノンはそれだけ言って、奥へと歩き出した。


 受付嬢は俺と有栖川を交互に見て、困惑した表情のまま小声で囁いた。


「……ギルドマスターが直接試験を申し出るなんて、本当にありえないことなんです。あなた方、一体何者なんですか……?」

「ただの剣士よ。それ以上でも以下でもないわ」


 有栖川は事もなげに言い放つと、迷いのない足取りでその後を追った。


「玄兎殿」


 明智が俺の耳元に顔を寄せ、扇子で隠しながら声を低める。


「これはとんでもないことになってきましたぞ」

「あんまり目立ちたくないんだけどな」


 案内されたのはギルドの地下だった。石造りの階段を降りた先に広がるのは、がらんとした広い空間だった。壁や床には無数の傷跡と焦げ跡が残っており、ここで幾度となく激しい戦いが繰り広げられてきたことを物語っていた。


「ギルド地下闘技場だ。試験はここで行う」


 ゼノンが広間の中央に歩み出て、有栖川と向かい合った。二人の間合いは約十メートル。俺と明智と受付嬢は端に退いた。


 ゼノンは腰の革袋から、鈍い銀光を放つ一対の籠手ガントレットを取り出した。鉄製で無骨な造りとは裏腹に、その表面には目眩を覚えるほど緻密な幾何学模様――魔法陣が刻まれている。それを両腕に滑り込ませ、硬質な金属音とともにロックした瞬間。ゼノンの肉体から放たれるプレッシャーが跳ね上がり、周囲の空気が物理的な質量を持ったかのように重く沈み込んだ。


「ルールは簡単だ。降参するか、動けなくなるまで続ける。得物は好きなものを使え。制限時間は設けない」

「……分かった」


 有栖川が腰の【朧月】に手をかけた。


「俺に一撃でも入れてみろ」


 明智が俺の袖を引いた。


「……玄兎殿、ギルドマスターは籠手ガントレットのみですぞ。武器の格差がありすぎるのでは……」

「見ればわかる。だが、あの男に隙はない」


 受付嬢が固唾を飲んでいる。


 有栖川が朧月をすらりと抜き放った。


 地下の微かな光を吸い込み、刀身が冷たく輝く。その瞬間、彼女の纏う空気が劇的に変質した。先ほどまで俺の隣で「あーん」を強要していたギャルの面影は霧散し、そこには凛烈たる殺気を放つ一振りの剣――【剣聖】が立っていた。


 無駄のない足の運び、寸分の狂いもない重心移動。その構えには、熟練の冒険者さえも沈黙させる圧倒的な説得力が宿っている。


 ゼノンの鋭い眼光が細められた。


「来い」


 有栖川が踏み込んだ。


 爆発的な一歩が石畳を叩き、瞬時に間合いを詰めると、袈裟懸けに鋭い斬撃を振り下ろす。

 ゼノンはそれを、左の籠手ガントレットだけで受け止めた。


 硬質な金属同士が激突する、鼓膜を突くような甲高い音が地下に反響する。しかしゼノンの巨体は微塵も揺るがない。ただじっと、その刀に込められた質量を測るように籠手ガントレットに力を込めていた。


「……なるほど、筋はいい。重みもある」


 独り言のように呟くと、間髪入れずに右の籠手を有栖川の顔面へと突き出した。


 ――速い。


 巨体に似合わぬ、目にも留まらぬ連打。


 有栖川は咄嗟に「朧月」を盾とし、受け流そうと試みた。だが、その一撃に秘められた剛力は常軌を逸していた。衝撃は彼女の細い肉体を突き抜け、足裏が床を激しく削りながらも、その身体を後方へと吹き飛ばす。


 ──ドンッ! 重い衝撃音とともに、有栖川は背中から石壁に激突した。蜘蛛の巣状のひびが壁を走り、砕け散ると同時に激しい粉塵が舞い上がった。


「有栖川殿……っ!」


 明智が堪らず一歩踏み出そうとしたが、俺はそれを腕で制した。


「待て。まだ終わってない」


 粉塵の渦を切り裂き、一条の青白い閃光が走った。


 次の瞬間、煙の中から有栖川が弾丸のような速度で飛び出してきた。着地した足が床の石畳を粉砕し、そのまま朧月を正眼に構えて間合いを再構築する。


「反応速度も悪くない」


 ゼノンが楽しげに言い放つ。


「次はこっちから行くわよ!」


 有栖川が再び踏み込んだ。上段、下段、そして変幻自在の横薙ぎ。嵐のような連撃がゼノンを襲う。


 しかし、ゼノンはそのすべてを籠手ガントレットの一角で受け流し、最小限の動きで回避し、時には無造作に弾き飛ばした。

 有栖川が死力を尽くした攻撃は、そのどれもが決定打には至らない。


「くっ……!」


 有栖川の端正な貌に、明らかな焦燥の影が差す。


「これはどうだ」


 ゼノンが低く囁いた瞬間、両腕の籠手ガントレットに刻まれた魔法陣が、網膜を焼くほどの青白い光を放った。


 ──ッ!?


 闘技場の空間に、次々と幾何学的な光の紋様が展開されていく。一つ、二つ、そして瞬く間に十を超える魔法陣が、退路を断つように有栖川を包囲した。


「――風拳」


 ゼノンが拳を虚空に振るった瞬間、展開されたすべての魔法陣から、指向性を持った凄まじい突風が同時に解き放たれた。


 有栖川は、迷わず走った。


 円を描くように、猛烈な速度でゼノンの周囲を駆ける。風の射線を予測し、魔法陣の死角を縫うように、ひたすら加速し続ける。


 突風が床を抉り、壁を削り取り、地下空間全体を激震させる。だが、有栖川の歩みは止まらない。


「速い……!?」


 受付嬢が息を呑み、絶句する。


 明智が俺の袖を掴んでいる力が、じわじわと強くなっていく。


「玄兎殿……これは本当に、適正試験なんですか?」

「……さあな」


 円軌道を描きながら、必殺の一撃を狙い続ける有栖川。ゼノンは魔法陣を再配置しながら、その超速の動きを瞳の奥に捉え続けていた。


 数分の呼吸さえ許されない攻防。


 そして──有栖川が、動いた。


 円軌道から突如、直線的な踏み込みへと転じ、懐深くへ潜り込む。全身のバネを爆発させ、全力で「朧月」を真横に薙ぎ払った。


 ゼノンはそれを迎え撃つべく、両の籠手ガントレットを交差させて正面から受け止める。


 防いだ。確かに、完璧なタイミングで防いだはずだった。


 しかし。


 ──ガァァァンッ!!


 地下空間全体を激震させる、凄まじい金属衝突音が響き渡った。

 朧月に乗せられた【剣聖】全霊の膂力は、ゼノンの想定を、そして物理的な限界を遥かに超越していた。


 防いだはずのゼノンの巨体が、床との摩擦すら無視して、そのまま後方へと弾き飛ばされる。


 ──ドゴォォンッ!


 壁に激突する轟音。石壁に巨大な人型のくぼみが刻まれ、天井から大量の土埃が舞い落ちた。


「——っ!? ギルドマスター!」


 受付嬢の悲鳴が地下に響いた。


 静寂。


 やがて、瓦礫が崩れる音と共に、粉塵の中から低い笑い声が響いてきた。

 それは次第に大きくなり、最後には腹の底から響くような豪快な大笑いへと変わった。


「はっはっはっはっ!  力負けして吹き飛ばされるなんて、一体何年ぶりだ! くははははっ!!」


 ゼノンが粉塵を払い、笑いながら立ち上がった。背後の壁は跡形もなく砕け散っている。


 しかし本人は、痛みなど微塵も感じていないかのように、心底楽しげに乱れた髪を掻き上げた。


 有栖川は呆気に取られた様子で、朧月を構えたまま固まっていた。


「な、なんで笑ってんのよ……」

「楽しいからに決まっているだろう!」


 ゼノンは愉快そうに目を細め、一歩前に出た。


「攻撃はすべて防いだ。防いだ上で、技術もへったくれもなく、力でねじ伏せられた。こんな痛快なことがあるか!」


 明智が俺の耳元で呟いた。


「……玄兎殿。有栖川殿のあの細腕のどこに、ギルドマスターを壁まで吹き飛ばす力が……」

「……わからん」


 ゼノンは笑いを収めると、有栖川をまっすぐに見据えた。


「才能は本物だな。だが、経験が足りない。強いが、まだ荒削りな成長段階にある。お前はもっと高みへ行ける」

「……防がれたのに、なんでそんなに嬉しそうなのよ」

「防いだのに吹き飛ばされたのは初めてだからだ」


 ゼノンは立ち尽くす受付嬢へ向き直った。


「Aランクで処理しろ」


 受付嬢が目を丸くした。


「ギ、ギルドマスター、新規登録者にAランクはなりません! 組合の規則に反します! 認められません!」

「規定など俺が書き換える。俺が実力を見て判断した。文句を言う奴は、俺と同じように吹き飛ばされてからにしろと言っておけ。以上だ」


 受付嬢は半泣きになりながら、震える手で羊皮紙に『A』の文字を書き込み始めた。


 明智が扇子をゆっくりと閉じながら、感嘆の息を吐き出した。


「……Aランク。いきなり最上位の仲間入りですか」


 有栖川は刀を鞘に収め、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。その頬には興奮の赤みが差し、目が爛々と輝いている。


「……どうだった?」


 俺は少しの間を置いてから、短く答えた。


「俺には何がなんだか分からなかったよ」


 有栖川は一瞬だけ呆けたような顔をしてから、「そっか」と子供のように笑った。


「玄兎殿。剣聖とは……これほどまでに凄まじいのですな」


 俺は何も答えなかった。


 ただ、さすがにこのスペックは盛りすぎだろうと、改めて溜息をついた。


 ギルドを出ると、有栖川は暮れ始めた空を見上げ、独り言のように呟いた。


「ねえ、影山」

「なんだ」

「あたし、もっと強くなれるかな」

「……現状でも十分すぎるくらいだが、お前なら、なれるんだろうな」


 有栖川は少し間を置いてから、恥ずかしさを隠すように、ぎゅっと俺の腕に絡みついてきた。


「……ありがとう」


 後ろで明智が「羨ましすぎて、拙者の心も吹き飛びそうでございますな」とボヤいていたが、それは夕闇の喧騒の中に捨て置くことにした。

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