第20話 リーリャは元聖女

「これが瘴気だまりなのね」

「そうニャ」


 茂みの中に一筋伸びる獣道の途中に、直径1メートルほどの黒い靄がフワフワと漂っているのが確認できる。その靄の下には大型動物の骨の周りにドロドロに溶けた肉らしき塊が横たわっているのが確認でき、踏み潰され、荒らされたイノシシの死骸は、ハエがたかり悪臭が立ちこめている。


「んぐっ……」

「フィリー、大丈夫ニャ?」

「ええ、大丈夫よ。少し目眩がしただけ」


 リーリャは見慣れているため平然とそのイノシシであったものを見下ろしているが、初めて見るフィリーと、見慣れていないであろう近衛兵の人は顔をしかめて片足を後ろに下げている。


「気持ちが悪いなら離れてみててニャ。近衛兵さん、フィリーを後ろへ」

「はっ」

「いや、大丈夫よ。私もここにいるわ」

「……わかったニャ。ならさっさと終わらせるニャよ」


 まずは瘴気から。と呟くと、先ほど同様に手を高く上げ、はっ、と息を吐きながらその手を振り下ろす。先ほどまでの気の抜けた顔ではなく、少し緊張したような真剣な面持ちであったが、詠唱は省略したらしい。詠唱の時間を取るより、早めに瘴気をなくしてしまう方が優先順位が高いと結論づけたのだろう。

 リーリャが手を振り下ろすと、先ほど同様にリーリャの周辺から光の靄が現れるが、先ほどとは異なり一筋にまとまることはなく、ふわふわと空中を漂い、少しずつ瘴気の方向へと向かっていく。

 個々に向かっていった光の靄は、徐々に瘴気の周りを覆い始め、完全に黒い光が見えなくなるとその直径を徐々に縮めていった。


 少しずつ収縮していった光の靄はしばらくして1メートルほどのサイズから数十センチほどのサイズまで縮まり、そこからさらに速度を速めて急激に収縮すると、シャボン玉がはじけるようにポンッ、と破裂して空気中へと分散した。

 残ったのはぐちゃぐちゃになったイノシシの死骸のみ。


「近衛兵さん、手伝ってニャ」

「わかりました。何をすればいいでしょうか」

「土をかけるんだニャ」


 リーリャは周辺のまだ落葉して間もない落ち葉を掻き分けると、その下の腐葉土を手ですくい、パラパラとイノシシの上に被せていく。その様子を習うように近衛兵も素手で土をすくい取ると、そっとイノシシの上にそれを被せた。


「私もやります」


 しばらくしてその様子を見ていたフィリーが固まっていた体を動かし、地面にしゃがみ込んだ。リーリャ達を真似て落ち葉を掻き分けると、少ないながらも土をすくい取り、ゆっくりとイノシシの上に振りかけた。




「これでよし」


 しばらくして、完全にイノシシの死骸を土に埋めることができた3人は、土で汚れた手を合わせて祈りを捧げる。


「主よ、この朽ちゆく魂に幸福をお与えください」


 他の2人が手をほどいてもなお、リーリャは祈りを止めることはない。真剣な表情で身動ぎひとつせずにじっと祈りを捧げ続けるリーリャを見て、フィリーは彼女が幼い頃から聖女になるべく教育された身であると思い出す。

 その姿を美しいと思うと同時に、それが自身の境遇と重なり胸が苦しくなった。







「かなり怪我人が出たニャね」

「はい、申し訳ありません」

「別にいいニャよ。かなり数が出たんニャし」


 瘴気だまりの浄化の後馬車へと戻ると、馬車を動かして作られた小さな広間にけが人が座り込み、同僚からの手当を受けている姿が見られた。座り込むほど重傷になっている人は数人程度だが、かなりの数の人がどこかしらに怪我を負っている様子だ。


「けがしてる人はウチの周りにぐるっと集まって~」


 リーリャは一番重傷そうな兵士の前に行くと、手をメガホンのようにしながら声を張り上げた。重傷な兵士はどうやらイノシシの牙に刺されてしまったようで、かなりの出血が見られる。すでに包帯が巻かれているが、呼吸が浅く苦しそうだ。


「集まったニャね。いくニャよ」


 どうしようかニャ~、と呟いた後に、そうだっ、と何か思い立ったように呟いたリーリャは、治れっ、と重傷者に響かないように配慮しながら気合いの入った声を出し、手を一回叩いた。するとリーリャを中心として金色に光り輝くサークルが広がっていき、けが人の傷口に向かい胞子が舞うようにどこからともなく金色の粒子が湧き上がる。

 重傷者の大きな傷口には、その傷が見えなくなるくらい高密度で光の粒子が集まり、怪我に触れては舞い上がり、また新たな粒子が怪我に触れては舞い上がった。


「これはすごい……」

「聖女様だ……」

「やはり素晴らしいお方だ」


 どこからともなくリーリャを褒め立たえる声が湧き上がる。彼らの傷はみるみる癒え、先ほどまで苦しそうに座り込んでいた兵士の顔も少しは明るくなったようである。


「初めて見たわ……」

「そういえばそうニャったね。ウチはずっとこれを仕事にしてたんニャよ」

「ええ、知っているわ。さすがね」


 依頼は出すがその現場についていったことのなかったフィリーにとって、彼女が魔法を発動しているところを見る機会はほとんどなく、先ほどの浄化も初見だし、今回の治癒魔法も初見であった。

 自慢げに胸を張るリーリャを見たフィリーは、幸せそうに目を細めながらくすりと笑った。そして隣にいたはずのリーリャはいつの間にか多くの兵士に囲まれ、困惑しながらも照れ笑いを浮かべる。汚れた装備を纏う笑顔の兵士達に声を掛けられる彼女のことが誇らしくて誇らしくてたまらなかった。

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