第2話 先輩!?何ですか!?結婚って!?


 家賃6万、最寄りの駅から徒歩10分、スーパーが近い僕のアパート。その玄関では、現在三人の女体と、僕が一人、ひしめき合っていた。


 ギルマスなんてとっくに消えている。彼は冷や汗を流しながら

『後日、書類等を郵送する。子守を頼んだ。』

と逃げるように帰っていった。ドアの閉まる刹那に、住民票の移動だの、極力外に出さないようにだの、そんな現実的な文言を付け加えて。


 あの野郎、面倒事押し付けやがって。布団の中に、馬の頭でも入れてやろうか。


「……アーちゃんおなかすいた……。………なんかたべる……。」

食べ『』、ではなく、食べ『』と来たか、今の先輩の中では、自分が施しを受けることができるのは前提なのか。

 

 いや、少し難しく考えすぎたか。たかが言い方ひとつで…。


「はぁ…。メシは出しますけど、その一人称何とかなりません?先輩…。」

ため息交じりの僕の指摘に、先輩はまた地団駄を踏む。


「…違う!アーちゃんなのッ!!アーちゃん!!!ねぇぇ!!」

上気した顔、涙が混じる先輩の声色。あのババアがもっとめんどくさくなってる。無理に主張を押し通そうとすると、もっとめんどくさくなりそうだ。


 事なかれ主義だよな。波風立てずに、やり過ごそう。そしてこんな馬鹿げたことを終わらせよう。


「………分かりましたよ…。あ、アーちゃん…さ、靴脱いで…。」


「ひぐっ…!やらッ…やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」

諦めた僕の言葉に、嗚咽と怒号が返ってくる。


「…な…何が嫌なんですかぁ?」


「ていねいしゃべりヤダ!こわいの!!ねぇ!!やめて!あと、くつぬがせて!」

て、丁寧喋り?け、敬語の事か?…でも、これは先輩が先輩であるための線引きみたいなもんだし…。僕らの関係を、先輩後輩たらしめるためのツールみたいな…。


「やぁぁぁぁ!!!!!なぉじでぇぇぇぇ!!!!!!」


「わかり…。わかったよ…。あ、アーちゃん…。」

考える暇もねぇ…。


 それに…。

「なァんでお前らは遠巻きから僕の事眺めてんのさッ!ちょっと、手伝うとか…さぁ!!てか、助けてくれよッ!!」

リビングに続く扉から顔を出して一部始終を見ていた舌子と鼻子が、僕の言葉に口を開く。


「だっておもれェモン…。ベヘヘ…。さ、もっと見せて!リーちゃん!!」

舌子したこは、舌で自身の顎を撫でながら悪戯っぽく嗤っている。


「にっくき年増女の痴態と、リチャード様の狼狽えを愉しんでおりますゆえ…。」

鼻子はなこに至っては、嫉妬に瞳を黒く濁らせて、僕の苦悩に口角を上げている。


 んのヤロォ…。


 僕らの問答を横目に、先輩はフローリングに腰掛け、玄関土間の上で足をブラブラとさせていた。興味の移ろいが早すぎる。流石…子供相当というかなんというか…。でも、早く二体に手伝ってもらわないと、こっちがパンクしそうだ。


「ボケどもがよぉ~。手伝わないとコレだぞ!」

目の端に移る先輩をよそに、僕はを口に咥えるジェスチャーを二体に見せた。


 二体は僕のジェスチャーにため息をつくと、足を動かす。

「わァってるってェ~。さ、アマロロちゃん?お姉ちゃんたちとご飯食べりゅよ~ん?おいでぇ~。」


「貴方という人は、脅し方が羅生門のソレですね。ですが、仕方がありませんか。…ほら、抱っこでちゅよ。」

近づく二体を先輩が睨みつける。


「さっき言ったでしょ!女の人やぁなの!どっか行って!やだぁ!!パパじゃなきゃヤダ!!」

協力的になった二人を、先輩が拒絶した。あ…そっか、僕じゃなきゃダメなんだっけ。


 先輩の言葉に反応するように、空気に不快感と苛立ちが混じった。

「あ゛?舐めんなよ、クソババア…。下手に出てりゃあいい気になりやがって…。」


「旦那様、やっぱこいつ殺して良いっスカ?…失礼…殺して良いですか?」

凪いだ魔力が刺すように、木曜の朝を凌辱する。二体の目に黒い光が灯る。


 舌子が鋭く舌を成形して、宙に浮いた初期状態の魔弾に鼻子が魔力を流し込む。


「…ホント気性が荒すぎるよ!お前ら…!」

左手の指に歯を立てようとした時だった。


「ああああああ゛ッ!やだッ!やぁだぁぁぁ!!!!」

先輩が、フローリングの上に腹ばいになって倒れると、スノーエンジェルを作る要領で足と手を動かし始めた。まぁ、これはうつ伏せだから逆スノーエンジェルとでも言うのかな。


「逆スノーエンジェルゥ…。」


「逆スノーエンジェルですわね…。」

僕の使い魔共も魔力を引っ込めて、同じような事を呟いてる。


「アーちゃんのなのぉ!!パパはアーちゃんのものなのぉぉ!!けっこんしゅりのぉぉぉ!!!ごはんたべりゅのぉぉぉぉぉおおお!!!!」

くぐもった叫びが反響する。最悪だ。キツすぎる。いくら容姿が整ってて、若く見えるとはいえ41歳のババアとは思えない言動だ。…幼児退行云々の前に、目も当てられない。


 でも、『こんなの先輩じゃない…。』なんて絶望もそろそろ食傷気味だ。


 仕方ない。事なかれ主義だ。


 僕は深く濃く長く、今までした深呼吸よりも丁寧に息を付くと、先輩の肩に手を置いた。

「…はぁ、分かったよ、アーちゃん。結婚ね。結婚しよう。うん。」

責任の無い、やり過ごすような僕の声に、ジタバタと動いていた足が止まった。


「け…っこん…?ほんと…?ホントに…?」

先輩の声に喜々が混じると、背中から僕を刺す鬼気を感じた。


「あ…。」

恐る恐る後ろを振り返ると、思ったとおり、二人の顔と濁った四つの目が並んでいた。


「おい…。クソ旦那…。嫁を増やす気?六人目の席はどこにもないよォん?」


「不潔です!他者なんて!貴方は使い魔の私達と、内側に向いた疑似恋愛で虚しい吐精と都合の良い結婚ごっこと自慰をしていれば良いのにッ!次に変なこと言ったら、イチャラブチ〇しですよ!?」


「こわぁ…。一番変なこと言ってるの鼻子じゃないの…?」

メタ視点の理屈で突き放したいのか、それか熱い感情で生きたいのかどっちなんだよ、鼻子、お前は。


それから、後ろを向いて間もない僕の背中を、キンキン声がえぐった。

「けっこん!けっこんだぁぁ!!じゃあすぐにご飯食べさせあいっこしよ!!パパだいすき!!いつか子供も欲しいね!」

さっきまでの調子はどこへやら。飛び跳ね、フローリングを軋ませる先輩の目には涙の跡なんてどこにもなかった。


 てか今、って言った…?


「こっち!こっち!」


「ちょ!引っ張らんでくださいよ!あぁ、リビングは右の扉ね!」


「ごはん!ごはん!!えへへへ!!」

でも、僕の手を引く先輩の顔には悩みの類や暗いものは一つもなかった。納税だの、地元の友人連中とのギャップだの、クエストだのなんだので、苦しんで、自嘲して、頭を抱えているような先輩はどこにもいなかった。


 でもね。


 だとしても、僕は本当の先輩に会いたい。


 悶々とした僕の頭。唖然として、茫然とした舌子と鼻子。


 その間を通り抜け、リビングの方へと、先輩は駆けだした。


 気を利かせて、隅の方に縮こまっているような観葉植物に、小さなシミのついたカーペット。カウンターの上で光るコーヒーメーカー。そんなものには、目もくれず先輩は、茶色いレザーソファの上に飛び込んだ。


「ここでパパと寝たり、アニメ見たりする~!えへぇ~!ね!子供は、男の子にする!?女の子にする!?」


「気が早すぎるし、性別は選べないし、それに…。」


「シュタゲのルカ子は性別変わってたし良いの!できるの!!さ!ご飯食べたら赤ちゃんの名前決めよ!」


「…サブカルババア…。」

先輩に聞かれないように、小さく呟くと、僕は冷蔵庫に向かった。


 冷蔵庫を開いた僕を出迎えたのは、ジップロックに入っているカブの千枚漬けと、タッパに入ったニンジンとキュウリのピクルス。あとは、一昨日作ったポテサラにひじきに、きんぴらごぼう。昨日のわかめの味噌汁…。


 そして、昨日のメインだった…

「豚バラの肉巻き…。」

僕は廊下の二体に声を掛けた。


「二体とも~!お前ら顕現してると味見できないから、戻って~!」

舌子と鼻子を出している間は、味覚と嗅覚を失っているから何を食べても味が分からなくなるもの。嫁を出している時は、対応した五感を失う。嫁を戻すと、五感が戻ってくる。


 それが僕の能力。【伴侶は五人じゃ足りないか?ケッコン・ハカバ


 それから僕の声に、気を取り直したような小さな息遣いが返ってくると、間もなく床を踏みしめる荒い音が聞こえてくる。


「ダメェ…!絶対、こんなババアとリーちゃんを二人にはさせないィ…!」


「旦那様ッ!なりません!こんな枯れたアラフォーと…!」


「お~、お~。言うねぇ…。」

僕は、二体の事を気に留めずに、ラップのかかった皿を電子レンジに入れる。


「1分半の600Wで良いかなぁ。」


「旦那様!お聞きください!!こんな!この女は阿呆になる前、元から貴方の事を好いていたのです!そのような女狐を家に上げるなど!そもそもがおかしいのです!横恋慕です!NTRです!これは私達の自慰を脅かす脅威です!!」


 鼻子の言葉に思わず手が滑る。ダイヤルを回し過ぎて、電子レンジの液晶に10分半の文字が浮かぶ。


「い、い、い、い、今なんて言った…?」

スタートボタンを押すこともなく、僕はよろついた足で鼻子の前まで向かうと、肩を掴んで揺らした。


「あ、阿呆と言ったのを取り消せと言うことですか!?…分かりました!今から下位構造にいる使い魔、つまり私に啖呵を切って、その主従関係を明確にしたいのですね!!これはSNSの創作物でよくあるような、ナンパ師をひと睨みで撃退して、その力の差を…。」


「違わい!長ったらしい!それに、先輩はアホで馬鹿で甲斐性無しでゲロ魔だから、それは取り消さなくていい!お前は正しい!!」


「じゃ、じゃあ何が…。」


「阿呆になる前!つまり、こんな状態になる前から、アマロロ先輩は僕の事が好きなのかって所よ!!」

困惑が増す、疑問が満ちていく。僕は鼻子の肩をガシガシと揺らした。


「ほ、本当ですッ!!においで分かっていました!旦那様を前にすると、あの女はにおいが変わるんです!だって40代にしては、どこか淡くて青い恋愛感情がプンプンと香っていましたもの!」


「はぁ!?本当か!?本当なのか!?お前らの推測じゃないよな!?」


「マジです!マジにございます!だからそれ以上、揺らさないでください!私が揺れるのは、褥と貴方の上だけでございますッ!」


「やかましいッ…!この下ネタ女がッ!」

僕は掴んだ肩を離すと、舌子の方に向き直った。


 床に座り込んだ鼻子が、

「そんな強引な旦那様も…。」

なんて頬を赤らめているが、そんなのどうでも良い。


「リーちゃん、気づいてなかったの?そこのアバズレェ、ずゥっと前からリーちゃんの事、狙ってたよ。大事にされたい、可愛がられたい、愛されたいっていっつもそんな感情がドロドロしてたよォ?目目子めめこも、耳子みみこも、触子さわこも気付いてたのにィ…。」

僕の目を見つめながら、舌子が追い打ちをかける。


「いや、でも…僕、そんな鈍感じゃ…。」


「ま、こんな能力設計してるもォん?他人の機微だとかに気づかず、内側向きになるのも、頷けるけどね~。ま、私らはそれでも良いんだけどォ?」

舌子の舌が、僕の耳を撫でようと伸びるのを避けると、僕はまっすぐソファに向かった。


「先輩!…せんぱ…。」

…なんてこった…。


「スゥ…。スゥ…。」

閉じられた目、上下する胸、穏やかな鼻息…。


 コイツ、寝てやがる…。やけに静かだなと思ったらこういう事かよ…。


 テレビのニュースでは、最近流行りの【】とかいうイカれた通り魔が報道されてた。明るいニュースでわざとらしく上擦ったアナウンサーの声が、さらにわざとらしい深刻な声に変わる。そんなニュースをBGMに、僕と使い魔達が、先輩の顔を覗き込み、ぽつりぽつりと呟きだす。


「情緒が子供過ぎます…。」


「ガキじゃァん…。」


「先輩…。僕のこと好きだったってマジなんすか?」

真相は分からないし、感情が追い付かない。それでも不快感の類は湧いてこない。

でも分かった…。


 これが…。

「【最強魔法使い若作りアマロロおばさん(41)の幼児?退行?】って事か…。」


「…え、なんてェ?」

と舌子。


「な、なんです?いきなり…。」

と鼻子。


「いや…。別に…。」

二体の困惑をよそに、僕はまた台所へと向かった。

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