第5話 盗品の買い手に、前金と販路をまとめて払わせる

 商人は、死体の匂いが残る場所にも来る。


 儲かるなら。


 見張り台から、白地に青の天秤旗が見えた時、

 砦の兵たちはまた弓を手に取った。


 無理もない。


 昨夜は赤牙族。

 今朝は荷車の奪還。

 その直後に、盗品の買い手が来たのだ。


 俺は中庭で鉄箱を抱えたまま、門のほうへ顔を上げた。


「撃つな」


 短く言う。


「旗を下ろさせるまでは待て。商人が来たなら、矢より先に財布を見る」


 ガレス軍曹が笑った。


「本当に補給官だな」

「補給官ですから」


 白旗付きの小さな荷馬車が二台。

 護衛は四人。

 その後ろに、帳面を抱えた初老の書記が一人。


 思ったより少ない。


 つまり、相手も全力では来ていない。

 危ない臭いは感じていたということだ。


 門前に止まった荷馬車から、一人の女が降りた。


 年は二十そこそこ。

 赤銅色の髪を後ろでまとめ、旅装の上に上質な灰色外套を羽織っている。

 派手ではないが、縫い目も靴もいい。

 手袋の革も柔らかい。


 そして、目が速かった。


 半月壁。

 破城槌を組み替えた門。

 回収した五台の荷車。

 柱に縛られたエドガー。


 全部を一息で見て、ほんの一拍だけ止まり、それから笑った。


 商人の笑いだ。


 驚いても、まず値段を計算するやつの顔。


「これはまた」


 女は門の前で一礼した。


「聞いていた話と、だいぶ違いますね」


「こちらもそう思っています」


 俺も礼を返す。


「買付人、ミレイユ・ロスタさん」


 彼女の眉がわずかに動いた。


 まだ名乗っていないのに名を呼ばれたからだ。


 俺は懐から、今朝押収した買付状を出して見せた。


 白地に青の天秤。

 買付人、ミレイユ・ロスタ。


 彼女は一瞬だけ目を細め、それから肩をすくめた。


「なるほど。売り手のほうが、先に死んだわけではなかったんですね」

「残念ながら」

「私にとっては、少し残念です」

「正直で助かります」


 柱に縛られたエドガーが、ここでようやく叫んだ。


「ミレイユ! 助けろ! 契約済みだ! 金を払え、こいつらに言え!」

「フェルン副官」


 ミレイユは、ちらりとそちらを見ただけだった。


「私は“荷を受け取る”約束はしましたが、“燃えた砦で縛られた売り手を助ける”契約まではしていません」


「き、貴様……!」


 エドガーの顔が真っ赤になる。


 その横で、セレナが低く言った。


「随分と冷たい商人だな」

「温かい商人は長生きしませんので」


 ミレイユはまったく悪びれなかった。


 嫌いじゃない。


 むしろ話が早い。


「中へどうぞ」


 俺は言った。


「ただし、護衛は二人まで。武器は腰のままでもいいですが、抜くなら先に死にます」

「誠実な歓迎ですね」

「死体の片付け直後なので」

「納得しました」


 彼女は護衛二人と書記を連れ、砦へ入った。


 門をくぐった瞬間、視線がまた動く。


 壁の補修跡。

 新しく組んだ内壁。

 並べられた矢束。

 狼脂壺。

 乾かしている包帯。


 そして、奪い返した四番車から運び込まれる治癒薬の箱。


 彼女は、ひとつひとつを値札に変えていくような目で見ていた。


「まず確認します」


 中庭の真ん中で、俺は言った。


「奪還した軍用物資は、第八砦の所有物です。売りません」

「でしょうね」

「知っていて来ましたか」

「確証はありませんでした。あったら護衛を四人しか連れて来ません」


 ミレイユは即答した。


「ただ、臭い仕事ではありました。だから現金も半分しか持ってきていません」

「それでも来た」

「臭い仕事ほど、儲かるので」


 正直だ。


 セレナはまだ警戒を解いていないが、俺は少しだけ口元を緩めた。


「なら、交渉できます」

「売らないのに?」

「今は売りません。これから作るものを売ります」


 ミレイユの目の温度が変わる。


 商人の顔から、獣の顔になる瞬間だ。


「続けてください」

「その前に」


 俺は彼女の荷馬車へ視線を向けた。


「塩、灯油、薬草、針糸、紙。積んでますね」

「……見ただけで?」

「車輪の沈み方と、匂いです」


 彼女が初めて、少しだけ楽しそうに笑った。


「好きですよ。そういう男」

「ありがとうございます。俺は在庫の多い商人のほうが好きです」

「欲望がはっきりしていて結構です」


 ガレスが肩を震わせて笑いを堪える。


 いい。

 空気が少し軽い。


 俺はミレイユを連れて、まず正門裏へ歩いた。


 破城槌を門へ組み替えた跡は、まだ煤けている。

 鉄の頭は黒く焼け、板はところどころ焦げたままだ。


「敵の破城槌です」


 俺は言った。


「昨夜ここへ来たので、門にしました」

「聞き間違いでなければ、敵の破城槌を門にした、と」

「ええ」

「便利ですね、その口調。意味が理解できるのに、理解したくなくなります」


「次です」


 倉庫脇へ回る。


 そこでは兵たちが、赤牙族から剥いだ狼皮と脂を仕分けしていた。

 横では俺が昨夜作った携帯盾が乾かされ、さらにその隣には、今しがた組んだ小さな金属の炉が並んでいる。


 ミレイユがしゃがみ込んだ。


「これは?」

「携帯炉です」


 俺は折れた鍋の縁、鉄帯、狼脂、布芯を組み直した小型炉を手に取る。


「風のある場所でも火が死ににくい。燃料は狼脂か油。鍋ひとつならすぐ沸きます。隊商、猟師、斥候向けです」

「原価は」

「ほぼ戦利品です」

「好きですね、そういう答え」


 さらに、乾かした兵糧煉餅も見せる。


 昨夜の兵糧粥を圧して乾かし、携行しやすくしたやつだ。

 見た目は地味だが、腹持ちはいい。


 ミレイユは躊躇なく一欠片を齧った。


「……塩が少し強い」

「水を飲ませる前提です」

「保存は」

「三日。うまく乾けば五日」

「街道の短距離なら十分」

「兵站崩れの砦でも、翌朝までに作れます」


 彼女は噛みながら、砦の中庭をもう一度見た。


 昨夜まで落城寸前だった砦。

 今は壁が立ち、矢が揃い、薬が戻り、敵の破城槌が門になっている。


 言葉より、現物のほうが早い。


「……わかりました」


 ミレイユは立ち上がった。


「あなたは、作れる」

「ええ」

「しかも、ここで」

「ええ」

「なら、交渉できます」


 そこからは早かった。


 俺たちは倉庫の中へ入り、空いた樽を机代わりにした。

 セレナは壁際で腕を組み、ガレスは入口に立つ。

 ミレイユの書記が帳面を開き、俺も奪還した鉄箱から紙を出す。


「条件を言います」


 俺は指を折った。


「一つ。奪還した軍用物資は売らない」

「了解」

「二つ。第八砦で今後生まれる余剰品――狼皮、狼脂、防水油、携帯炉、兵糧煉餅、補修釘包、その他“砦の運用に不要な分”について、ロスタ商会に三十日間の第一交渉権を与える」

「独占、ではなく?」

「第一交渉権です。値段が合わなければ他へ流します」

「堅実ですね」

「生活がかかっているので」


 ミレイユが小さくうなずく。


「三つ。前金」


 ここで彼女が笑った。


「来ましたね」

「金貨六枚」

「暴利です」

「大銀貨三十枚」

「下げ方が雑です」

「では金貨五枚、大銀貨十」

「最初からそこを狙っていた顔ですね」

「商人相手ですから」

「補給官でしょう」

「今日は売り手です」


 ミレイユは指先で机を三度叩いた。


 計算している時の音だ。


「金貨四枚、大銀貨十八」

「薬草、灯油、塩、針糸、紙を、南街道の平時相場でこちらへ卸すなら」

「……やりますね」

「砦は急患の店じゃありません。足元は見せません」

「いいでしょう」


 彼女は即答した。


「金貨四枚、大銀貨十八。加えて、こちらの積み荷の薬草、灯油、塩、針糸、紙を平時相場で優先販売。これでどうです」

「悪くない」


 俺は言った。


「もう一つ足してください」

「何を」

「この買付状と、押収帳簿の写しを、北方防衛司令部と南街道商人組合へ届けること」


 ミレイユの目が、そこで初めて完全に細くなった。


 危険度を計算し始めた顔だ。


「……それは商売というより、戦争ですね」

「今さらでしょう」

「私は死体の近くで金を拾うのは好きですが、王都の怒りを正面から買うのは好きではありません」

「だからこそ、必要です」


 俺は柱に縛られたエドガーを見た。


「あいつを売ったところで、砦の倉庫は増えない。書類を外へ出して、俺たちが生きていることを広めるほうが強い」

「なるほど」

「あなたにとっても悪くない。今のままだと、違法な買付人として消されるのはあなたも同じです」

「……嫌な脅し方をしますね」

「生活がかかっているので」

「便利ですね、その言葉」


 少しの沈黙。


 それからミレイユは、ふっと笑った。


「いいでしょう。写しを運びます。北方防衛司令部へ一通、南街道商人組合へ一通。ついでに、宿場町にも噂を流しましょう」

「どんな」

「“第八砦は死んでいない。しかも、金の匂いがする”」

「後半はいりません」

「商人には必要です」


 契約成立だ。


 彼女の書記が、さらさらと契約文を清書していく。

 内容は単純だが、数字は具体的で、逃げ道が少ない。


 こういう紙は好きだ。


 剣より人を殺さないが、

 ちゃんと人を縛る。


 セレナが砦の副司令として署名し、俺が補給主任として署名する。

 ミレイユは自分の名を迷いなく書いた。


 最後に、砦の印を押す。


 乾いた印泥の匂いがした。


「はい」


 ミレイユが革袋を二つ、机へ置いた。


 金貨の重みは、音でわかる。


 片方を開く。


 金貨四枚。

 大銀貨十八。


 思わず、指先に力が入った。


 これだけあれば、母と妹の薬代なら二年以上は持つ。

 北辺の砦で死ぬつもりでいた数日前には、想像もしなかった額だ。


 だが顔には出さない。


 金は好きだが、

 好きな顔を見せると、次で足元を見られる。


「数は合っています」

「そちらも早い」

「金勘定だけは」

「だけですか?」

「あと荷車と壁と矢束も少し」

「それを“少し”で済ませるの、嫌いじゃありません」


 ミレイユは立ち上がり、護衛へ顎をしゃくった。


「荷を降ろして。薬草から先。医者がいるなら、その人に最優先」

「おります」


 そこへちょうど、イネスが匂いを嗅ぎつけた獣みたいな速さで入ってきた。


「薬草だって!? 本当かい!」

「本当ですよ、老先生」


 ミレイユが礼儀正しく一礼する。


「今日は良い取引相手に恵まれました」

「まだ値段を見てないから何とも言えないね」

「その返し、好きです」


 薬草の束。

 灯油樽。

 塩袋。

 針糸箱。

 紙束。


 それが本当に砦へ運び込まれていくと、兵たちの顔がまた変わった。


 戦って勝つのも強い。

 だが、荷が増えるのは別の強さだ。


 食える。

 治せる。

 直せる。

 書ける。


 それが見えた時、人は本当に安心する。


「補給主任!」


 若い兵が、塩袋を抱えて叫ぶ。


「塩が増えました!」

「知っています」

「塩って叫ぶと、なんか勝った感じがします!」

「だいたい合ってます」


 周囲に笑いが広がる。


 ミレイユはその様子を見て、静かに言った。


「あなた、この砦でかなり早く信用を取ったんですね」

「荷が戻ると早いですよ」

「商人と同じことを言う」


 その時だった。


 彼女の書記が、俺たちの机に残っていた鉄箱の中を整理していて、一枚の封書を持ち上げた。


「お嬢様、これ」


 ミレイユが受け取る。


 封蝋を見た瞬間、表情が少しだけ変わった。


「……これ、監査局の印ですね」

「わかるのか」

「商人は印で食べていますから」


 彼女は封書を裏返した。


 青黒い蝋に押されているのは、王都第三遠征団会計監査局の印。

 エドガーの手元にあったなら、ろくでもない。


「開けてください」


 俺が言う。


 ミレイユは躊躇なく封を割った。


 中の紙を広げ、数行読んだところで、彼女は顔を上げた。


「……嫌ですね」

「何が書いてあります」

「明日、正午」


 その場の空気が少しだけ硬くなる。


 ミレイユは読み上げた。


「王都第三遠征団会計監査局所属、査察官バルト・ヘインズ。騎兵二十、護衛歩兵三十を率い、第八砦残存資産の確認および回収を実施する」


 ガレスが低く唸る。


「回収だと?」

「監査局の言葉では、だいたい“持っていく”の意味です」


 ミレイユが続きを読む。


「対象砦が機能停止状態にある場合は、現地判断にて残余資産を整理。関係者の証言が不確かな場合、記録簡略化を認める」


 セレナの声が低くなった。


「記録簡略化」

「便利な言葉です」


 ミレイユが紙を畳む。


「死体しかいなければ、いくらでも帳簿を書き換えられます」

「つまり」


 俺はエドガーを見た。


「こいつが荷を流し、明日、その上役が“砦はもう終わっていた”ことにして全部持っていくつもりだった」

「ええ。かなり綺麗な手順です」


 柱に縛られたエドガーが、ここでようやく喚いた。


「し、仕方なかったんだ! レイス様の命令だ! 砦はどうせ落ちる、だったら先に――」

「黙っていてください」


 俺は言った。


「今、計算してるので」


 頭の中で数字が並ぶ。


 査察官バルト・ヘインズ。

 騎兵二十。

 歩兵三十。


 正面からやるには、少し多い。

 しかも相手は赤牙族じゃない。

 王都の印を持って来る。


 雑には潰せない。


 だが、こっちには今、前金がある。

 契約がある。

 書類の写しを外へ出せる商人がいる。

 そして何より、砦は落ちていない。


 だったら、やりようはある。


 ミレイユが、俺の顔を覗き込むように見た。


「逃げますか?」

「在庫を抱えて?」

「聞いてみただけです」

「逃げません」

「でしょうね」


 彼女は少しだけ笑った。


「好きですよ、そういう顔。儲かる前の男の顔です」

「俺は明日、生き残った後の顔のほうが好きです」

「それも結構」


 セレナが槍の石突きを鳴らした。


「補給主任。どうする」

「歓迎します」

「査察官を?」

「ええ」


 俺は机の上の契約書、金貨、買付状、そして監査局の紙を並べた。


「明日は戦場じゃありません。帳簿の時間です」

「お前の得意分野か」

「かなり」


 外では、兵たちが塩袋と薬草箱を運んでいる。

 中庭に金の音がまだ残っている。

 砦はもう、昨日の砦じゃない。


 なら、明日来る連中にも、それを見せればいい。


 死んだはずの砦が、

 薬も金も契約も持って立っているところを。


 そして、その中心にいる補給官が、

 数字を全部覚えているところを。


「ミレイユさん」

「はい」

「写しは今夜のうちに」

「わかっています」

「セレナ副司令」

「何だ」

「門と倉庫を、査察向けに整えます」

「査察向け?」

「はい。明日は王都の連中に、“見せたくないもの”じゃなく、“見せたいもの”を見せる日です」


 ガレスがにやりと笑う。


「嫌な予感しかしねえな」

「だいたい当たりです」


 俺は監査局の紙を折りたたんだ。


 明日の正午。

 王都から、帳簿を持った泥棒が来る。


 だったら今度は、

 こっちが帳簿で殴る番だ。

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