第20話「みつきが、急に静かになった件」
異変に気づいたのは、火曜日の朝だった。
悠真がキッチンに降りても、首が、なかった。
いつもなら、二階の廊下から首だけ伸ばして、悠真の様子を確認しているみつき。今日は、いない。
(珍しい)
(珍しい、の連続だな、最近)
紅が新聞を読んでいた。
「みつきさん、見ました?」
「ううん」紅が顔を上げた。「そういえば、今朝、声、聞いてないわね」
「体調でも崩したんですかね」
「ろくろ首が体調崩すって、聞いたことないけど」
(聞いたことない、というのが、雪女の口から出ると、説得力がある)
(雪女が体調崩すのも、本来は珍しいんだろうな)
(先週、澪さんも、新宿で、衰弱していたが)
澪がコーヒーを淹れた。
「……みつき、最近、静か」
「澪さんも、感じてました?」
「……うん。昨日も、覗いてこなかった」
「みつきさんが、覗いてこない日って、過去に、あったか」
(思い返すと、ない)
(毎日、必ず、首だけで、何かしらの覗きに来ていた)
("全部見てた"が、口癖だった)
(それが、ない)
悠真は、二階に上がった。
---
みつきの部屋は、二〇一号室。
澪の二〇二号室の隣だ。
ノックした。
「みつきさん、起きてますか」
返事が、なかった。
「みつきさん」
返事が、ない。
(嫌な予感)
(ましろさんのときと、同じパターン)
「入りますよ」
ドアを、開けた。
——————————————————————
部屋に、みつきが、いた。
布団の中に、座っていた。
いつものポニーテールが、ほどけていた。髪が、肩のあたりで、ばさりと垂れている。
首は、ちゃんと、胴体についていた。
でも、目が、虚ろだった。
「……あ、悠真くん」
いつもより、ずっと、声が、小さかった。
「みつきさん、大丈夫ですか」
「……うん。大丈夫」
「いつもの感じじゃ、ないですよ」
「……そう?」
「そうです。元気もないし、覗きにも来てない」
みつきが、少し、笑った。
でも、その笑顔は、いつものニヤニヤじゃなかった。
(疲れている、というか、何か、を、抱えている顔だ)
「……ちょっと、疲れただけ」
「疲れた?」
「うん」
「ろくろ首も、疲れるんですか」
「……人並みには、ね」
悠真は、しばらく、みつきを、見ていた。
(無理に、聞き出すのは、よくない)
(でも、放置するのも、違う)
「……何か、できることありますか」
「……ない」
「お湯、淹れましょうか」
「……うん」
「他に、欲しいもの、ありますか」
「……話、聞いてくれる?」
(来た)
(みつきさん、自分から、話、聞いてくれる、と言ってきた)
(普段、こちらの話を聞く側の人だ)
「もちろん、聞きます」
---
お湯を持って、悠真は、みつきの部屋に戻った。
みつきは、布団の中で、お湯を受け取った。
しばらく、何も言わずに、お湯を、飲んでいた。
「……悠真くん」
「はい」
「あたし、最近、思うんだ」
「何を、ですか」
「……ここにいて、いいのかな、って」
(…………)
(みつきさんが、そんなこと、思っていたのか)
「……どうしてですか」
「役に、立ってないから」
「役に立ってない?」
「うん。澪さんは、コーヒーを淹れる。紅さんは、料理する。ましろちゃんは、幸運付与する。白音さんは、賢くて、みんなを支える。管理人は、家を維持する」
「……」
「でも、あたしは、何も、してない」
「……」
「首を伸ばして、覗いて、煽ってるだけ。何も、生み出してない」
(みつきさんが、自分のことを、こんなふうに、思っていたのか)
(情報屋として、賑やかに、ふるまっていたのは、自分の存在意義への、不安の、裏返し)
(白音さんに「ちゃんと見てあげて」と言われた、その意味が、今、分かる気がする)
悠真は、しばらく、考えた。
(無責任に「役に立ってる」と慰めるのは、違う)
(みつきさんが、抱えている問題に、ちゃんと、向き合うべきだ)
「みつきさん」
「うん」
「役に立つ、って、どういうことだと、思いますか」
「……人のために、何かをすること」
「具体的には」
「コーヒーを淹れるとか、料理を作るとか、運をあげるとか」
「みつきさんは、それらが、できないから、役に立ってない、と思っている」
「うん」
「……俺、エンジニアなので、効率の話、していいですか」
「うん」
「人の役に立つ、というのは、必ずしも、目に見える成果を、出すこと、じゃないです」
「……」
「目に見えない部分で、役に立つこと、というのも、あります」
「目に、見えない部分?」
「みつきさんは、情報を、回してくれます。誰が、何を、感じているか、何を、考えているか。それを、知らせてくれる」
「……それ、ただの、覗き」
「覗き、と言えば、覗きですが、それを、知ることで、俺は、行動できるんです」
「……」
「ましろさんの異変に、気づけたのも、みつきさんが、前に"ちゃんと見ててあげて"と、教えてくれたからです」
(白音さんに、似たようなことを、言われた気もするが)
(でも、みつきさんが、最初に、言った)
(みつきさんの、言葉が、俺を、動かした)
「……あれ、覚えてたの?」
「覚えてます」
「……ふうん」
みつきが、お湯を、また、一口、飲んだ。
「……でも、それだけで、いいのかな」
「いいです」
「役に、立ってる?」
「立ってます」
「……」
みつきが、しばらく、布団を、見ていた。
「悠真くん」
「はい」
「……あたし、ろくろ首だから、ずっと、ひとりで、生きてきた」
「……」
「ろくろ首って、人間の女が、首が伸びる病気にかかった、って言われてる種族なの」
「病気?」
「うん。普通の女の子だったのが、ある日、夜中に首が伸びるようになる。それで、家族に、嫌われて、捨てられる」
「……」
「あたしも、そう。気がついたら、家族から、離された」
(重い話だ)
(みつきさんの、過去)
(普段、軽い感じでいるが、こういう過去が、あった)
「だから、ずっと、ひとり。ろくろ首の仲間も、いないし、人間の中にも、戻れないし」
「……」
「百鬼荘に、来てから、初めて、誰かと、暮らせるようになった」
「……」
「でも、ずっと、ひとりで、生きてきたから、誰かと、ちゃんと、関係を、作る方法が、わからない」
「だから、覗き、ですか」
みつきが、少し、笑った。
「……うん。覗いて、情報を、集めて、煽って、それで、関係を、作ってるつもりだった」
「……」
「でも、最近、それが、空回りしてる気が、する」
(空回り、というか)
(みつきさんは、ちゃんと、関係を、作っているのに、本人だけ、それを、認識していない、状態だ)
「みつきさん」
「うん」
「俺、みつきさんのこと、好きですよ」
「……」
「みんなも、みつきさんのこと、好きです」
「……ほんとに?」
「ほんとです」
「……あたし、面倒くさいでしょ」
「面倒くさい人、嫌いじゃないです」
「……変な人ね」
「みんなにそう言われます」
みつきが、ふっと、笑った。
(少し、いつもの、みつきさんに、戻ってきた)
---
しばらく、二人で、お湯を、飲んだ。
みつきが、ぽつぽつと、自分の話を、続けた。
子どもの頃の話。捨てられたときの話。流浪していた時期の話。新宿の繁華街で、人間に化けて生活していた時期の話。陰陽庁に追われたこともあること。
悠真は、聞いた。
白音さんに教わった通り。
「……いっぱい、話しちゃった」と、みつきが、苦笑した。
「いいです、聞きました」
「……ありがとう」
「いえ」
「……悠真くん」
「はい」
「あたしも、選択肢に、入れて、もらえる?」
(……)
(来た)
(みつきさんからも、来てしまった)
(白音さん、ましろさん、紅さん、澪さん、そしてみつきさん)
(五人)
(俺、五人から、好意を、向けられている)
(普通、こんなこと、人生で、ない)
(普通の人生では、ない)
(……すでに)
「……みつきさんも、選択肢に、入っています」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
「……いつから?」
「……今、はっきり、認識しました」
「正直ね」
「すみません」
「謝らないで」
(みつきさん、白音さんと、似たような、ことを言うようになった)
(百鬼荘の女性陣、共通語が、できている)
「悠真くん」
「はい」
「……あたしね、半年とか、待たないかも」
(え)
「半年は、長すぎる」
「……」
「あたし、人間の感覚に、近いから。雪女みたいに、百年待つ、とか、できない」
「……」
「だから、もし、悠真くんが、半年で答えを出さなかったら、あたしは、自分から、引く」
「引く?」
「うん。あなたを、好きでいる、ことは、変わらないけど、あなたを、選ぶ対象から、引く」
(みつきさんが、自分から、退場の宣言を、している)
(紅さんは、撤回した。みつきさんは、自分から、引く、と言っている)
(みんな、それぞれの、距離感を、決めている)
「……」
「気にしないで」みつきが、笑った。「あたしの、勝手な決断だから」
「……みつきさん」
「うん」
「俺、ちゃんと、半年で、答えを出します」
「うん」
「だから、引かないでください」
「……それは、悠真くんが、決めることじゃ、ない」
「俺の意思を、伝えています」
みつきが、少し、目を、丸くした。
そして、ふっと、笑った。
「……変な人ね」
「みんなにそう言われます」
「もう、みんなに言われすぎね、それ」
---
昼前、みつきは、布団から、起き上がった。
髪を、結び直した。いつものポニーテールに、戻った。
「……ありがと、悠真くん」
「いえ」
「あたし、ちょっと、復活した」
「よかったです」
「……でも、しばらくは、覗き、休む」
「え?」
「あたしの、距離感、見直す。覗きじゃなくて、もっと、ちゃんとした、関係を、作りたい」
(みつきさんが、自分を、変えようとしている)
(過去を、引きずるのではなく、変える)
「応援します」
「うん」
みつきが、悠真の隣に、座った。
「悠真くん」
「はい」
「あたし、これから、覗かない代わりに、ちゃんと、聞きに、行くね」
「聞きに?」
「うん。誰かが、何かを、感じていたら、覗くんじゃなくて、ちゃんと、聞きに、行く」
「いい変化です」
「ね、今日、あたしが聞きたいこと、いっぱいあるんだけど」
「どうぞ」
「悠真くん、本当に、五人とも、選択肢に、入れてるの?」
「五人?」
「澪さん、紅さん、ましろちゃん、白音さん、あたし」
(五人と、ちゃんと、認識されてる)
(みつきさん、すでに、情報屋に戻ってる気がするが)
「……入れてます」
「……すごい」
「すごくないです。困ってます」
「困ってる?」
「五人を、同時に、考えるのは、フリーランスの俺でも、難しいので」
「……ふふ」
「みつきさん、もし、よければ、相談、乗ってもらえますか」
「相談?」
「俺、誰を、選べばいいか、分からないので」
「あたしに、聞くの?」
「みつきさんは、選択肢の、一人ですが、客観的にも、見れる人だと、思っています」
「……」
みつきが、しばらく、考えた。
「……いい、相談、乗る」
「ありがとうございます」
「ただし、自分に、有利な相談は、しないで」
「しません」
「あたしも、自分に有利なように、誘導しないから」
「ありがとうございます」
(みつきさんが、相談相手に、なってくれる)
(自分も選択肢の一人なのに、相談相手も、引き受けてくれる)
(懐が、深い)
(情報屋、というか、人間関係の、達人だ)
---
午後、悠真は、白音と、縁側で、話した。
白音が、また、湯呑みを、持って、楽しそうに、聞いていた。
「……みつきちゃんと、話したのね」
「白音さんも、ご存じでしたか」
「気づいてた。最近、みつきちゃん、覗きが減ってたから」
「……白音さん、なんでも、気づきますね」
「気づくだけ。動くのは、あなた」
「……」
「悠真くん、よく、向き合った」
「白音さんに、教わった通りです」
「教えてないって、何度言えばいいの」
「ヒントを、もらいました」
白音が、ふっと、笑った。
「悠真くん」
「はい」
「五人になったわね」
「……ご存じですか」
「みつきちゃん経由で、回ってる」
(みつきさん、もう、情報網、完全復活してる)
「……はい。五人です」
「私も、入ってるの?」
「冗談半分でも、本気半分でも、入っているなら、入っています」
白音が、しばらく、悠真を見た。
「……あなた、本当に、ずるいわよ」
「ずるい?」
「全員を、平等に、扱おうとしている」
「……」
「それは、ある意味、優しさだけど、ある意味、残酷」
「残酷?」
「全員に、希望を、持たせている。でも、最終的には、一人しか、選べない」
「……」
「選ばれなかった、四人は、傷つく」
(……)
(白音さんに、突きつけられた)
(俺がやっていることが、結局、そういうことだ、と)
「……白音さん」
「うん」
「俺、どうすれば、いいですか」
「私が、決めることじゃ、ない」
「ヒントを、ください」
白音が、しばらく、湯呑みを、見ていた。
「……ヒントを、出すわ」
「お願いします」
「あなたは、誰を選んでも、誰かを、傷つける」
「……はい」
「だから、選ぶ、ということに、覚悟を、決めなさい」
「覚悟、ですか」
「うん。傷つけることを、引き受ける、覚悟」
「……」
「そして、選ばれなかった人にも、ちゃんと、向き合いなさい」
「向き合う、というのは」
「逃げない、ということ」
「……はい」
「選ばれなかった人を、そのまま、放置するのではなく、ちゃんと、その人と、関係を、続けなさい」
(重い)
(重いが、確かに、それしか、ない)
(誰かを選ぶ、ということは、他の誰かを、選ばない、ということ)
(その重さを、引き受ける)
(覚悟、というのは、そういうこと)
「……ありがとうございます」
「ふふ、ヒントだけよ」
(ヒントというより、ほぼ全部、教えてくれた気がするが)
(白音さん、本当に、いい人だ)
---
夕方、ましろが、悠真の部屋に、来た。
「おにいさん」
「はい」
「みつきさん、復活したって、ましろも、聞いた」
「ですね」
「ましろ、何も、しなかった」
「ましろさんは、自分のことで、忙しかったでしょう」
「うん」
ましろが、悠真の隣に、座った。
「ねえ、おにいさん」
「はい」
「みつきさんも、選択肢に、入ったって、本当?」
「……はい」
ましろが、少し、考えた。
「……ましろ、独占欲、出ちゃう」
「いいです」
「いいの?」
「いいです。出していいです」
「でも、出しすぎたら、ダメ?」
「ダメじゃないです。ただ、危険なことは、しない、という約束は、忘れないで」
「……うん」
ましろが、悠真の腕に、しがみついた。
「ましろ、みんなに、勝てる気が、しない」
「勝つ、とか、ないですよ」
「でも、みんな、強いから」
「ましろさんも、強いです」
「……どこが?」
「ずっと、待つ、と言える、強さです」
ましろが、ぱっと、顔を、上げた。
「……それ、強いの?」
「強いです。みんなが、できることじゃ、ない」
「……えへへ」
(ましろさんに、自信を、持たせる)
(これも、白音さんが言った"向き合う"の、一つ)
(選ばれなかったとしても、ちゃんと、向き合う)
---
夜、紅が、部屋に、来た。
「みつきちゃん、復活したって?」
「ご存じですか」
「家中、もう、噂になってる」
(みつきさん、覗きを止めたと言いつつ、情報網、ちゃんと、機能してる)
「紅さん、聞いてもいいですか」
「うん」
「五人を、同時に、選択肢に持っているのは、ずるい、と、思いますか」
紅が、少し、考えた。
「……ずるい、けど、責められない」
「責められない?」
「あなたが、誠実だから、五人になった、というのも、事実だから」
「誠実?」
「うん。あなたは、嘘を、つかない。だから、好意を、向けられたら、ちゃんと、受け止める。それが、結果として、五人になっている」
「……」
「もし、あなたが、最初から、誰かを、選んでいたら、こんなことには、ならなかった」
「……」
「でも、それは、誠実じゃ、ない」
「……」
「だから、あなたは、ずるいけど、責められない」
(紅さん、複雑な、気持ちだろうな)
(自分も、選択肢の一人なのに、客観的に、分析してくれる)
「……ありがとうございます」
「お礼は、いらない」
紅が、悠真の隣に、座った。
「ねえ、悠真くん」
「はい」
「半年、長いね」
「……はい」
「私も、待ってるけど、長い」
「……すみません」
「謝らないで」
「……」
「ただ、半年経ったら、ちゃんと、選んでね」
「選びます」
「私じゃ、なくても、いい」
「……」
「私じゃ、なかったら、私は、ここに、いる。それは、変わらない」
(紅さん、本当に、強くなった)
(最初は、待つの慣れてないと言っていた人が、待てるようになっている)
「紅さん、ありがとうございます」
「お礼、ばかり、だね、あなた」
「……すみません」
「謝らないで」
(こちらも、口癖になってる)
紅が、立ち上がって、出ていった。
---
深夜、廊下に、冷気が、来た。
澪だ。
「……澪さん」
「……うん」
「今日のログ、いきますか」
「……心配と、安心、嬉しい」
「心配?」
「……みつきが、元気なくて、心配だった」
「ですね」
「……でも、復活して、よかった」
「よかったです」
「……嬉しい?」
「澪さんが、みつきさんのことを、心配してくれていたことが、嬉しいです」
「……」
「それと、ログを、ちゃんと、続けてくれていることも」
「……うん」
「明日も、続けましょう」
「……うん」
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
足音が、遠ざかった。
(今日も、澪さんは、自分の感情を、ちゃんと、認識して、言葉にできた)
(小さな、進歩の、積み重ね)
(半年後、俺は、誰を、選ぶんだろう)
(白音さんに言われた通り、覚悟を、決めないと、いけない)
(傷つけることを、引き受ける、覚悟)
(重い)
(でも、避けられない)
---
岬悠真、百鬼荘生活、二十日目。
みつきが、急に静かになった。話を聞いた。過去のことを、教えてもらった。みつきから、自分も選択肢に、と言われた。みつきが、相談相手に、なってくれた。白音から、覚悟を決める、というアドバイスをもらった。ましろに、強い、と伝えた。紅に、責められないけどずるい、と言われた。澪と、感情ログを、続けた。
それ以外は——
また、責任が、重くなった。
でも、誰かと、向き合うこと自体は、悪くない。
(人と関わる、ということは、そういうことだ)
(白音さんに、教わった)
---
*【第21話「神代玲司が、また来た件」に続く】*
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