第3話 ゼータの鼓動
ゼータガンダムの物語を、もっとインパクトのあるカタチにしたい。
それはおせっかいかもしいれない。演出論だ。
わたし自身、ストーリーをよくおぼえていないが、
最終的に、シロッコがやられる。そこがクライマックスなはずだが、
いまいち人間関係がわからないところもある。
たとえば、シロッコを、女王プロメテウスにおきかえてみよう。
女王プロメテウスは、メーテルの母であり、鉄郎は、
永遠の命、ニルバーナのようなものを手にできるという長い旅の最終に、
反対に社会のネジにされる危機に直面する。
「だましたな!メーテル!」
少年のように純粋な鉄郎は、メーテルをうらむが、
メーテルが母・子(娘)といったラインを逆転させる。
つまり、メーテルが母を殺すのである。(母殺し)
このシーンは、実は見たことがあり、金髪の男が
ザビという自分の母体(ジオン)を破壊するといった
つまりファーストガンダムの世界線である。これによって
いわゆる松本アニメブームは、非常に短いカタチで終焉し、
新世紀宣言がなされてしまう。その中心にいたのが、まぎれなく
われらが富野御大だ。
そう考えると、ゼータでやらねばならなかったのは、
兄殺しのようなものであり、シロッコをカミユの兄にすべきだったのだろう。
映画というのは、意外とみじかなものであり、この場合、
兄弟を題材にすればさえよかったのである。
だから、カミユの両親は、冒頭で破廉恥に殺されてしまうのだが、
たとえば、浮気的な父だったわけだから、実はカミユに兄貴がいて、
兄といった目の上のタンコブを処理するといった、むしろ見るものが
トラウマから救われるアニメ映画にすべきだったのである。しかし、
反対にトラウマを与えてしまった。少々おおげさな話しだが、
失われた30年や氷河期をつくってしまったのである。さらには、
映画化でさらに失敗してしまっただろう。(模型だけは売れたかもしれないが、
モデラーたちの延命力がそれを手伝ったのである。)
シロッコは、原作では、ティターンズに忠誠をつくす。
たしか、親指を切り、血で忠誠を見せる。彼は天才的で、
モビルスーツを自分でつくってしまうような天才なのだが、
(天才という設定だ)それを、女の子のようなカミユが
殺してしまうという物語にすれば、すっきりしたカタチになっただろう。
松本ブームの延長線上にある作品になったはずである。
そして、ほんとうの姉妹(ファ)と結ばれるといった
ハッピ―エンドにすれば、視聴者の人生が完結したはずである。
完結しないものだから、この世代は、新しい世代までまきこんで
(模型女子)模型をつくりつづけねばならなくなった。
カミユをおさえつけていたのは、シロッコという兄的存在であり、
富野氏は、ファーストにおいて、アムロの父を酸素欠乏症にすることで
自己実現・成功(知名度を得る)を得たが、次にやらねばならなかったのは、
兄殺しだったのである。今後おそらく、ネット上では、シロッコイコール、カミユの兄説?が台頭するだろう。そして、銀河鉄道世代が、自由を得るのである。
つまり、人間は一本のネジでかまわないのだ、というところに思想がおちつくのである。
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