二日目(二)
「では、出かける」
モルテリア・オクルスは、すっと立ち上がった。
白髪がさらりと揺れ、黒の魔術師服が静かに流れる。その一挙手一投足には、無駄がない――はずなのに。
今日はどこか、落ち着かない。
わずかに動きが速い。わずかに呼吸が浅い。
そのまま踵を返し、扉へ向かう。
逃げるように。
「ああ……」
背中に、声。
「待ってる。いってらっしゃい」
軽く手を挙げるノリヒト。
あまりにも自然なその仕草に――
モルテリアの足が止まる。
「…………」
何か言い返そうとして、結局言葉が出ない。
そのまま扉へ――
「あ、あとさ」
追撃。
「ヒモみたいになってるのも申し訳ないから……夕食くらいは用意するが」
ぴたり。
空気が固まる。
「ひ、ヒモだと……!?」
声が裏返った。
振り返る。
頬が一気に熱を帯びる。
「そんなところだろ。この生活……」
ノリヒトは肩をすくめる。
あくまで自然体。
悪気も打算もない。
「……っ」
モルテリアの口が、わずかに開く。
閉じる。
また開く。
「あ、あの……その……」
言葉が、組み立てられない。
頭の中で何かが空回りしている。
「……んっ」
限界だった。
顔を赤くしたまま、扉を開ける。
バタンッ!!
勢いよく閉まる音。
その直後――
ドタッ。
「……っ」
小さく、鈍い音。
外で何かに躓いたらしい。
だが、今度は声は出さない。
数秒後。
バタン。
扉が、静かに開いた。
「……」
無言で、モルテリアが戻ってくる。
先ほどよりも動きはゆっくりだが、明らかに機嫌が悪い。
頬は赤いまま。
肩には、うっすらと土埃。
何事もなかったかのように、部屋の奥へ進む。
少しして、杖を手に戻ってくる。
「……ちょっと待て」
ノリヒトが声をかけた。
「なんだ」
短く、鋭い返答。
だが、どこか余裕がない。
ノリヒトは一歩近づく。
手を、わずかに伸ばしかけて――
一瞬だけ、止まる。
(……触れていいものか)
逡巡。
だが、すぐに決める。
軽く、肩に触れる。
ぱん、と埃を払う。
「土埃がついてた」
その一言。
それだけだった。
だが――
「――――っ」
モルテリアの思考が、完全に止まる。
呼吸も。
時間も。
数秒の静止。
「あ、あの……」
声が出ない。
言葉が続かない。
顔が一気に熱くなる。
視界の奥で、何かが弾ける。
「……すまん」
ノリヒトはすぐに手を引いた。
「軽率だったな。女性に触れるべきじゃなかった」
頭を掻く。
ほんの少しだけ、ばつが悪そうに。
(……やりすぎたか)
内心で、わずかに反省する。
その様子を見て――
「っ……な、なめるなと言っている……!」
モルテリアが、どうにか声を絞り出した。
だが威圧にはなりきらない。
わずかに震えている。
「私は……その……」
言葉が続かない。
誤魔化すように杖を握り直す。
「……とにかく、だ」
強引に整える。
「私は出かける。邪魔をするな」
一歩下がる。
距離を取る。
「……ああ、気をつけてな」
ノリヒトは穏やかに答える。
それがまた、調子を狂わせる。
「……」
モルテリアは何も言わず――
今度こそ、扉の外へ出た。
静寂。
「……やれやれ」
ノリヒトは小さく息を吐く。
「難しいな……」
頭を掻く。
魔女。
危険な存在。
そのはずなのに。
どうにも扱いがわからない。
(……いや)
一瞬だけ、思い出す。
あの魔力。
あの“視線”。
(油断はできない、か)
そう結論づける。
だが――
どこか緊張感が続かない。
「……まあいい」
肩を回す。
部屋を見渡す。
(世話になりっぱなし、というのもな……)
小さく呟いた。
一方、外。
モルテリアは、家の壁に手をついていた。
「……っ」
呼吸が、少しだけ乱れている。
触れられた肩。
そこに意識が残る。
「……妙だ」
小さく呟く。
視線を落とす。
自分の指先が、わずかに震えていることに気づく。
理由は――考えない。
ただ。
ひとつだけ。
「……」
ほんのわずかに、唇が動く。
だが、言葉にはならない。
そのまま顔を上げる。
いつもの無表情に戻り――
静かに歩き出した。
黒の魔術師服が、風に溶けるように揺れる。
その背は、美しく。
そしてどこか――
わずかにだけ、ぎこちなかった。
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