第3話 相州宮田
相州宮田警備とは、本営を上宮田の陣屋におき、三浦半島一帯、東は浦賀から三浦、城ヶ島、荒崎と回って鎌倉腰越村に至るまで、異国船の見張り、異人上陸への備えと、一帯の民政を代行するお役目だ。おれ達同輩も、番方はそれぞれの担当の陣地や砲台警備に、おれのような役方は陣地の兵糧・物資の兵站や村々の管理、年貢の取り立てといった役目に散っていった。
警備とはいいながら、黒船を見かけるのは月に一度あれば多い方で、取り立てて緊迫感があるわけでもない。たまの非番には、鎌倉や江の島へ物見遊山に出かけたもんだ。
宮田に来てから半年弱、梅の花は咲き誇りようやく寒さも一段落してきた二月の朔日。おれが陣屋で昼餉をとっていたときだった。
「伊藤君、伊藤利助君はどこにおるか」
ひと際大きな声が響いた。誰かがおれを探しているようだ。
「はい。伊藤利助はわたしであります」
「おお。君が伊藤君か。おれは来原だ。お国の久保先生から君の面倒みてくれといわれてな。おれは宮田の作事吟味役として働くことになったから、今日からおれの手子についてくれ」
何だいきなり?
「総代、利助をおれの手子として借り受けたいが、いいですかな」
「来原さんのお願いに否っていえるわけがないでしょう」
おれの上役は二つ返事だ。
「よおし、利助。いまから君はおれの手子だ。ここにいる間、世話になるな」
来原さんは豪快な笑顔でおれの肩をバンバンと叩きつつ抱き寄せ、そのままおれを掻っ攫って行った。
来原さん、名は良蔵、年はおれの一回り上。歴とした藩の上士。出会ったときから豪快で熱い男。それでいて笑顔の爽やかな二枚目。久保先生とは昔から知り合いのようで、おれのことを頼まれたらしい。頼まれたからといって、自分の手子にしてしまうというのが、直線的で来原さんらしい。
ちなみに手子というのは、要は付き人だ。身の回りの世話からお遣い、荷物持ちなど、上士のお手伝いをする役目。我が藩では若手将来有望な上士に、若輩の足軽中間を手子につける、というのは割とよくある話だ。おれみたいな足軽の若手にとっても、数少ない出世の糸口ではある。おれにも少しは運が向いてきたのか?
来原さんのお役目、作事吟味役とは、宮田警備支配下の陣地整備の責任者、番方の元締めにあたる。主には異国船を打ち払う砲台の警備を任されていた。ただ、来原さんがいうには、うちの砲台の玉は異国船にまったく届かないようで「見せかけとハッタリの砲台」らしい。
とはいえ、見せ掛けだからこそ立派に作れと、今日は三浦で普請を、明日は城ヶ島で調練を、とあっちこっちを飛び回っていた。来原さんは馬での移動だからいいけれど、こっちは手子ですよ。馬に乗るなぞあるわけもなく、来原さんの後ろを駆け足で、ふらふらになりながら付いて行く毎日だった。
さらに来原さんは、とても世話焼きというか部下思いの熱い男だった。
「利助、起きろ。朝稽古だ」
毎朝夜明け前にわざわざおれの寝床にやってきた。寝起きに叩き起こされるや、三浦の海岸まで朝駆け、体操。あるとき、自分の草履の見分けがつかずまごまごしていると、
「敵が夜討ちをかけてきたら、草履も何もないだろ」
裸足で駆けさせられる始末だ……。
そこから戻ると、次は論語の講義。来原さんの講義は、町の寺子屋のように読めればいいでは済まされない。常に意味を問われ、解釈を求められた。
おれは、来原さんから長州武士の心意気を仕込まれる、そんな日々を続けていた。
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