第17話 丙辰丸の会盟

 この年の三月十八日、安政七年は万延元年に改元された。

 同じ日に、志道さんは殿の御手廻組小姓役を拝命された。

「僕には当然の出世の階段だよ」

 志道さんはいつもの調子でそういうと、しばらく後に国元に戻っていった。

 四月三日には、桂さんが有備館舎長に命じられた。

「他藩との折衝役を押し付けられたよ」

 桂さんは面倒そうに苦笑いしていた。

 四月二十日には、村田先生が正式に長州藩に迎えられた。宇和島藩では百石取りと厚遇され、加えて講武所からも扶持を支給されていた方が、長州では一代雇でたったの年米二十五俵だという。ところが当の先生は気にするどころか、長州藩士になれて心底嬉しそうにしていた。もっとも、いつもの仏頂面は変わらずで、先生の嬉しい気持ちがわかるのはおれだけだっただろうが。

 六月四日には、高杉さんが江戸に戻って来た。藩建造の丙辰丸の実験航海に同乗して、二月ふたつきも海の上で揺られた高杉さんは、げっそりとした顔をしていた。

 それから、江戸に戻って来た高杉さんには何度も飲みに連れていってもらった。

「僕に海は似合わない、剣で生きる」

 酔っ払ってはいつも同じことをいっていた。よほど船に懲りたようだ。八月の終わりには、「剣術修行で国中を回る」といって、さっさと旅立ってしまった。


 この頃の桂さんは、役職が上がり、時勢の変化もあって、今まで以上に他藩の藩士から饗応を受けていた。そのうちの一人の、水戸の西丸帯刀様という方とは、江戸に来た丙辰丸船長の松島剛造様と連れ立って頻繁に会食していた。


 七月八日の接待は奇妙だった。料亭ではなく丙辰丸で行うというのだ。丙辰丸ということで、場は長州持ち。おれは酒やらお重の調達に、品川あたりを駆け回った。芸者を連れてこいといわれなかった分は楽だったが。

 宵の口、船内での会食が始まった。おれはお重を支度し、酒をついで回る。こういうところに芸者がいないと実に面倒くさい。


 この会は場所柄なのか皆口数少なく、妙に大人しく飲んでいた。

 盛り上がりに欠けたまま、会は半ばとなった。

「双方異存なし、ということでよろしいですな」

 唐突に、佐賀藩の草場様が甲高い声を上げて皆を見回した。

 草場様は桂さんの前に書状を三枚広げた。桂さんは書状を取り上げて一読すると、無言でそれに署名した。続いて松島様も署名。西丸様以下、水戸の岩間様、園部様、越様と署名して、越様が草場様に書状を戻した。草場様は書状を改めると、桂さんに一部、西丸様に一部手渡し、一部を自らの懐におさめた。

「これにて水長の盟が成りました」

 草場様はそういうと、盃を目前に差し出した。七人は無言で盃を掲げ、飲み干した。おれには何のことやらわからなかったが、何やら大ごとであるのは察せられた。


 会はそれでお開きとなった。西丸様、岩間様が船を出て、間を置いて園部様、越様が出ていった。また時を置いて草場様が一人で出ていった。おれはひとりで後片付けを済ませ、荷物を大風呂敷に背負って、桂さんとともに船を出た。松島様は船で寝泊まりするそうだ。

 そのまま藩邸に戻った。

「酒はだいぶ余っているだろう。伊藤君、飲み直そう。一本つけてくれないか」

 桂さんは心底疲れた様子で言葉少なに飲んでいた。やがて、桂さんは盃を置くと、懐の書状をおれの前に放り投げた。

「僕が持っていると面倒だ。君に預ける」

「いいんですか。僕、中を見ますよ」

 おれは投げ出された書状を手に取った。

「好きにすればいい」

 桂さんは寝っ転がり、じっと天井を見つめていた。

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