二日目(三)

 午後の昼下がり。


 静寂を裂くように――ゆっくりとドアが開いた。


 きい、と乾いた音。


「……帰った」


 現れたのは、モルテリア・オクルス。


 白髪が揺れ、黒の魔術師服が光を拒むように陰を落とす。


 整いすぎた顔立ちと、感情を削ぎ落としたような声音。


 だが、その奥にほんの僅かな棘が混じる。


 不機嫌だった。



 そして、その隣。


 青い法衣を纏った女が、一歩前に出る。


 長い青髪が流れ、知的な美貌。


 だがその瞳には、隠しきれない好奇と愉悦が宿っている。


「おかえり」


 ノリヒトが穏やかに手を挙げる。



 その一言を待っていたかのように――


「おおっーー!! 本当だったのね!!」


 青髪の女が身を乗り出した。


「信じられない……話は聞いていたけど、まさか実在するなんて!」


 距離が近い。


 覗き込むように、値踏みするように、観察する。


 まるで“資料”を見る目だ。


「……こちらは?」


 ノリヒトがわずかに眉を動かす。


 モルテリアが、短く言った。


「教会の司祭だ。書記官も兼ねている」



 一拍。


「……クラウディア・ノタリア」


「よろしくね」


 にこり、と微笑むクラウディア。


 柔らかい笑み。


 だがその奥に、微かに冷たい光が宿る。


「ノリヒトを保護している手続きは済ませたわ」


 紙を取り出す。


 ぱさり、と音を立てて広げる。



「これで街にも出られる。――もちろん」


 少しだけ、声の温度が下がる。


「虚偽があれば、すぐに分かるけど」


 にこり。


 笑っている。


 だが、その一瞬だけ空気が張り詰めた。


「……そうか」


 ノリヒトは紙を受け取る。


 一瞬だけ、指先に違和感。


(……ただの紙じゃないな)


 だが、それ以上は追わない。


「すまないな」


 名前を書く。


 ――ノリヒト・シラト。


 その瞬間。


 クラウディアとモルテリアの視線が、わずかに交差した。


 ほんの一瞬。


 何かを“確認した”ように。


 そして。


 ふ、と口元が緩む。



 ――にやり。


(……今のは)


 ノリヒトの手が、ほんのわずかに止まる。


 だが、何も言わずに書き終えた。



「食事を用意してあるが……食べていくか?」


 紙を返しながら言う。


「勝手に拝借した材料だがな」


 軽く肩をすくめる。


「あら、あらあら」


 クラウディアが口元を押さえる。


 くすくす、と笑いながら。


「もう、ごちそうさまね。ほんと」


 その笑みは、どこまでも俗っぽい。


 神に仕える者とは思えないほどに。


「ぐふふ……」


 思わず漏れた笑いに――


「んっ……!」


 モルテリアの頬が、かっと赤く染まる。


「や、やめろ……!」


 低く、押し殺すような声。


「ふーん?」


 クラウディアが目を細める。


 明らかに面白がっている。


「まあいいわ」


 紙をまとめる。


「手続きは進めておく。――近いうちに、また来るわ」


 意味ありげに言い残し、踵を返す。


 そのまま外へ。


 バタン、とドアが閉まった。


 

 静寂。

 


「……なんなんだ、あれは」


 ノリヒトが呟く。


「……さあな」


 モルテリアが短く返す。


 だが、その視線はまだ扉の向こうを追っている。

 



 ――そして。

 


 ふと、室内へと目を向けた。


「……ん?」


 違和感。


 空気が違う。


 整いすぎている。


「もしかして……」


 ゆっくりと視線を巡らせる。


 埃のない床。


 整った家具。


「掃除……したのか?」


 わずかに目を見開くように。


「リビングだけだがな」


 ノリヒトはあっさり答える。


「……そうか」



 一瞬、安堵。



 だがすぐに。


「捨ててないだろうな」


 鋭くなる声。


「捨ててはない。そこにまとめてある」


 指差す先。


 積み上げられた本。


「……読めるのか?」


 モルテリアが近づく。


「ああ……多少はな」


 ノリヒトが静かに言う。


 一瞬、空気が冷える。


「……そうか」


 モルテリアの返答は短い。



 だがその内側で、何かを測る気配。

 

 視線が落ちる。

 


 そこにあるのは――

 

 「真ネクロノミコン」


 「蠢くものたち」


 「深淵の書」



 そして。

 

 「騎士と姫の6日間」


 「愛の逃避行」


 「孤独の私が、愛を見つけるまで」


 「乙女の純情」

 


 沈黙。

 


 空気が、止まる。

 

 ノリヒトの視線。


 モルテリアの視線。


 交差しない。


 ただ、同じ“場所”を見ている。

 


 数秒。


 いや、もっと長く感じる沈黙。

 

「……魔女といえど」


 ノリヒトが、ぽつりと言う。


「教養としては必要だな」


「……ああ」


 モルテリアが、視線を逸らしたまま答える。


「人間の……感情を知る必要がある」


 言い訳のようでいて。


 どこか本音に近い響き。

 


 また、沈黙。

 


「……食事にしないか」


 ノリヒトが言う。


「……だな」

 

 向かい合う。

 

 無言の食事。

 

 だが、空気はどこか重い。


 そして――わずかに、柔らかい。


 

 しばらくして。

 


「……今度から」


 モルテリアが口を開いた。


「掃除をする時は、事前に言え」


「ああ」


 ノリヒトが頷く。

 


 それ以上、言葉は続かない。

 

 だが――

 

 沈黙は、もう不自然ではなかった。

 

 こうして。

 

 二日目が、終わる。

 



 ――その外。

 

 城壁へと続く道を歩きながら。

 

 クラウディア・ノタリアは、くすりと笑った。


「……面白いものを拾ったわね、モルテリア」


 手にした書類を、軽く叩く。


 そこに記された名。

 

 ノリヒト・シラト。

 

「さて……どこまで本当かしら」


 目を細める。


 その瞳は、先ほどまでの軽さとは別物だった。

 

 ――記録する者は。


 同時に、“裁く者”でもある。

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