第四幕 十三夜の攻防①

 ふ……っと浮かび上がった意識の中にわずかな違和感を覚え、音哉おとやは起き上がった。


「……はい? どこ、ここ?」


 自室のベットで寝ていたはずが、辺りは山の中だった。


(あー……? 何これ、夢?)


 気怠さを感じながら、首を掻く。

 そうだ、今日は体調不良で学校を早退したのだった。そのせいで、夢見が悪いのだろうか。


(……それにしても)


 生温い風が吹き、群生する竹を揺らす。葉の重なり合う音と、青臭い匂い。寝間着で地べたに座り込んでいた音哉は尻をはたきつつ立ち上がった。

──それにしても、やけにリアルな夢だ。後ろを振り返れば、まるで時代劇で見るような小屋が建っていた。奥には薪が積まれている。夢の中なのだから問題ないだろうと、音哉は小屋に近づいて戸に手を掛けた。見た目通り小屋の中も質素なものだが、人の住んでいる形跡は感じられた。端の方には藁だか麦だかの枯れ草の上にボロい布が敷かれ、おそらくはそこは寝所なのだろう。

 ふいに沸き上がった既視感に、音哉は眉を寄せた。


(……俺、ここ知ってる……?)


 いや、そんなはずはない。音哉は人並みに身体を動かす事は好きだが、音哉の友人は女の子ばかりでアウトドアを好むタイプはいない。こんな山奥の小屋に、見覚えがあるはずはない。


(テレビ、とかかなぁ?)


──と、音哉の鼻がひくついた。空気に、悪臭が混ざり始める。口元を押さえた音哉の、心臓が大きく鳴った。

この臭い、この臭い、この臭い……!!

 その途端に思い出されたのは──


(──逃げ、なきゃ……っ)


 がたがたと震える足を叱咤するが、上手く動かない。焦りにもつれた足が絡まり、音哉はその場に尻餅をついた。舌を打って、慌てて立ち上がろうとしたちょうどその時。


「──っ!!」


 ざりと、酷く重い足音がひとつした。悪臭が、重くなる。


        ◆◆◆


──時間は少し遡り、九重ここのえ那由多なゆた自室にて。


 那由多は思案気に瞳を細め、ようやっと落ち着きを取り戻した新羅しんらを見つめた。


「そ、うか……あさひは、無事か」


 安堵したように息を吐いた新羅は、今日の昼過ぎになり漸く目を覚ました。昨夜、うつけに襲われた傷自体はそこまで酷いものではなかったが、新羅は身体が小さい故に体力がなく、どうしても回復に時間がかかる。


(それでも、一番に気にかけるのは不動ふどうあさひの事か)


──正直、驚きを隠せない。優しい性分ではあるし傾奇者かぶきものとしての責任感も備えている新羅ではあるが、今まで糖子とうこ以外の人間に対しここまでの執着を見せる事は初めてだ。


「……すまない。みすみす虚けを取り逃がした」

「──新羅。今後虚けに遭遇したらすぐに逃げろ。立ち向かうな」

「──」


 刹那。新羅の双眸に熾烈な光が宿った。ぞっとする程の圧の強さに、那由多は背筋を震わせた。こういった瞬間嫌でも、彼は決して普通の子どもではなく傾奇者なのだと思い知らされる。


「……傾奇者としてのお前の意思は正直すごく有り難い。ただ、安定していない時期なのはお前も分かっているだろう? お前に何かあったら、俺も糖子さんに顔向けが出来ん。何も、一歩も外に出るなと言ってる訳じゃない」

「僕は傾奇者だ。虚けを前に逃げる事はしない。傾奇者の中で、一番虚けの気配に敏感なのは僕だ。見回りは止めない」


 言い含めるような那由多の口調に、新羅は硬い声音で返した。凛とした、真っ直ぐな目つき。──傾奇者の矜持故の。


「お前の矜持を馬鹿にするつもりはない、そう怒るな。──今回は運がよかっただけだと、理解してるだろう?」

「……」

「外で不動旭に会っている時にまた虚けと遭遇したら? 今度もまた瑠璃色たちが間に合うとは限らない。見回りは最小限にして、劇場に不動旭を招けばいいだろう」

「会うことにいい顔をしていなかったと記憶してるんだけど?」

「気が変わった」


 お前の執着心があんまりに必死だから──と、流石にそれは口には出さない。那由多の地位は傾奇者よりも下だ、あくまでも“命令”ではなく“お願い”をする立場でしかない。


「糖子さんの孫だ、お前がなつくのも理解出来るし、気持ちのいい子だと俺も思うよ。何より、糖子さんとの話を共有できるのは楽しいんだろう?」


 それには小さく頷いた新羅だったが、お役目の放棄に関しては無言を貫く。立ち尽くす新羅に何を思ったか、那由多はややあって「はぁあ」とため息をひとつ吐いた。


「……分かった。とりあえず、不動旭に一度会ってこい。自分の目で無事も確かめたいだろう? 今後の事は、帰ってきてからまた話そう」

「……感謝する」


 那由多に頭を下げた新羅は、そのまま踵を返した。扉の向こうへ消える新羅の後ろ姿を見送った後、那由多は頬杖をついて嘆息をひとつ。


(……簡単には頷けないか。まぁ、それはそうか)


 新羅の、糖子を喪ってからのがむしゃらさを知っている身としては──どんな理由であれ笑ってくれるなら、その状態をなるべく継続させてやりたい。 それが那由多の願いだ。ならば、おそらく今はそのチャンスなのだろう。

 新羅は弱い、そして時間がない。正しくその身に残された時間が。ならば、死した糖子を面影を探すよりも、少しでも楽しいと思える穏やかな時間を過ごしてほしいと那由多は思う。傾奇者だとて、役目に全てを捧げる必要はきっとない。決して口には出せないけれど。

 傾奇者の新羅と一緒にいれば、旭が虚けに遭遇する可能性は上がる。虚けは傾奇者を“餌”と認識している上、そうでなくても虚けに気づけば新羅は走ってしまうし旭は性格的にそれを放っておけはしないだろう。そうなれば、怪我は必須──。


(小狡かしいが、この方面で言いくるめるしかないか……無駄な怪我などされたくはない)


 戻って来たら、機嫌を確認しつつ根気よく言い含めるしかない。なんなら旭から落としてもいい。

 うんうんと頷き、気を取り直して肩を回した後に、執務室から持って帰って来ていた書類へ手を伸ばし処理を始めた。それから一時間程が経った頃──不意に、机上に置かれた端末が鳴いた。顔色を変え、即座に表示される内容に目を通した那由多はきつく眉を寄せ声を荒げた。


十三夜じゅうさんやの虚けだと!? 昨日のやつか……!」


 思わず椅子を蹴倒し立ち上がった那由多に、涼やかな声が掛けられた。


「──那由多。せんをいかせてはいけませんよ」

「……わかっている。まぁ、瑠璃色るりいろ以外は【あざな】が分からんからな……。それと、あまり俺に話しかけるな。何度も言わせるなよ」

「……」


 吐き捨てるように言い捨てれば、声の主が縮こまるような気配がした。那由多は構う事なく、人形の霊符を飛ばす。


「すぐに瑠璃色を向かわせろ。染以外なら誰を連れていってもかまわん」


 空に浮いた霊符がすらりと隙間を抜けていく。ふよふよと、常よりは素早く廊下を進んでいく霊符が瑠璃色の部屋へ辿り着く寸前──

 腕が伸び、霊符が無造作に掴まれた。


「……」


 ぼぅと、男の手の中で一瞬で霊符が燃え上がる。煤になるそれを若葉色の双眸が見つめ──音もなくその場を後にした。


        ◆◆◆


 数分の後、ふたりは音哉の自宅の前にいた。本来ならばこの程度で息が切れる訳もないが先のおいかけっこが尾を引いていて、荒い呼吸のまま音哉の家を見つめている。


「……は、あさひ、お前はもう帰れ。巻き込めない」

「嫌だ、帰れないよ」


 思わず状況を旭に説明してしまったが、失敗だった。頭を横に振るう旭に、苦虫を噛み潰したかのような表情で眉を寄せる。


(振り払えなかったのは失敗だったな……)


 旭の運動神経の良さは目にしたばかりだ。だからといってこのまま巻き込む訳には──その時。耳をつんざくような悲鳴が響いた。新羅が顔を上げる。


「……っ!」

(話してる暇なんてない……!!)


 旭を説得するのは骨が折れる、虚けの展開する世界には適合者以外の人間は入ってこれないのだからこの際放っておこう。後で謝ればいい。

 新羅はそっと腕を伸ばした。すると、見えない壁でもあるかのように指先がばちりと弾かれる。目を凝らせば、音哉の家がまるで、例えるのならシャボン玉に包まれるような状態になっていた。新羅の指を弾いたのはこれだ。

 そしてその中、音哉宅に重なるように背の高い植物──竹、だろうか? 見えた。微かに広がる空は薄暗く見える。他の傾奇者ならばもっとよく見えるのだろうが、新羅にはこれが限界だ。とにもかくにも、虚けが自世界を展開しているのは間違いない。取り出した短刀をその空間目掛け降り下ろし──次いで新羅は瞠目した。


「……破れない……!?」

(──なんで……っそうか、もう十三夜だから強力になってるのか!?)


 端末を使用した事で、那由多には諸々の情報が伝わっているはずだが──


(まずい、瑠璃色が来るまで待つ余裕なんて……っ)


 冷や汗が流れた。こうしている間にも、上がる悲鳴は弱くなっているのが感じられる。どうしたら、どうすれば……この空間に入れなければ、そも時間稼ぎすらできない。ぎゅう、と強く短刀を握り締める新羅の横で、旭が空間の壁に手をつきながら声を張り上げる。


鞍之木くらのぎくん!? 大丈夫か!?」

「……あさひお前、聞こえてる、のか……?」


 その様子を見て、新羅は目を丸くした。呆然と呟く。


「え? いやそりゃ聞こえるけど……てゆーか、この壁みたいなのなんだ? 虚けのせいなのか? くそ、中で何が……っ!」


 焦ったように、旭が乱暴に頭を掻いた。


(──虚けの世界だぞ、中の声なんて普通聞こえるはずが……)


 那由多の術が効きにくい人間は、それなりにいるらしい。適合者でなくても、虚けが見える人間も一定数──けれど。虚けが展開する自世界は訳が違う。傾奇者は別として、虚けが自ら取り込もうとしている人間以外が簡単に見えるものではない。そも虚けは、自世界には適合者以外を基本的には入れようとはしない。


「……」


 ──その時。新羅の脳裏に浮かぶ、あるひとつの可能性。


(まさか……いや、でも)


 ばん! ばん……! と何かを叩く音に視線を上げれば、空間の壁へと拳を叩きつける旭がいた。


「っ!? 馬鹿、怪我す、る……」


 慌てて止めに入ろうとした新羅は、寸前でその動きを止めた。ばきりと独特の音を立てて、空間にひびが入る。一応新羅の声は聞こえていたらしい。ひびが入ってからは鞄でその部分を拡げていく。


「新羅くんは誰か来るまでそこにいてくれ! 俺が見て来るから!」


 屈めば人ひとりは入れそうな隙間に、旭はその身を滑り込ませた。


「……っ馬鹿、待て、あさひ!」


 その腕を、新羅は慌てて掴んだ。


「あさひ、一緒に行く。離れるな」


 新羅は頭を振るって先の考えを振り払った。今は適合者を救う事が先決だ、その可能性についてはあとで考えればいい。


「──行くぞ、油断するなよ」


 中に入った新羅は腕に貼った霊符を剥がし懐に戻すと、代わりに手のひら大の葉を取り出した。数度その表面をこすれば、すぐに葉が火を纏い、暗闇を仄かに照らし出す。


「ここは……」


 旭は辺りを見回した。

 空に向かい真っ直ぐ伸びるのは無数の竹だ。音哉の自宅前にいたはずが、空間の中に入った途端に広がっていた竹林に目を丸くし、思わず後ろを振り返る。すでに入っていた亀裂はどういった作用か塞がっていた──退路は絶たれた、と云う訳か。


「ここはあの虚けの世界だ、人間からしたら、“作品”の中」

「作品……」

「何のかは分からないけどな。──とりあえず進むぞ。いいか、新羅の後ろにいろ。離れるなよ」

「いや、新羅くんが俺の後ろに」

「馬鹿言うなこの馬鹿」

「……昨日のやつだろ? 昨日はビビったけど、新羅くんひとりに押しつけられないよ」


 何ができるかは分からないけれど。何もできないかもしれないけれど。それでもこの状況でひとり逃げ出すなんて事はできない。せめて、そばに。


「邪魔にならないようにするから」


 前を歩く新羅の髪が竹の葉に絡まって苦戦しているのを手助けしてやりながら竹の間を縫って足早に進んでいけば、不意に拓けた空間が見える。

 ふたりは身を隠すようにその場に屈み込んだ。こじんまりとした小屋のような家と、その脇には薪が重ねられており、それはまるで昔話に出てくる登場人物の家のような──


(そうか、ここは“作品”の中……っ!)

 俄には信じがたいが……新羅が嘘を言う理由もなく、そもそも目を逸らそうにも広がる景色が現実を突きつけてくる。


「……那由多が、瑠璃色を寄越してくれるはずだ。【字】が分かるの、瑠璃色だけだからな。とりあえず僕、じゃない新羅が様子を見てくるからお前はここに──ッ! 危ない!!」

「ひ……っ」


 はらりと一房、長い黒髪が宙に舞った。風圧を感じた時には新羅に庇われ地面に伏しており、恐る恐る視線を上げれば頭上の太い竹に鉈がぶっ刺さっており──一瞬でその場に緊張感が走る。


『ナンだ……誰だァ?』

「──っ!」


 ずしん、と地面が揺れる。

 家の中から、四つん這いの男が姿を現し──新羅が間髪入れずに飛び出した。鉈で切られたせいで不揃いの髪が跳ねる。


「っあさひ! 適合者はあの家の中だ! 連れて逃げろ!」

「いや、でも……っ!」


 高く跳躍した新羅が、男の顔面目掛け踵を降り下ろす。ぐらりと体勢が傾いだところを、すかさず下方から顎へともう一発。男の呻き声が響く。


「早く! 今日殺されれば、適合者は二度と戻らないぞ!」


 数秒逡巡し、しかし短刀を構えた新羅に退く気はないと悟り、自身も覚悟を決める。旭は竹に刺さる鉈を引き抜くと、男の家へと向かい駆け出した。


「……っ鞍之木くん助けたらすぐ戻るから!」

「安全なところにいろ!」


抱えた鉈が、重い。これが、音哉の命を奪うもの。よくよく見れば、刃には血がこびりついていて──ぞっと、背筋に寒気が走る。鉈を握る手に、知らず力がこもる。


(──鞍之木くん、無事でいてくれ……!)

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