第104話 中腹医療室開放、物置を寝台へ戻す

 負傷兵は、下まで落とすほど余裕のある拠点だけがやる。


 塔は違う。


 縦の距離が、そのまま遅れになるからだ。


 物見湯槽の前でよろけた狙撃帰りを、ロルフが支えている。


 頬に傷。


 肩口は血で濡れている。


 冷えで締まっていただけで、ちゃんと裂けている傷だ。


 このまま階段で下へ落とせば、途中で崩れる。


 そういう顔だった。


「王冠供給線主」


 ロルフが低く言う。


「中腹医療室がある」


「でも、今は物置だ」


「上層の寝台が埋まってるから、荷を突っ込んでる」



 ラザルが、即座に切り返す。



「塔の運用だ」


「上から埋めるのが正しい」


「負傷兵は下へ送る」



 いい。


 かなりいい。


 “正しい”と言い切ってくれると、ひっくり返す場所が綺麗に見える。



「違います」



 俺は即答した。



「塔は、途中で止めた方が早い」


「上でも下でもなく、中腹で止める」



「机の理屈だ」



「違います」


「血の理屈です」



 ノイルが、小さく息を吸った。


 ロルフの目が、少しだけこちらへ寄る。


 良い。


 通る言い方だ。



「場所を」


「案内します」



 ロルフがすぐ動いた。


 いい動きだ。


 狙撃帰りの肩を支えたまま、塔の内側の螺旋へ入る。


 昇降機を使わない。


 あえてだ。


 距離を体で見せるためだ。



 中腹は、思ったより近かった。


 だが、それでも“抱えて降りるには長い”。


 それが全部だった。



 中腹医療室の扉は、半分だけ開いていた。


 中は、予想通りだ。


 寝台はある。


 六床。


 だが、その上に積まれているのは、麻袋と帳面箱と予備の外套束。


 完全に物置だ。


 しかも、質の悪い使い方をしている。


 寝台を潰してまで置く荷じゃない。



「……これか」



 ノイルが、露骨に顔をしかめた。



「かなり嫌ですね」


「そうですね」



 ミレイユは、もう帳面を開いている。



「兵站区主」


「何です」


「これ、札が付いてます」


「どれです」


「上層優先物資、移動不可」



 好きだ。


 とても好きな札だ。


 こういう札は、剥がすためにある。



「剥がします」



 俺は言った。



「勝手なことをするな!」



 ラザルが怒鳴る。



「そこは上層物資の保管室だ!」



「違います」



 俺は答える。



「医療室です」


「寝台がある時点で、用途は決まってます」



 札を剥がす。


 べり、と乾いた音。


 良い音だ。



 そのまま、黒金便車から運び込んでいた医療箱を開ける。


 メイナの小箱だ。


 咳止め滴。


 凍傷油。


 止血布。


 簡易固定具。


 全部、今欲しいやつだ。



「ノイル」


「はい!」


「寝台を空けてください」


「荷は外へ」


「夜番搬入手当、追加で出します」


「了解です!」



 若い親衛隊長が、ほとんど跳ねるように動く。


 いい。


 こういう作業は、あいつに向いている。


 ロルフも、無言で手伝った。


 夜番頭が自分で動くと、周りの動きが一段速くなる。


 それもいい。



 麻袋を外へ。


 帳面箱を廊下へ。


 外套束は壁へ寄せる。


 寝台が、ようやく顔を出す。


 六床。


 全部使える。



「ここへ」



 俺は指示する。



「狙撃帰り、まず一人」


「次に、夜番で冷えが強いやつ」


「上からは取らない」



「……いいのか」



 ロルフが聞く。



「上が来るぞ」



「来ますね」



 俺は頷く。



「でも、その前に寝かせます」



 狙撃帰りを寝台へ下ろす。


 肩の裂傷を開く。


 冷えで固まっていた血が、じわりと戻る。


 悪くない。


 まだ間に合う。



「兵站区主」



 ノイルが、手を止めて言う。



「これ、医者いませんよね」


「今は」


「やります?」


「できる範囲で」



 止血布を当てる。


 圧をかける。


 凍傷油を指先へ。


 簡易固定具で肩を止める。


 専門ではない。


 だが、何もしないより遥かにいい。


 それで十分だ。



 狙撃帰りの若い兵が、小さく息を吐いた。



「……楽だ」



 それだけでいい。


 ここまで運んだ意味が出る。



「王冠供給線主」



 ロルフが言う。



「これ、残すのか」



「残します」



「医療室として」



「そうです」



 一拍置く。



「そのための札も切ります」



 起動箱から、新しい束を出す。



 王冠塔中腹医療札



 いい名前だ。


 かなりいい。



「これを持ってるやつは、ここへ入れる」


「夜番優先」


「狙撃帰り優先」



 ノイルが、すぐに札を切る。


 ロルフが、それを受け取る。


 配る。


 流れができる。


 とてもいい流れだ。



 その時だった。


 廊下の向こうから、硬い靴音が来る。


 上の顔だ。


 近習。


 帳場。


 そしてラザル。



「何をしている」



 代行監の声は、さっきより低い。



「そこは物資保管だと言ったはずだ」



「医療室です」



 俺は答える。



「寝台が六つあります」



「それを潰していたので戻しました」



「勝手に運用を変えるな」



「変えました」



 ラザルの顔が、はっきり歪む。



「責任は取れるのか」



「取ります」



「どうやって」



 いい質問だ。


 かなりいい。



「上層用の寝台と湯を、後で高く売ります」



 一拍、空気が止まる。



「……何だと」



「夜番と狙撃帰りを先に通す」


「そのあとで、上の客に売る」


「収支は合わせます」



 ミレイユが、横で小さく笑った。



「合いますよ」



「物見湯槽、もう三枠埋まりました」



「寝台も、上の客が待ってます」



 ラザルが、初めて少しだけ黙る。


 いい。


 “怒り”から“計算”へ移った顔だ。



「……高く売れるのか」



「かなり」



 俺は答える。



「塔の上で温まって、そのまま寝られる席なので」



 ロルフが、そこで小さく笑った。



「嫌な供給線主だな」



「知っています」



 いい。


 かなりいい。



 中腹医療室は、もう物置じゃない。


 寝台だ。


 湯のあとで、そのまま落ちてこれる場所だ。


 狙撃帰りも、夜番も、ここで止まれる。


 それで十分だ。



「王冠供給線主」



 ノイルが、医療札を持ちながら言う。



「これ、かなり好きです」


「何がです」


「上でも下でもなくて、途中で助かる感じ」


「いいですね」


「めっちゃです」



 若い親衛隊長のその感想は、かなり正しい。



 塔は縦だ。


 だから、途中を取ると一気に楽になる。



 だったら次は、


 この中腹医療室と物見湯槽を繋げて、


 “湯→寝台→復帰”の流れを固定すればいい。

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