第10話「電気代の請求書が来て、全員を巻き込んだ件」

 問題の封筒が郵便受けに届いたのは、木曜日の朝だった。


 差出人:東京電力。


 受取人:百鬼荘 管理人様。


 悠真がポストから取り出して、封を確認した。封筒の厚みが、なんか、普通じゃない。


 (嫌な予感がする)


 開けた。


 請求書が入っていた。


 金額を見た。


 「…………」


 もう一度見た。


 「…………………………」


 三度見た。


 (これ、俺の目がおかしいのか。それとも印刷ミスか。いや、東京電力が印刷ミスをするとは考えにくい。では俺の目がおかしいのか。おかしくないとしたら、これは現実の数字だということになる)


 (一か月で、電気代が四十七万八千円)


 (四十七万円)


 (よんじゅうなな)


 「おにいさん、どうしたの? 顔色が白い」


 ましろが郵便受けのそばに来て、悠真の顔を覗き込んだ。


 悠真は無言で請求書をましろに見せた。


 ましろが数字を見た。


 「……よんじゅうななまんえん」


 「そうです」


 「……すごい」


 「すごいですね」


 「……おにいさん、大丈夫?」


 「大丈夫じゃないです」


---


 緊急全体会議が、キッチンで開かれた。


 召集したのは悠真だ。「今すぐキッチンに全員集合してください」とドアをノックして回った。みつきは寝起きで首だけ出てきた。紅は「何事?」という顔をした。澪は無言でついてきた。管理人は「騒がしいな」と言いながら扇子を持って来た。ましろはすでにキッチンにいた。


 全員が揃ったところで、悠真は請求書をテーブルの真ん中に置いた。


 「今月の電気代です」


 全員が請求書を見た。


 しばらく沈黙があった。


 「……よんじゅうなな」とましろ。


 「…………」と澪。耳まで赤い。


 「これは」と紅が眉を上げた。「さすがに」


 「首が縮む」とみつきが言った。比喩ではなく、首が本当に少し縮んでいた。


 管理人が請求書を手に取った。眺めた。置いた。


 「……まあ」


 「まあ、じゃないですよ」と悠真は言った。努めて冷静に。「内訳を確認しましょう」


 (エンジニアは問題を再現させて、原因を特定する。感情的になっても電気代は下がらない)


 (下がらないが、四十七万円は普通じゃない)


---


 内訳の調査を始めた。


 まず電力会社のアプリで使用量の推移を確認した。グラフが、ある日付から急激に跳ね上がっている。


 その日付を確認した。


 悠真が百鬼荘に入居した日だった。


 「……俺が来てから増えてるんですか」


 「いや、それ以前からうちは多いのよ」と紅が言った。「ただ、今月は特に」


 「何が違いますか、今月」


 全員が澪を見た。


 澪が视線を泳がせた。


 「……なんで私を見るの」


 「心当たりがないですか」と悠真。


 「……少し」


 「どのくらい少し」


 「……かなり、少し」


 (かなり少しってどういう意味だ)


 「具体的に教えてもらえますか」


 澪が少し下を向いた。


 「……今月、少し感情が、不安定だった」


 「不安定というのは」


 「……色々、あったから」


 (色々というのは)


 (俺が来たことか)


 (俺のせいか)


 (いや、俺のせいではあるが、電気代が四十七万になるほど感情を揺らした覚えはないが)


 「冷気を出しっぱなしだったんですか」


 「……夜中に、少し」


 「夜中に冷気を出すと、エアコンの暖房が対抗して動くんですよ。それがずっと続くと」


 「……そうなるの?」


 「そうなります」


 澪が、みるみる表情が申し訳なさそうになった。


 「……ごめんなさい」


 「謝罪より対策です」


 「……どうすればいい」


 「夜中に冷気を出さないようにすれば、来月から改善します」


 「……わかった」


 「それと」


 「……まだある?」


 「澪さん一人のせいじゃないと思うので、他に心当たりがある人は言ってください」


 沈黙があった。


 みつきがそろそろと手を挙げた。


 「……あたし、首を伸ばすとき外の街灯を避けるために室内の照明つけっぱなしにしてることがある」


 「消してください」


 「はい」


 「他には」


 紅が少し間を置いた。


 「……変身するとき、電力を使う」


 「何ワットですか」


 「……測ったことない」


 「測ってください」


 「測れるの、そういうの」


 「測れます」


 「……わかった」


 「他には」


 ましろが手を挙げた。


 「ましろ、幸運付与するとき、電気が少し吸われる気がする」


 「気がする、ってどのくらいですか」


 「……テレビがちょっと暗くなるくらい」


 (テレビが暗くなるくらいの電力を、毎回使ってるのか)


 「使用頻度は」


 「おにいさんのために毎日、かな」


 「……ありがとうございます。でも一日一回にしてもらえますか」


 「えー」


 「お願いします」


 「……わかった。でもおにいさんのためだから、ちゃんとかけるよ」


 「ありがとうございます」


 全員の報告が終わった。


 管理人が扇子を開きながら言った。


 「……で、今月の四十七万は?」


 全員が悠真を見た。


 (なんで俺を見るんだ)


 「折半じゃないですか」


 「六人で割ると約八万円」とみつきが即計算した。


 「……八万円」と澪が青ざめた。


 「家賃より高い」とましろが言った。


 「そうですね」と悠真。


 「……わたし、持ってない」と澪が言った。


 「妖怪って貯金あるんですか」と悠真は聞いた。


 「……少しは」


 「八万はない?」


 「……今月は、ない」


 (困った)


---


 対策会議、第二部が始まった。


 今月の電気代をどう工面するかという話し合いだ。


 「管理人が払う、という選択肢は」と悠真が言った。


 管理人が扇子を閉じた。


 「……払わん」


 「なぜですか」


 「お前たちの問題だ」


 「管理人なのに」


 「動かん、と最初に言った」


 (言ってた。確かに言ってた。規則の三番目だ。トラブルは自分で解決しろ)


 「……わかりました。では住人で解決します」


 次に現実的な案を出した。


 「今月は俺が立て替えます」


 全員が悠真を見た。


 「「「「え」」」」


 四声が重なった。


 「案件が決まったので、来月から収入が入ります。今月は俺が出します。来月以降、電気代は節約ルールを作って全員で管理する。それでどうですか」


 「……いいの?」と澪。


 「よくはないですが、現実的な解決策がこれなので」


 「……ごめんなさい」


 「謝罪より来月の節約でお返しください」


 「……わかった。絶対に節約する」


 「よろしくお願いします」


 ましろが悠真の袖をつかんだ。


 「おにいさん、ありがとう」


 「いいです」


 「でも八万円って、すごく大変じゃない?」


 「大変ですが、来月入ってくるので大丈夫です」


 「……ましろの幸運付与、全力でかける」


 「一日一回と言いましたが、今日は特別に二回でもいいです」


 ましろがぱっと顔を輝かせた。


 みつきが「悠真くん、かっこいい」と言った。


 「かっこよくないです、ただの立て替えです」


 「かっこいいよ」


 紅が静かに言った。


 「……今月分は私も出す」


 「いいですよ」


 「出す。半分出す。黙って受け取って」


 「……ありがとうございます」


 「礼はいい」


 紅が立ち上がった。財布を持って戻ってきて、悠真にお金を渡した。


 「九条さん」


 「うるさい」


 「……ありがとうございます」


 「だから礼はいらないって言ってる」


---


 午後、悠真は電気代節約マニュアルを作った。


 本業がエンジニアなので、こういうドキュメント作成は得意だ。マークダウンで書いて、プリントアウトして、キッチンに貼った。


**百鬼荘 電気代節約ルール(暫定版)**


1. 消灯ルール:部屋を出るときは必ず電気を消す

2. 澪ルール:夜中の冷気は禁止。感情が揺れたら一度深呼吸する

3. みつきルール:首を伸ばすときは室内照明ではなくヘッドライトを使う

4. 紅ルール:変身は一日二回まで。電力使用量を記録する

5. ましろルール:幸運付与は一日一回まで(特別な日は相談)

6. 全員ルール:エアコンの設定温度は冬20度、夏28度を基準とする


 貼り終えてから、みつきに「ヘッドライト持ってないよ」と言われた。


 「買いましょう」


 「首に装着するやつ?」


 「アウトドア用のヘッドライトが使えます」


 「……似合わないと思う」


 「節電のほうが大事です」


 みつきがしぶしぶ了承した。


 澪がルールを見て「2番が私の名前になってる」と言った。


 「澪ルールのほうがわかりやすいので」


 「……恥ずかしい」


 「掲示物は機能が優先です」


 「……でも、恥ずかしい」


 「来月から守ってもらえれば外します」


 「……わかった。守る。絶対守る」


 ましろが「5番もましろの名前だ」と言って嬉しそうにした。


 (嬉しそうにするとこじゃない気がするが、まあいいか)


 紅が「4番、一日二回は少ない」と言った。


 「何回必要ですか」


 「場合による」


 「平均で」


 「……三回くらい」


 「三回にします」


 「ありがとう」


 管理人がルールを見て、「俺のルールがない」と言った。


 「管理人は電気代を出さないので対象外です」


 「……なんとなく、つまらんな」


 「管理人ルール:扇子の開閉は静かにする、でどうですか」


 管理人が扇子をぱちんと閉じた。


 「……うるさい」


 「失礼しました」


---


 夕方、澪が部屋に来た。


 「……少し、いい?」


 「どうぞ」


 澪が入ってきて、悠真の前に立った。何か持っている。


 財布だった。


 「……これ」


 「何ですか」


 「……今月分。全部は無理だけど、あるだけ出す」


 「いいですよ、俺が」


 「……よくない」


 「来月から節約すれば」


 「……それとこれとは別」


 澪が財布を差し出した。


 「……今月は私のせいだから」


 悠真は少し考えた。


 受け取った。


 「……ありがとうございます」


 「……来月は、絶対に節約する」


 「信じています」


 「……夜中の冷気、出さないようにする」


 「よろしくお願いします」


 「……出さないようにするけど」


 澪が少し視線を逸らした。


 「……感情が揺れるのは、どうにもならないから」


 「ルールには深呼吸と書きました」


 「……深呼吸で抑えられるかわからない」


 「やってみてください」


 「……感情が揺れる原因が、あなただから」


 (え)


 「……だから、難しい」


 「……俺が原因ですか」


 「……うん」


 「……すみません」


 「謝らなくていい」澪が視線を戻した。「あなたのせいじゃない。ただ、あなたがいると、感情が、動く」


 「……それは」


 「……どうにもならないから、努力する。努力はする」


 「……わかりました。俺も、できるだけ、夜中に廊下に出ないようにします」


 澪が少し目を丸くした。


 「……それは、いなくていい、ということ?」


 「違います。夜中に廊下に出て澪さんと話すのは、俺も、好きです」


 (言いすぎた)


 (言いすぎたが、本当のことだ)


 澪が、また冷気を出した。


 でも今回は、ちゃんと両手で自分の頬を抑えた。


 「……深呼吸」


 「そうです」


 「……深呼吸、してる」


 「できてますよ」


 「……電気代、上がってる?」


 「今のところ大丈夫です」


 「……よかった」


 澪が少し、肩の力を抜いた。


 「……夜中の話、やめなくていい」


 「やめません」


 「……電気代が上がったら、また払う」


 「節約をお願いします」


 「……する。でも、話はやめなくていい」


 「……わかりました」


 澪が部屋を出た。


 悠真はしばらく、財布の中のお金を見た。


 (澪さんの有り金、ほぼ全部入ってる気がする)


 (来月、ちゃんと返そう)


---


 夜、みつきがヘッドライトをつけて廊下を歩いていた。


 首だけで。


 「……それ、怖いですよ」


 「慣れて」


 「慣れません」


 「節電のためだよ」


 「わかりますが、夜中に首だけでヘッドライトをつけて廊下を移動しているのは、どう見ても怖いです」


 「ルール守ってるじゃん」


 「そうですが」


 みつきがにやっと笑った。


 「怖い?」


 「少し怖いです」


 「でも慣れるでしょ、そのうち」


 「慣れたくないですが、慣れそうなのが怖いです」


 「それが百鬼荘クオリティだよ」


 (百鬼荘クオリティ)


 (確かに、一週間で妖怪全員と普通に話せるようになった俺が言えることではないか)


 「……おやすみなさい」


 「おやすみ。あ」


 みつきの首が止まった。


 「今日の悠真くん、かっこよかったよ。本当に」


 「立て替えただけです」


 「そういうとこが、かっこいいの」


 首が廊下の奥に消えた。


 ヘッドライトの光も消えた。


 廊下が暗くなった。


 (消えるの早い。節電を徹底している)


 (まあ、よかった)


---


 翌朝、キッチンに全員が来た。


 昨日と違うのは、電気の消費が一つ一つ意識されていることだ。澪が冷蔵庫を開けるとき、そっと開けた。みつきが首を伸ばす前に電気を確認した。ましろが幸運付与の前に「今日の一回使っていい?」と悠真に確認した。


 「いいですよ」


 「やった」


 ましろが集中した顔をした。一秒後、悠真のスマートフォンに通知が来た。面談に行った会社からだ。契約書の送付完了、という内容だった。


 「……幸運付与、効きました」


 「でしょ!!!」


 「ありがとうございます」


 「えへへ」


 澪が卵焼きを焼いていた。昨日のルールを守ろうとしているのか、それとも単純に作りたかったのかはわからない。悠真の分も作っていた。


 紅がコーヒーを淹れた。悠真の分も淹れた。


 「ありがとうございます」


 「昨日の立て替えのお礼」


 「お礼はいいと言いましたよ」


 「私が言いたいから言う」


 (交渉の余地がない)


 「……ありがとうございます」


 管理人が縁側のほうから現れた。


 「……騒がしいな」


 「おはようございます」


 「……まあ、よかったな」


 「何がですか」


 管理人が扇子を開いた。


 「みんなで、同じ問題を解いたじゃろ」


 「電気代の話ですか」


 「……そういうことだ」


 それだけ言って、縁側に消えた。


 悠真はコーヒーを飲みながら、管理人が消えた方向を見た。


 (みんなで、同じ問題を解いた)


 (確かに、そうか)


 ましろが悠真の隣に座った。いつもの位置だ。


 「おにいさん」


 「何ですか」


 「今日も一日、よろしくね」


 「よろしくお願いします」


 ましろがにこっと笑った。


 今日のましろは、目も笑っている。


 卵焼きが、甘かった。


 電気代の節約マニュアルは、キッチンの壁に、ちゃんと貼られていた。


---


 岬悠真、百鬼荘生活十日目。


 電気代が四十七万円だった。原因究明をした。節約ルールを作った。立て替えた。紅に半分出してもらった。澪に有り金を渡された。みつきがヘッドライトをつけて首だけで廊下を歩いた。


 それ以外は——


 悪くなかった。


 というか、なんか、いい一日だった。


 四十七万円の電気代の日が、いい一日、というのも変な話だが。


 でも、そういう家なので。


---


*【第11話「深夜の新宿で、とんでもないものを見た件」に続く】*

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