第17話 囲まれても儲かる砦、弩矢一本に銅貨をつける
包囲は、普通は貧しくなる。
道が塞がれ、
荷が止まり、
財布が痩せる。
だから怖い。
逆に言えば、
そこへ値札をつけてしまえば、
少しだけ話は変わる。
西の尾根に狼旗が並んだ翌朝。
第八市庭は、また普通に開いた。
鍋は煮えている。
湯気もある。
値札も立っている。
違うのは、
市庭門の上に見張りが増えたことと、
兵たちの腰に、昨日より長い縄と鉤が下がっていることだけだ。
「補給主任」
ノイルが、朝一番で新しい掲示板を抱えてきた。
「これ、どこへ立てますか」
「市庭門の真下です」
「昨日の値札の横?」
「ええ」
「……嫌な場所ですね」
「一番見えるので」
「好きだなあ……」
俺は木札を一枚ずつ掛けた。
包囲戦報奨札
回収弩矢一本 銅貨一枚
火壺一個 銅貨二枚
火消し成功一件 銅貨三枚
折損盾車板一枚 銅貨五枚
投棄武器回収 銅貨二枚
壁補修一刻 銅貨三枚
市庭門前夜番 銀貨一枚
火傷なしで生還 追加銅貨二枚
見た瞬間、
兵たちの顔が変わった。
「本当に出るんですか」
「出ます」
「弩矢拾うだけで銅貨一枚?」
「一本につき」
「火壺は二枚!?」
「火壺は熱いので」
「納得したくないけど納得します!」
笑いが起きる。
いい。
怖いものに値札がつくと、
人は少しだけ前を向ける。
ベリクが鍛冶火床の前から大声を出した。
「折れた弩矢でも、鉄が残ってりゃ半額で買うぞ! 矢尻が生きてたらこっちで使う!」
ロドも負けじと怒鳴る。
「車輪の鉄帯や釘も拾ってこい! 泥ごとでもいい、洗えば使える!」
マルタは鍋杓子を振った。
「夜番と火消しには、豆鍋一杯追加だよ! 空腹で火壺追うんじゃないよ!」
市庭がどっと沸く。
ミレイユが、すぐ横に小さな机を出させた。
「回収品査定机、ここに置きます」
「早いですね」
「銅貨を払うだけじゃ、商売になりませんから」
「どう回すんです」
「拾ってきた弩矢はベリクへ。火壺と油壺はこっちで再査定。折れた板はロドへ。査定料は報奨とは別に、商会が持ちます」
「好きです、そういう女」
「知っています」
さらに、避難民の子どもたちまでざわつき始める。
「水運びもお金もらえる?」
小さな女の子が聞く。
「もらえます」
俺は新しい木札を足した。
火消し水桶運び 一往復 銅貨一枚
子どもたちの目が、一斉に輝いた。
「やる!」
「俺も!」
「走るの得意!」
いい。
働けるやつには仕事を。
動いたやつには銅貨を。
それで回るなら、かなり強い。
午前の半ば。
最初の試し射ちが来た。
西尾根の弩兵が、低い音を響かせる。
次の瞬間、
太い弩矢が市庭門の右脇へ突き刺さった。
どん、と重い音。
木片が散る。
昨日なら凍った空気も、
今日は少し違った。
ノイルが最初に叫ぶ。
「銅貨一枚きた!」
「生きてから拾ってください!」
俺は即座に怒鳴る。
兵たちが笑いながら身を低くする。
弩矢はもう一本来た。
今度は屋台の天幕を裂いたが、深くは入らない。
布売りの女が、布の端を押さえながら叫ぶ。
「これ、布代も報奨に入るのかい!?」
「価格札を守ってる店は補償対象です!」
「好きだよ、そういうの!」
怖い。
だが、怖いだけで終わらない。
回収班が、盾板を持ってじりじり前へ出る。
火消し班が後ろにつく。
ノイルは、その後ろで縄鉤を握りしめていた。
「補給主任!」
「何です!」
「一本、取れそうです!」
「生きて戻ったら銅貨二枚です!」
「増えた!」
若い兵は本気で嬉しそうだった。
一本目の回収は、
ベリクの見習いの少年がやった。
盾板の陰から這い出て、
刺さった弩矢へ縄鉤をかけ、
二人がかりで引きずる。
戻ってきた瞬間、
市庭がどっと沸いた。
「おおっ!」
「本当に持ってきた!」
「でかいな!」
俺はその場で銅貨一枚を払う。
少年の手が震えた。
「……ほんとにもらえる」
「働いたので」
「第八砦、すげえ……」
「知っています」
笑いが広がる。
弩兵はさらに撃ってくる。
一本。
二本。
三本。
こっちは全部を防げない。
だが、当たるたびに銅貨が動く。
ベリクは回収された矢をすぐ火床へ回し、
折れた矢柄は薪へ、
生きている矢尻は新しいボルトへ変えていく。
「補給主任!」
ベリクが嬉しそうに怒鳴る。
「これ、敵が撃つほど鉄が増えるぞ!」
「好きな状況ですね!」
「かなりな!」
昼前には、
市庭門の下に回収弩矢が二十七本並んだ。
その横で、ミレイユが帳簿を見ながら口笛を吹く。
「報奨で銅貨二十七枚出して、回収した鉄の査定と市庭の朝売上で銀貨二枚以上残ってます」
「黒字ですか」
「かなり」
「好きです」
「知っています」
包囲されてるのに黒字。
嫌な砦だ。
かなり嫌で、かなり強い。
だが、向こうも黙ってはいない。
正午を少し過ぎた頃。
西尾根の弩兵が撃ち方を変えた。
今度は弩矢じゃない。
火壺だ。
布を巻いた壺が大きく弧を描き、
市庭の上へ落ちてくる。
「火だ!」
誰かが叫ぶ。
一つ目が、市庭門前の砂樽へ当たって割れた。
粘る火が散る。
だが、もう準備はしてある。
「火消し班!」
セレナの声が飛ぶ。
子どもたちが水桶を運ぶ。
避難民の女たちが防火布を被せる。
兵が砂をかぶせる。
火は広がる前に死んだ。
しかも、
壺の破片がほとんど残った。
マルタが鍋杓子を持ったまま笑う。
「補給主任! 火壺一個、銅貨二枚だっけ!」
「破片でも査定します!」
「好きだよ、そういうの!」
西尾根から見れば、
火を投げたのに、
こっちは銅貨と笑いで返している。
気分は悪いだろう。
その証拠に、
次の動きは明らかに苛立っていた。
太鼓が鳴る。
西尾根の中腹から、
一台の盾車が押し出される。
その後ろに火壺持ち。
左右に私兵。
弩兵は上から援護。
狙いは明らかだった。
市庭門。
昨日まで自分たちの盾車だった門を、
今度は新しい盾車で壊しに来る。
「副司令」
「見えている」
セレナが槍を担ぎ直す。
「どうする」
「正面から受けます」
「それだけか」
「受けたあと、横から折ります」
俺は市庭門の内側へ走った。
昨日組んだ滑車。
盾車から流用した支え脚。
ロドが補強した扉軸。
そして、門前に埋めた転輪楔。
全部、ここで使う。
「ノイル!」
「はい!」
「三つ目の杭の縄を握っててください! 俺が言うまで切るな!」
「わかりました!」
「軍曹! 門がぶつかったら右へ! 副司令は左!」
「おう!」
「ああ!」
盾車が来る。
遅い。
重い。
だが、近づくほど矢を弾く板は厄介だ。
火壺持ちも後ろに六人いる。
あれを近づけすぎると面倒だ。
「まだだ」
俺は市庭門の影で、滑車へ手をかける。
盾車が距離を詰める。
十歩。
八歩。
六歩。
後ろの私兵が吠える。
「押せ! 押せ!」
四歩。
三歩。
「今だ!」
ノイルが縄を切る。
市庭門の上から、
防火布と一緒に砂袋が二つ落ちた。
盾車の前面へまともに当たる。
重さで一瞬、押し手の足が止まる。
その瞬間、
俺は滑車を解放した。
市庭門の右側に隠していた鉤鎖が飛ぶ。
狙うのは板じゃない。
右前輪だ。
鉤が噛み、
ロドと車輪工たちが後ろで巻き上げる。
「回せ!」
「おう!」
縄が鳴る。
盾車がわずかに引かれる。
さらに、その右前輪は、
ちょうど埋めていた転輪楔へ乗った。
ばきり、と嫌な音。
車輪が裂ける。
重い盾車はそのまま右へ傾き、
押していた私兵ごと横倒しになった。
火壺持ちが悲鳴を上げる。
抱えていた壺が二つ落ち、
自分たちの足元で割れた。
火が上がる。
「撃て!」
門上の連弩架台が唸った。
短い太ボルトが、
火壺持ちの肩と腿をまとめて貫く。
さらに、セレナが左から飛び出した。
槍が一閃する。
先頭の私兵の喉が裂ける。
二人目は火に足を取られて転び、
そこへガレスの槍が入った。
俺も前へ出る。
横倒しになった盾車の支え脚へ手をかける。
【《野戦工房》起動】
【構築対象を再編します】
支え脚がさらに開く。
横倒しの盾車が、
今度は完全に道の真ん中へ寝る。
板。
鉄。
脚。
全部が広がり、
即席の障害物になる。
「前に来い! 来たら詰まるぞ!」
俺がわざと怒鳴ると、
後ろの私兵は本当に迷った。
強い場所から押し込めば勝てると思っていたのに、
前には火と板と死体が詰まっている。
ここで一気に腰が引けた。
それでも一人だけ、痩せた私兵が突っ込んできた。
剣の握りが浅い。
焦っている。
腹も減っていそうだ。
遅い。
俺は足元の火壺箱から、
まだ割れていない壺を一つ拾って横へ投げた。
敵へじゃない。
盾車の裏だ。
火は上がる。
煙が回る。
痩せた私兵が、一瞬だけそちらを見た。
その隙に、俺は踏み込んだ。
短い鉄棍で手首を打つ。
剣が落ちる。
そのまま腹へ膝。
崩れたところを、盾車の板へ押しつける。
「投げろ」
「……っ」
「投げろ。生きていたいなら」
痩せた私兵は、すぐにうなずいた。
後ろの二人も、武器を捨てる。
いい。
十分だ。
残りは退いた。
西尾根の太鼓が、焦った調子で鳴る。
撤退だ。
向こうもわかったんだろう。
このまま押し込むと、火壺と盾車を余計に取られる。
「追うな!」
俺はすぐに叫んだ。
「板と壺を見ろ! 敵より高い!」
兵たちは踏みとどまる。
いい判断だ。
追撃より、
今は回収だ。
市庭門の前には、
横倒しになった盾車一台、
火壺箱二つ、
折れた槍と剣、
火壺の破片、
太ボルト、
そして、生きた捕虜が三人。
最高だ。
かなり最高だ。
ノイルが、目を輝かせて走ってくる。
「補給主任! 火壺、まだ五つ生きてます!」
「銅貨十枚ですね」
「すごい!」
「かなり」
「俺、火消しして、弩矢拾って、火壺まで拾えます!?」
「生きていれば」
「第八市庭、最高です!」
市庭がどっと笑う。
その笑いの中で、
ミレイユはもう帳簿を開いていた。
「回収確認。火壺生存五、破片多数。盾車板大物一、脚材四、太ボルト十九。報奨支払見込み、銀貨三枚と銅貨九十四」
「売上は」
俺が聞く。
「火壺騒ぎで灯油と防火布と水桶が売れました。鍋も増えました。差し引き、まだ黒字です」
「包囲されてるのに?」
「かなり」
ロドが転がった盾車を嬉しそうに叩く。
「この脚と板、第二柵の外へ一枚増やせるぞ」
ベリクも火壺の破片を拾いながら言う。
「壺の鉄帯も使える。矢尻も増える」
マルタは鍋をかき回す。
「火消し班に豆鍋おかわり出すよ!」
避難民の子どもたちまで、銅貨を握って頬を熱くしていた。
「見て! 三枚!」
「俺も!」
「火、消しただけで!」
いい。
本当に強い。
"守った"だけじゃない。
"守るほど得をする"。
これが回り始めると、
包囲はただの消耗じゃなくなる。
夕方。
戦闘の片付けが一段落したところで、
俺は捕虜三人を市庭門の脇へ連れてこさせた。
痩せた私兵。
肩を撃たれた火壺持ち。
もう一人は、若い弩兵だ。
どいつも顔色が悪い。
怪我だけじゃない。
腹の色だ。
「名前を」
俺が聞く。
痩せた私兵が答える。
「……エルド」
「飯は?」
「昨日の夜に薄い豆粥。今朝は半分」
「給金は」
「二か月、止まってる」
周囲の空気が変わる。
兵たちが顔を見合わせる。
ノイルが思わず声を漏らした。
「二か月!?」
「死ぬな、それ」
ガレスが鼻を鳴らす。
「死にゃしねえ。腹が減るだけだ」
「どっちにしろ嫌です」
ノイルが真面目に言う。
「かなりです」
若い弩兵は、絞るように言った。
「攻め落としたら払うって……言われた」
「今までも?」
セレナが聞く。
「……三つ前の村でも」
火壺持ちの男が、膝の上で手を握りしめる。
「市場を焼けば、銀貨が出るって聞いた。だから来た」
「出ましたか」
俺が聞く。
「まだだ」
「でしょうね」
俺は、捕虜から奪った腰袋を開けた。
中から出てきたのは、
銀貨じゃない。
木札だ。
細い、安い札。
片面に私印。
片面に数字。
私兵給付札
支払保留
紙より軽い。
なのに、腹には入らない。
「……最低ですね」
ミレイユが静かに言う。
「かなり」
俺は答えた。
その時、ヨナスが、火壺の破片を運ぶ手を止めて言った。
「村を焼いたやつらが、今は豆粥半分か」
「そうですね」
「ざまあみろ、って言いたいけど」
「言いにくい?」
「少しだけな」
少しだけわかる。
腹の減った兵は、
使い方次第で向きを変える。
しかも今、
こっちには豆鍋と銀貨がある。
かなり具体的にある。
俺は三人の捕虜へ、水と豆鍋を出させた。
痩せた私兵エルドが、まず疑った顔をした。
「……毒は」
「ありますか?」
俺が聞く。
ノイルが本気で首をかしげる。
「ないです」
「じゃあないです」
「適当だな」
「豆がもったいないので、変なことはしません」
エルドはしばらく鍋を見ていたが、
やがて一口すすった。
肩を撃たれた男も、
若い弩兵も続く。
食う顔だ。
やっぱり腹は正直だ。
ミレイユが、横で帳簿を閉じながら言った。
「補給主任」
「何です」
「これ、かなり使えますね」
「ええ」
「銀貨と豆で」
「かなり」
「嫌な男」
「知っています」
夜。
第一波は止まり、
西尾根の焚き火が増えた。
だが、向こうの炊煙は薄い。
飯が少ないんだろう。
第八市庭のほうは違う。
鍋の匂い。
灯り。
夜番札。
回収机。
火床。
囲まれているのに、
中のほうがよほど"生きている"。
その時だった。
市庭門の外、堀の手前で、
かすかな物音がした。
見張りの兵が槍を向ける。
「止まれ!」
暗がりの向こうから、
小さな白布が上がる。
人影は一つ。
よろけながら、ゆっくり前へ出てきた。
痩せている。
革鎧は泥だらけ。
腰の剣は、もう鞘ごと外して両手で持っていた。
敵の私兵だ。
「撃つな」
俺が言う。
人影は堀の手前で膝をついた。
顔を上げる。
若い。
昼に見た捕虜ではない。
だが、目は同じだ。
腹の減った目。
そいつは、震える手で何かを差し出した。
私兵給付札。
支払保留。
それを、堀のこちらへ投げる。
「……銀貨一枚と、豆鍋一杯で」
声がかすれている。
「話を売りたい」
市庭の空気が、静かに張る。
俺は一歩前へ出た。
「一人分ですか」
「違う」
そいつは息を呑み、喉を鳴らす。
「俺だけじゃない。あと七人いる」
西尾根の焚き火の向こうで、
狼旗が揺れていた。
いい。
かなりいい。
向こうから、寄ってきた。
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