後編
「もうひとり、身動きが取れないって人はどこに?」
誰にともなく尋ねると、
「この先の、公園のところで見た」
淡々と少女が答えてくれる。
そこが目的地だ。黙って歩き出すと皆もついてくる。檀さんがマリーに手を差し出し、不思議そうに見上げるばかりの少女の手をつかんで引き始めた。
実際のこのワールドのモデルになった街並みでも、〈カフェ・ド・アモール〉の近くに小さな公園がある。それほど遠くはない。
少し歩くと、白い石畳と噴水のある公園が見えてきた。水は噴出していないし、ベンチで囲まれたその向こうには現実世界では見たことのない姿――いや、ある意味ではとても見慣れているが、そこにそういう体勢では見たことのない姿に違いない。
噴水の向こうに少女がたたずんでいた。〈アモールの巫女〉が。白いワンピースをまとい、薄っすらほほ笑んで、瞬きもしないまま。まるで凍りついたように微動だにしない。
「生きてはいるのよね?」
『ああ、安全上の理由で一時的に凍結されているだけ』
会話を聞きながら、僕は相島ひなみに近づいた。
巻き込まれたエキストラの皆と会って間もなくから、僕の予感は確信へと変わっていった。だって他の皆とは状態が違い過ぎるじゃないか。僕は自分のことすらもすべて曖昧で、少し前のこともはっきりとは思い出せない。直前のことだけでなく。
そして、実験の対象は一組だけとなれば、残る組み合わせは〈羽賀椚〉と〈相島ひなみ〉のみ。ひなみが凍結されているということは、その意識は普通の状態にはないということ。
つまり、僕――いや。
わたしはひなみ。羽賀椚の意識を体験しているこのわたしの意識こそが相島ひなみだ。
それを自覚すると、過去もはっきり思い出せるようになる。それもそうか、今までは羽賀椚としての過去を思い出そうとしていたのだから。
「安全上の理由。それはひなみが意識を体験する側だから、ということだね?」
『そう。本来、体験する側はVR上にアバターを置く必要はない。実験後に用事があるなど、アバターを使う場合も隔離しておく。他人の意識を体験しながら自分のアバターを動かすのは人間には難しい』
VRなので大したことはできないが、一応、意識が通っていないアバターがぼーっとしていたら悪戯される可能性はある。できるのは、友人同士なら許されるような些細なことだろうけれど。
「確か……モニターの申込書によると、この女の子の方がきみの意識を体験する、ことになっていたはずだが……」
湯川さんは最初から知っていたらしい。たとえ直前の記憶が失われていても、実験に参加するモニターの選考にも関わっていそうだし。
「そう、そういうことらしい」
わたし、いや椚さんが答える。
今まではわたしと身体の持ち主である羽賀椚の意識が混ざり合ったような感覚だったけれど、自意識を自覚したからか、はっきり分離したような気がした。わたしはあくまで、椚さんの思考を見学しているようなものだ。
その前までは自分がこのアバターを動かしているつもりになっていたけれども。それとも、事故の影響で自意識が薄れていたゆえにそう感じられたのかもしれない。
「だから、ひなみの意識をアバターに戻せば実験終了となって状況は解決するんじゃないか……と、僕らは思っている」
椚さんもわたしの思考を認識しているようなことを言う。
「可能か、コビー?」
AIに問いかける湯川さん。
『ああ、座標の記憶は失われているけれど簡単に割り出せるよ』
「じゃあほら、早く戻しましょ」
檀さんが促す。
彼女、やけに焦っているような、落ち着かない様子に見える。まるで悪戯を咎められそうな子ども――あるいは、警察の影に怯える犯罪者。
今だけではない。これまでも、彼女の言動や態度、仕草などに気になる点がある。
「戻る前に、一旦それぞれ離れて立った方がいいでしょう。何があるかわからないから」
檀さんは今もマリーの手をつかんだまま。少女の方は相変わらず無表情で凍結されているわたしのアバターを見ているのみ。
「そうかな……仕方ない」
椚さんの指摘で手を放すものの、目はマリー・アンノウンに向けたまま。
この執着はおかしい。現在の状況なら普通、マリーのようにわたしのアバターに注目するものだ。でも彼女はずっとマリーにしか注目していない。
今までの発言から早くこの閉鎖空間から脱出したそうな人物像だったけれど、今はまるで、その先の特定の目的を見据えているように思える。
「コビー、この状況が元に戻ったらその直後、僕たちはどうなる?」
慎重派の椚さんらしい質問。
『問題があれば強制的にVRへのアクセスが切れてそれぞれの身体へ戻るだろうけれど、そうでなければ相島ひなみのアバターが加わるだけで大した変わりないんじゃないかな。それからすぐに帰宅とはいかないけれどね。検査や聞き取りがあるから』
AIの説明を聞くと、あからさまに檀さんが焦りだす。
「え、そういうの後にしてくれない? あたし急いでるのよ。終わったらすぐに会う予定だった友人と約束もあるし。住所もコビーが知ってるんだから別にいいでしょ」
「追跡できるならかまわないが……記憶が薄れないうちに今日のことを聞いておきたいんだが」
湯川さんのことばで、女性の顔に浮かぶ表情は複雑に変化したように見える。アバターの表情は、特殊な設定をしなければ実体の表情筋の動きをそのままなぞる。
「こんな珍しいこと、すぐには忘れないわ。明日にしてちょうだい」
すでに、実験の本来の終了時間はとうに過ぎているだろうな。湯川さんは個別通話でコビーと何度か対話した後、その申し出を許可した。
『皆、精神的に疲れているかもしれないからね。では、さっさと終わらせよう。準備はいいね?』
「ああ」
作業を行うのはAIであってこちらは特にすることもないけど、心の準備は必要かもしれない。
実際は心の準備をするにも短い時間の後、辺りが白い光に包まれた。不思議と眩しくはない、覚えのある光。
それは一瞬で、だから景色が一変したことに少し混乱した。それもまた、一瞬だけだ。ただ視点が変わっただけで、この仮想世界のワールドの在りようは変わっていない。むしろ、わたしにとっては一番しっくりくる視点。〈自分〉に戻ったのだから当然だけれど。
そして、失われていた実験直前の記憶も戻る。椚さんと一緒に、研究員に案内され情報センターへ向かったことも。
「なかなか貴重な体験だったね」
指先、身体全体も自在に動かせるし、声も問題なく出る。
視界の中に椚さんが入るのも久々に感じる。彼は安堵したような顔でこちらを見ていた。
思えば意識を体験するというのは、確かに思考や感情は終えるけれど顔は見ることができないし表情もわからない。そこは第三者視点の記録しかないかな。
『わたしも同じ感想だ。感情を体験できるとはね。意図的にそれだけを発生させることもできるように、早々に改修しよう。わたしの機能向上のためでもあるが、マリーのような子にも感情を取り戻すことができるかもしれないね』
名を呼ばれると、今まで我関せずの様子から一変し、少女はやや目を開いて見上げる。
「感情を、取り戻せるの……?」
原因があって感情を失っている訳で、彼女が感情を取り戻したいと思っているとは限らない――という可能性は消えた。
生まれながらに感情がなかった訳ではないし、あるのが自然には違いない。
『そう、わたしが感情を失っても覚えているのと同様に、体験すれば覚えていたのを思い出せるかもしれない』
「ということは、もう機能は戻ってるんだな」
『ああ。他のエキストラたちは我々が隔離されている間に研究チームの判断でお帰りいただいたよ』
だから、辺りは静かなままなのか。わたしがアバターに戻ったことを除き、VRワールドは特に変化していないように見えていた。
「一度に色々あって、こんな小さい子なんだし疲れちゃったでしょ?」
檀さんがマリーと目を合わせる。
「ひとりでここに、っていうことは家族は一緒ではないのね。あたしが家まで送っていくよ」
『それは……』
彼女の勢いに少女はやや押された様子で、コビーが割って入るように声をかけようとする。
わたしは彼女の態度や言動から、ひとつの結論に達していた。
「檀涼子さん。あなた、マリーちゃんの家族……いや、その関係者ですね」
反応は強烈だった。指摘すると、彼女はギョッと目をむく。
名前を変える、おそらくそのときの事件が切っ掛けで感情を失った、家族は同行していないという状況。マリーは家族から存在を隠されている。
それなのにこの実験のエキストラに採用されているとなると、檀さんはマリーの家族ではなく家族から頼まれた第三者の可能性が高い。家族が名前や顔を変えて、というのも確率ゼロではないものの非常に難しい。多分、コビーなら正体を追跡できてしまう。
「あなたがただの他人なら、マリーの年齢を知っているのは不自然だし」
そう、彼女は誰にも教えられないのに少女の年齢を知っていた。
「な、何を言っているの」
檀さんは反論しようとするものの、上手くことばが出ないようだ。
『マリーには保護プログラムが適用されている。檀涼子には事情聴取に応じてもらうよ』
「わかった、応じればいいんでしょ応じれば」
VRの中では逃げられない。素直に観念してマリーから手を放す。
少女の方は相変わらず無表情ながら、一歩、相手と距離を取った。まあ、後はコビーと保護プログラムの人たちが上手くやるだろう。
『では、現実世界へお帰りだよ』
「どうだった、僕の思考体験は?」
辺りの景色が薄れつつある。そんな中で、椚さんが感想を尋ねてきた。
「最初は思考が混ざり合ったようでよくわからなかったけど、途中からは違和感なく……そうだね。ということは、わたしとあなたは価値観や判断基準が似ているのかもね」
「なるほど。こっちは何も感じなかったな」
コビーらのことは信用しているけれど、どうやらこちらの思考が伝わるような恥ずかしいことにはなっていないと知り、心のどこかで少しほっとする。
「価値観が似ているのは、僕がきみに影響を受けているからかもね」
「そんなに影響を与えていたなんて、知らなかったね」
「いや当然だよ。〈アモールの巫女〉のおことばだから」
世界は白一色に埋もれつつある。それでも声ははっきり届いた。
「それは、仕事で有利になるから?」
彼はよく、仕事で遭遇した謎について相談に来ているし。
「それもあるけど……きみのことをもっと知りたくてさ」
声が遠くなる。でもしっかり聞き取れていた。
今回、この実験にモニターとして参加しようと誘ったのはわたしだった。他人の思考を体験すれば、推理や考察にも活かせそうだという名目で。
でも本当の一番の理由は、椚さんのことをさらに知りたかったから。
お互い同じ思いを抱いているなら、きっとわたしたちの目ざすところはそう違わないはず。
でも、彼が世界の秘密を暴くのはまだまだ先かな。
〈了〉
アモールの巫女 宇多川 流 @Lui_Utakawa
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