第91話 離宮地下庫の呼び出し、王冠家族便札と温食箱の鍵が出る

 王家の線は、金より先に熱を運ぶ。


 だから上の連中は、

 腹が減る前に、

 だいたい温かい。



 零号中央庫主になった翌朝。


 最初に戻った黒便は、

 母からの短い紙だった。



『昨夜は一度も起きませんでした。

 今朝、妹が自分でパンを取りに行きました。

 温かい汁物があると、やっぱり違うみたいです』



 上出来だ。


 とても上出来だ。


 咳は止まった。


 夜も越えた。


 だが、最後の一行が残る。


 温かい汁物があると違う。


 そういうのは、腹へよく落ちる。



 その紙の上へ、

 今度は黒金の封が落ちた。


 王冠印だ。


 嫌いじゃない。


 こういう封は、

 たいてい上等な物のある方へつながっている。



 開く。


 中は短かった。



 王冠直通供給線照合命

 本日正午前

 王都兵站区主兼零号中央庫主カイル・ルーヴェン

 零号最奥 王冠直通昇降井へ出頭



 いい。


 わかりやすい。


 次の当たりとしては十分だ。



「兵站区主」



 ノイルが、白毛皮の親衛隊長外套を着たまま覗き込んでくる。



「今日、どこまで行くんですか」



「王家の下です」



「嫌な言い方ですね」



「温かい物がありそうなので」



「それは、だいぶありそうです」



 若い親衛隊長は、

 少しだけ考えてから続けた。



「俺も行きますよね」



「行きます」



「よかった」



「ただし、見るだけで終わるかはわかりません」



「それ、いつもですね」



 悪くない返しだ。


 だいぶわかってきた顔をしている。



 メイナは、零号医療棟の診札机で薬瓶を並べたまま言った。



「私は上を回す」


「妹の小児診札、今日も切れるようにしておく」



「助かります」



「その代わり、下で良い箱を見つけたら持ってきて」


「咳に効くやつ」



「そうします」



 若い救護長の目も、もう欲しい物をはっきり見ていた。


 悪くない。


 そういう目は頼りになる。



 ミレイユは、もう黒金の封を見た時点で楽しそうだった。



「兵站区主」



「何です」



「商人は、王家だけが使っている速さに弱いんですよ」



「理由は」



「高いからです」



「正直ですね」



「商人ですので」



 好きな答えだ。



 正午前。


 零号中央庫主室のさらに奥。


 昨日まで閉まっていた黒金扉の前には、

 もう人が立っていた。


 黒金の外套。


 縫い目の良い手袋。


 髪も髭もきれいすぎる。


 寒さの中でも、

 先に自分を温めてきた男の顔だ。



 王冠供給総監オズヴァルト・バルディア。


 名乗らなくても、

 そういう役だとわかる顔だった。



「王都兵站区主」



 男はまず、俺ではなく印を見る。



「零号中央庫主でもあるらしいな」



「そのようです」



「だからといって、王冠直通線へ商人と兵を連れてくるな」



 視線がミレイユとノイルへ向く。


 あからさまだ。


 嫌味が服を着ているみたいな男だ。



「列があるので」



 俺は答えた。



「速さと湯と寝台が絡むなら、商人の目は要ります」



「兵は」



 オズヴァルトが低く言う。



「何のためだ」



「見張りです」



 セレナが槍を立てたまま答えた。



「上の人間ほど、地下で面倒を起こす顔をしているので」



 王冠供給総監の口元が、ほんの少しだけ引きつる。


 いい。


 効いている。



 そこへ、ハルバードが遅れて階段を下りてきた。


 青黒い外套の評議官は、

 今日も眠そうだった。


 だが、目だけは起きている。



「始めるぞ」



 短い。


 だが十分だ。



 黒金扉は、零号主扉よりも背が高かった。


 中央に印座。


 その下に、二つの鍵穴。


 さらに、その横には、ただの点検箱みたいな細い鉄蓋がついている。


 だが、ただの点検箱じゃない。


 床石の上に、

 油の薄い光が残っていた。


 新しい擦れもある。


 しかも、蓋の下からほんのわずかに温気が漏れている。



 いい。


 好きな顔だ。


 隠したがっている箱の顔だ。



「そこを開けてください」



 俺が言うと、オズヴァルトはすぐに顔をしかめた。



「不要だ」



「昇降井の整備箱だ」



「よく使ってますね」



 俺は床石を指した。



「鍵穴の削れが新しい」



「……見る癖が悪いな」



「仕事なので」



 王冠供給総監は、露骨に嫌そうだった。


 だが、遅い。


 もう見た。


 ハルバードも見た。


 セレナも。


 ミレイユまで床石の油を見ていた。



「開けろ」



 第一兵站評議官が言う。



「照合命は、そのためにある」



 オズヴァルトは舌打ちを飲み込み、細い黒鍵を差した。


 左は合う。


 右は合わない。


 そこで男の手が止まる。


 やはりだ。


 片方は、別の権限にしてある。



「右も」



 俺は言った。



「ないなら、こっちでやります」



 零号中央庫主印。


 それを右の印座へ押す。


 ぴたり、と噛んだ。


 いい感触だ。


 蓋が、低い音を立てて半歩だけ開いた。



「……は?」



 ノイルの声が漏れる。



「兵站区主」



「何です」



「今の、王都の一番奥でもやるんですね」



「鍵穴があるので」



「便利だなあ……」



 若い親衛隊長のその感想は、だいぶ正しい。



 蓋を開く。


 中には、小さな黒金箱が一つ入っていた。


 さらに、その下に薄い札束と巻図。


 黒金箱を開く。


 そこに入っていた物を見た瞬間、

 ミレイユの目がはっきり変わった。



 王冠家族便札 一綴り

 温食箱北鍵 一

 王冠通行札 四

 王冠寝台室一号鍵 一

 離宮地下庫案内図 一

 黒金運行板 一



 いい。


 露骨にいい。


 欲しい物の名前しか並んでいない。



「兵站区主」



 ノイルが、本気で目を丸くした。



「王冠家族便って、もう名前がすごいです」



「そうですね」



「温食箱って何ですか」



「たぶん、温かい食い物の箱です」



「王家っぽいな……」



 かなり王家っぽい。


 嫌になるくらい王家っぽい。



 ミレイユは、王冠家族便札の紙質を指で確かめていた。



「上等ですね」



「どのくらいです」



「今日着くどころじゃない」


「“途中で待たせない”側の札です」



「好きです」



「知ってました」



 久しぶりに、そういう返しが出た。


 この女は本当にそういう札が好きだ。



 黒金運行板を広げる。


 薄い金線で、短い線路図が引かれていた。



 離宮北館 即時

 王都南三区中継箱 半日

 零号中央庫 即応

 北方本戦線王冠塔 三刻遅れ



 そこで、少しだけ指が止まる。


 南三区。


 母と妹がいる方角だ。


 しかも同じ線の先に、

 北方本戦線王冠塔がある。


 王都の家と、本戦線の塔が、一本の黒金線でつながっている。


 かなり良い。


 いや、良いを通り越して、だいぶひどい。


 今まで上だけが使っていたなら、なおさらだ。



「兵站区主」



 ノイルが運行板を覗き込んで言う。



「南三区と、本戦線って同じ線なんですか」



「そのようです」



「……すごいですね」



「嫌な方に、です」



 若い親衛隊長は、少しだけ顔をしかめた。


 いい顔だ。


 上の便利さが、

 どれだけ下を置き去りにしていたか見えた顔だ。



 その時だった。


 点検箱のさらに奥で、小さな金属音が鳴った。


 温い。


 乾いた。


 箱が動く音だ。


 点検蓋の右側に、もう一つだけ細い抜き口があったらしい。


 そこから、黒金の小箱がゆっくり滑り出てきた。


 温食箱だ。


 手のひら二つぶんほど。


 黒金の二重壁。


 側面に小さく札がある。



 離宮北館 朝食



 いい。


 すごくいい。


 同時に、腹立たしいくらいわかりやすい。



「開けます」



 俺が言うと、オズヴァルトがすぐに声を荒げた。



「触るな!」



「王家配膳だぞ!」



「見ればわかります」



 俺は温食箱北鍵を差した。


 かちり、と鳴る。


 蓋が開いた。


 白い湯気ではない。


 もっと静かな熱だ。


 柔らかい肉の匂い。


 焼いた小パン。


 香草を落とした澄んだ汁。


 冷えていない。


 下から上まで、

 ちゃんと温かいままだ。


 それが一番腹に来た。



「……これ」



 ノイルが呆然としていた。



「兵站区主」



「何です」



「王都の上の人、兵が冷えてる朝でもこれ食べてたんですか」



「そのようです」



「ちょっと腹立ちます」



「正常です」



 ミレイユが、箱の熱を指で測るみたいに触れた。



「これ、かなり高いですよ」



「どう高いんです」



「冷えない」


「待たない」


「しかも、運ぶ途中で崩れない」


「上の人間が好きな条件が全部入ってます」



 悪くない説明だ。


 だいぶ悪くない。



 オズヴァルトが、そこでようやく本音を吐いた。



「王冠に先に満ちるから国は回る」



 低い声だった。



「上が冷えれば、下も死ぬ」


「だから、まず上へ運ぶ」



 好きじゃない理屈だ。


 だが、わかりやすい。


 だからこそ切りやすい。



「今、王都兵站区の列で冷えている方が先です」



 俺は答えた。



「それでも、まず上ですか」



 王冠供給総監は何も言わなかった。


 ハルバードが、その沈黙を見てから短く言う。



「照合対象として回収する」



 黒金箱を閉じる。


 王冠家族便札。


 温食箱北鍵。


 王冠通行札。


 王冠寝台室一号鍵。


 離宮地下庫案内図。


 黒金運行板。


 全部、こっちの机へ寄せる。



 いい。


 今のところは、これで十分だ。


 鍵がある。


 線が見えた。


 温食箱も一つ出た。


 次にやることは、もう決まっている。



「兵站区主」



 ミレイユが、運行板の金線を見たまま言う。



「離宮地下庫、かなり良い匂いがしますね」



「ええ」



「温食箱があるなら、内窓布も薬膳箱もある」



「その顔は商人ですね」



「商人ですので」



 好きな顔だ。


 とてもわかりやすい。



 ハルバードが、最後に黒金扉を見上げた。



「今日の照合はここまでだ」



「降りないんですか」



 ノイルが思わず聞く。



「今日は鍵と線が出た」



 第一兵站評議官が答える。



「それで十分に高い」



 その通りだ。


 無理に一気に行くと、箱より先に人が壊れる。


 鍵は取った。


 線も見えた。


 なら、次はもっと良い形で降りればいい。



 上へ戻る。


 昇降井の鎖が鳴る。


 温食箱はまだほんのり温かい。


 王冠家族便札は薄いのに、妙に重かった。


 母と妹のいる南三区。


 北方本戦線王冠塔。


 同じ黒金線でつながっている。


 それだけで、次の景色はもう十分に見えていた。



 王都兵站区へ戻ると、

 列はまだ切れていなかった。


 湯札。


 診札。


 家族便。


 遺族金机。


 全部がまだ動いている。


 そこへ、温食箱の匂いまで持ち帰った。


 悪くない。


 だいぶ悪くない。



「兵站区主」



 ノイルが、上がってきた瞬間にまた聞く。



「次、あれを開けるんですよね」



「ええ」



「温食箱、いっぱいあると思います?」



「相当あると思います」



「……楽しみです」



「同感です」



 主室の机へ、黒金の品を並べる。


 王冠家族便札。


 温食箱北鍵。


 王冠通行札。


 王冠寝台室一号鍵。


 離宮地下庫案内図。


 黒金運行板。


 見ているだけで、気分がいい。


 上のやつだけが使っていた便利さが、

 ちゃんと鍵と札の形でこっちへ落ちてきたからだ。



 だったら次は、


 離宮地下庫へ降りて、


 温食箱と内窓布と上級薬膳箱を山ごと拾えばいい。

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