第二章 辺境市塞編 ――補給係の俺、砦を市場にして団長本隊を干上がらせる

第11話 南庭開市、銀貨を持った兵と商人が勝手に集まってくる

 銀貨は、匂いがある。


 白旗が南の坂を下りきるより早く、

 商人はその匂いを嗅いで寄ってきた。



 第八砦の外、南門の手前。


 リディアの一行が去ったあと、

 荷馬車を止めた小商人たちが、恐る恐るこちらを覗いている。



 布売り。

 油売り。

 針糸商。

 干果物の行商。

 鍛冶道具を積んだ車輪工。


 みんな同じ顔だった。



「入っていいのか」

「ここ、本当に砦だよな」

「兵が銀貨を持ってるって本当か」



 いい顔だ。


 飢えた顔じゃない。

 儲けを嗅ぎつけた顔だ。



「副司令」



 俺はその列を見たまま言った。



「南庭、開けます」


「今からか」


「今だからです」



 セレナが眉を上げる。



「兵が給金を持っている日を逃す市場は、ただの鈍い広場ですよ」


「嫌な言い方だな」


「かなり本気です」



 その横で、ミレイユが楽しそうに笑った。



「好きですよ、そういう男」


「ありがとうございます。中央二区画、欲しいなら先払いで」


「まだ何も言ってませんけど」


「言う顔をしてるので」



 彼女は肩をすくめた。



「当たりです。両替机と送金卓、それから代筆机。中央を二つ押さえたい」


「十日で金貨一枚」


「高いですね」


「兵が今日から銀貨を持って歩く砦の中央ですよ」


「……好きですね、その値段」


「払いますか」


「払います」



 即答だった。


 ミレイユは腰袋から金貨を一枚出し、

 わざと俺の掌へ落とした。



 硬い。

 重い。

 いい音だ。


 ガレス軍曹が横で笑う。



「開市前から金貨かよ」


「商売は早いほうが勝ちます」


「夢がねえな」


「生活があるだけです」



 セレナが門の内側へ振り返った。



「南庭を開けろ! 荷車置き場を空ける! 補給主任の指示に従え!」



 兵たちが一斉に動く。


 俺も動いた。


 南庭の端に積んであった、

 壊れた盾板、折れた槍柄、荷車の側板、余りの釘束、布の切れ端。


 全部、材料だ。



【《野戦工房》起動】

【資材を認識します】


【木材 百三十二】

【鉄材 五十七】

【布材 中】

【釘束 多数】

【革紐 中】


【構築可能】

【――屋台骨組み】

【――荷札板】

【――市札】

【――掲示板】

【――税箱】

【――簡易天幕柱】



「まず、通路を作る」


 俺は南庭の地面へ、靴先で線を引いた。



「ここが中央通り。左右に屋台列。西側は食い物と日用品。東側は修理と道具。荷車は南端へまとめる。鍛冶火床は風下、油は北壁から離せ」



 ノイルが走ってくる。



「補給主任! 荷車、どこまで入れていいですか!」


「荷車置き場の白線まで。轅が出たら出店料を二倍」


「二倍!?」


「通路を潰すやつは損したほうが覚えます」


「好きだなあ……」


「仕事です」



 兵たちが笑いながら、縄を張る。

 木札を打つ。

 荷車を並べる。


 その真ん中で、俺は《野戦工房》を流した。



 槍柄が柱になる。

 盾板が折り畳み台へ変わる。

 荷車の側板が天板へ噛み合い、

 余り布が屋根になった。


 南庭に、屋台が生える。



 一つ。

 二つ。

 三つ。

 四つ。


 商人たちの目が丸くなる。



「おい……」

「今、屋台が増えたぞ」

「砦ってこんな速度で市場になるのか?」



 ならない。


 俺がいる時だけだ。



「出店条件を出します」



 俺は新しく立てた掲示板へ、焼き付けた木札を順に掛けた。



 南庭出店札 一日 銅貨八枚

 荷車置き場 一台 銅貨五枚

 倉庫預かり 最低 銅貨八枚

 高価品保管 銀貨一枚から

 鍛冶火床使用 銅貨十枚

 揉め事一件 罰金二倍

 盗み 追放



 ざわめきが広がる。


 布売りの女が、すぐに眉をひそめた。



「銅貨八枚? 少し高くないかい」


「高いです」


「認めるのかい」


「兵が給金を持っていて、護衛付きで、夜は砦の中へ寝かせる市場です。安いほうがおかしい」



 油売りの男が、腕を組んだ。



「夜も置いていいのか」


「金を払えば」


「盗まれたら?」


「預かり札を切った荷は、同額まで第八砦が補償します」



 商人たちの顔が変わる。


 そこだ。


 ただ場所を貸すだけじゃ弱い。

"ここに置くほうが得"まで言わないと、人は本気で集まらない。



 ミレイユがすぐに口を添えた。



「しかも、ここの兵は昨夜も今朝も生き残っています。護衛の質は、そこらの宿場よりずっと上ですよ」


「自分の投資先を褒めるの、上手いですね」


「商人ですから」



 最初に動いたのは、布売りの女だった。



「じゃあ一日分。あと、針糸を少し広く並べたい」


「南庭札二番を」



 俺は小さな木札を渡した。

 表に二、裏に南庭。


 彼女はそれを見て、少しだけ笑った。



「こういう札、好きだよ」


「失くしたら再発行は銅貨二枚です」


「商売上手だね」


「生活がかかっているので」



 次は油売り。

 その次は干果物屋。

 続いて鍛冶道具屋。


 金が動き始めると、人は早い。



 その時だった。


 一台の荷車を押していた痩せた男が、俺の前へ来る。



「出店札一枚だ」



 荷台を見る。


 樽が三つ。

 鍋が数枚。

 奥に布包み。


 だが、車輪の沈みが重い。



「五つですね」



 俺は言った。


 男の顔が固まる。



「何がだ」


「樽。申告は三。実際は五」


「そんなわけ――」


「左後輪が沈みすぎてる。しかも布包みの下に鉄がある。出店料はそのまま、荷車置き場を二台分。倉庫預かり札も追加です」



 周囲の商人が、一斉にそいつを見る。

 男は歯噛みした。



「見ただけでわかるのか」


「補給官なので」


「……ちっ」



 銅貨を余分に出す。


 いい。



 こういうのは最初に見せておかないと、

 あとで雑音になる。


 ガレスが横で笑った。



「さすがだな補給主任」


「申告が甘い荷は、だいたい重いので」


「嫌な才能だ」


「褒め言葉として受け取ります」



 出店が始まる。


 布が吊られる。

 油瓶が並ぶ。

 針糸が箱ごと広がる。

 干果物の木皿が並び、甘い匂いが混ざる。



 そこへ、給金を受け取った兵たちが雪崩れ込んだ。


 一番先に走ったのは、ノイルだ。



「補給主任! 便箋どれですか!」


「代筆机の横です」


「母ちゃんに送るやつ、丈夫な封筒が欲しいです!」


「金貨は入れないですよね」


「銀貨二枚だけです!」


「なら真ん中の厚さで足ります」


「ありがとうございます!」



 若い兵が真顔で礼を言って走っていく。


 その後ろでは、別の兵が針糸を握っている。



「妹に髪紐送るなら、こっちの色がいいか……?」


「知らないですよ」


「補給主任、意外と役に立たねえな」


「その相談は市場の外でしてください」



 笑いが広がる。


 いい。


 銀貨を持った兵が、

 買うものを迷っている。


 この光景は強い。


 かなり強い。



 ミレイユの両替机にも、すぐ列ができた。



「送金はこっち! 封蝋あり、受領札あり、代筆付きは銅貨一枚増し! 負傷兵は先!」



 彼女の声はよく通る。


 商売の声だ。


 その横で、俺は税箱を組んだ。

 鉄帯と硬木で補強した小箱。

 二重蓋つき。

 前面に小さく焼き印を押す。



 南庭税箱。


 できた箱を見て、セレナが俺に小さな鍵を放った。


 受け取る。



「副司令?」


「南庭の金は、お前が見ろ」


「かなり重い鍵ですね」


「その分だけ責任も重い」


「嫌いじゃありません」



 彼女は南庭の中央へ立ち、

 槍の石突きを一度だけ打ちつけた。



「聞け!」



 兵も商人も、いったん動きを止める。



「南庭の出店、倉庫預かり、税箱、価格札、揉め事裁定。この場に関しては、補給主任カイル・ルーヴェンの判断を私の判断と同等に扱う。異論があるなら私の前で言え」



 少しの沈黙。


 それから、最初に手を挙げたのは、さっきの布売りの女だった。



「異論ないよ。こっちは荷が消えなきゃそれでいい」



 油売りが続く。



「俺もだ。銀貨持った兵がこんなに歩いてる市場、逃したくねえ」



 鍛冶道具屋も頷く。



「火床を貸してくれるなら文句ない」



 兵たちの間からも、低い笑いが起きる。



 ノイルが便箋を抱えたまま叫んだ。



「俺も異論なしです!」


「お前は客側だろ」



 ガレスが笑う。



「でも銀貨払います!」


「なら上客だな」



 空気が一段、軽くなった。


 そして同時に、こっちへ寄る。


 わかる。


 今、南庭の中心が俺になった。


 悪くない。


 かなり悪くない。



 そこへ、一人の老人が荷車を引いてやってきた。


 灰まみれの腕。

 節くれだった指。

 後ろの車には、車輪の枠と鉄帯、曲がった工具。



「出店じゃねえ」



 老人は言った。



「住み込みで火床を借りたい」


「職は」


「車輪工だ。鍛冶も少し。避難してきた村じゃ、もう飯にならん」


「何が欲しい」


「薪。寝床。鉄釘。あとは、払う客」



 俺は少しだけ笑った。



「最高ですね」



 南庭の奥、使っていなかった壁際を指す。



「そこを使ってください。三日、薪と寝床はこっち持ち。その代わり、荷車と車輪は第八砦優先」


「先払いは?」


「銀貨二枚」


「おいしい話だな」


「今のところは」



 老人は、まじまじと俺を見た。


 それから頷く。



「なら乗る」


「名前を」


「ロド。昔は王都にも出してた」


「今からは第八砦で」



 その会話を、ミレイユが面白そうに聞いていた。



「本当に寄ってきますね」


「何がです」


「人も金も仕事も」


「こっちは値札をつけてるだけです」


「その値札の付け方が上手いんですよ」



 南庭は、一気に広がった。


 行商人が呼んだ知り合いまで入ってくる。

 避難民の女たちが、洗った布を売り始める。

 子どもが水桶運びで銅貨を稼ぐ。

 兵たちは銀貨を握って歩き、

 市場の真ん中で真剣な顔で値切っている。


 中庭の鍋は南庭にも一つ回した。

 豆と塩肉の匂いが流れると、

 さらに人が止まる。



 止まれば買う。


 買えば税箱が鳴る。


 いい循環だ。


 昼を少し回った頃、

 俺は南庭税箱を一度だけ開けた。



 銅貨の山。

 銀貨が何枚も混じっている。

 中央使用権の金貨一枚は別に除いてあるが、

 それでもかなり重い。



 ざっと数える。


 出店札。

 荷車置き場。

 倉庫預かり。

 火床使用。

 両替手数料の取り分。



「……昼だけで銀貨十一枚、銅貨七十四」



 思わず口から出る。

 ガレスが横から覗き込んだ。



「昼だけで?」


「ええ」


「やべえな」


「かなり」


「これ、何に使う」


「まず第二柵の杭です」


「夢がねえ」


「次に炭。釘。あと夜番手当」


「最後だけ急に好きだ」



 その会話を聞いていた兵たちが、一斉に顔を上げた。



「夜番手当!?」

「出るんですか!?」



「市場売上の一部です」



 俺は言った。



「南庭を守る兵には、南庭の金を少し返します」


「補給主任!」



 ノイルが椀と便箋を両方持ったまま叫ぶ。



「俺、夜番やります!」


「手紙を先に書いてください」


「はい!」



 笑い声が広がる。


 いい。

 銀貨が、兵のやる気に直結する。

 こういうのはわかりやすいほど強い。



 ミレイユは、税箱の中身を見て小さく息を吐いた。



「……好きですね、こういう景色」


「金が増えてますから?」


「それもあります」



 彼女は俺を見る。



「でもそれだけじゃない。ここ、みんなが"ここにいたほうが得"って顔をしてる」



 セレナが、南庭を見回しながら言った。



「本当に人が寄ってくるな」


「寄せてます」


「追いかけるより楽か?」


「かなり」



 追いかけて勝つのもいい。


 だが、幸福のほうから寄ってくる形を作れるなら、

 そのほうがずっと強い。



 兵。

 商人。

 職人。

 銀貨。

 仕事。


 全部、南庭へ流れてくる。


 その真ん中に俺が立っている。

 悪くないどころじゃない。


 かなりいい。



 その時だった。


 見張り台から、短く鋭い声が飛ぶ。



「南斜面! 人影二!」



 南庭の空気が、一瞬だけ止まる。

 セレナの顔が切り替わる。



「商人か?」



 見張りが返す。



「違います! 縄を張ってます! 杭も!」



 俺はすぐに税箱の蓋を閉じた。



「副司令」


「ああ」



 二人で南壁へ走る。

 ガレスも続く。


 壁の上へ出ると、南斜面の草の中に、

 確かに二つの影が見えた。



 外套は地味だ。

 商人のようにも見える。


 だが、動きが違う。



 片方が杭を打ち、

 もう片方が節のある縄を張って距離を取っている。


 測っている。


 南庭から壁までの距離。

 門までの角度。

 たぶん、盾車と弩車の進路だ。



「工兵斥候ですね」



 俺は言った。

 セレナの目が細くなる。



「レイスか」


「でしょう」



 ノイルが、追いかけてきて壁の上から覗いた。



「補給主任、あれ商人じゃないんですか」


「商人は銀貨の匂いで来ます」



 俺は答える。



「工兵は距離で来ます」



 南斜面の二人は、こちらに見つかったと気づいたらしい。

 すぐに縄を巻き、杭を一本残して走って消えた。


 早い。

 慣れている。



 俺はそのまま壁を降り、

 南斜面まで出て、残された杭を拾った。


 白木。

 先端に鉄。

 頭には小さな焼き印。



 狼。


 レイスの私印だ。



「……次は南庭ごと壊しに来ますね」



 セレナが後ろで言う。



「ええ」



 俺は測量杭を指で弾いた。


 カン、と軽い音がした。



 南庭では今も、銀貨が鳴っている。

 豆の匂いもする。

 兵が笑い、商人が値をつけ、職人が居つき始めている。


 だから壊しに来る。


 だったら、その前にやることは一つだ。



「ガレス軍曹」


「おう」


「今夜から第二柵です」


「だと思った」


「南庭の外周、荷車置き場ごと囲う。盾車が入れない幅で。車輪工のロドにも手伝わせる。売上の半分は杭と炭と夜番手当に回します」


「夢がねえな」


「かなりありますよ」



 俺は南庭の喧騒を振り返った。


 あれは、ただの賑わいじゃない。



 金だ。

 人だ。

 生活だ。


 つまり、守る価値がある。



「副司令」


「何だ」


「市場を作るのは簡単です」


「壁は?」


「もう一枚、生やせばいい」



 南庭の笑い声の向こうで、

 新しい鍋がまた一つ火にかかった。


 いい音だ。



 商人は銀貨の匂いで来る。

 工兵は距離を測って来る。


 なら次は、

 こっちが先に"市場を守る壁"を生やす番だった。

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