第18話(ヒナくん……お姉ちゃんと別れてたんだ)

 ヒナくんのスクールバッグは、思ったよりもずっしりと重かった。


 でも、その重みすら愛おしくて、私は両手でしっかりと持ち手を握りしめ、彼の隣を歩く。

(ヒナくん……お姉ちゃんと別れてたんだ)

 先ほどの『俺らはもう別れたんで』という言葉が頭の中で何度もリフレインして、油断すると顔がだらしなく緩んでしまいそうになる。私はそれを悟られないように、ギュッと唇を噛み締めて下を向いた。


 昔から私は、明るくて活発でクラスの中心にいるお姉ちゃんと比べられてきた。


『月乃もさ、もっと明るくしないと友達出来ないよ?』

『月乃、もっとハキハキ喋りなさい』

 お姉ちゃんだけじゃない。両親からも無自覚に向けられるそのプレッシャーは、人見知りで引っ込み思案だった私にとって、息が詰まるような呪いだった。

 そんな私を全肯定してくれたのは、他でもないヒナくんだった。

『皆が皆、結愛みたいに出来るわけじゃないだろ。月乃ちゃんはお前と違って、周りへの気遣いがちゃんと出来る優しい子だからな』

 小学校五年生の時、ぽんぽんと頭を撫でてくれた温かい手のひら。


 ヒナくんが褒めてくれた『気遣い』と『優しさ』。私は、その二つだけはずっと大切にしていこうと心に決めた。いつか、ヒナくんに相応しい女の子になるために。

 けれど――ずっと幼馴染として、当たり前のようにヒナくんの隣に陣取っているお姉ちゃん。それに比べて、私はいつまで経ってもただの『結愛の妹』。


 苦しかった。


 ヒナくんと二人きりで話せることなんて、今までほとんどなかったから。

 さらに去年のクリスマス。


 お姉ちゃんが嬉しそうに「日向と付き合うことにしたの」と報告してきた時、私の心は真っ暗な絶望と、ドロドロとした嫉妬に塗り潰された。


 それでも、私は諦めきれなかった。


 お姉ちゃんの彼氏になってしまったヒナくんと私を繋ぐ、唯一の細い糸。それが『高校の受験勉強を教えてもらうこと』だった。絶対に、ヒナくんと同じ高校へ行くのだと心に誓って、必死に勉強を頑張った。

 そして先週、ヒナくんが腕を骨折した。

 ヒマちゃんが言うには、どうやらお姉ちゃんが原因らしい。


 何があったの? 

 そう思っていたその日の夜、お姉ちゃんは自室で誰かと電話をしながら泣いていた。気になって、つい盗み聞きをしてしまった。

 漏れ聞こえてくる会話の内容を理解した時、私の胸の奥底から静かな怒りが湧き上がってきた。

 なんで、お姉ちゃんが泣いてるの?

 泣きたいのは、ヒナくんの方じゃない。

 私は決めた。自分の保身のためにヒナくんを傷つけるようなお姉ちゃんには、絶対に負けたくない。

 神社で偶然ヒナくんと会った時には、心臓が飛び出るかと思った。


 後で渡そうと思っていた『病気平癒』のお守りを、バレないようにそっとリュックに入れた。ちょっとでも、私のことを意識してくれたら嬉しいなと思いながら。


 今日も、実はヒマちゃんにお願いして一人でやってきた。もっと近づきたい。お姉ちゃんなんかじゃなく、私を見てほしい。

​(そっか、ヒナくん……お姉ちゃんと別れてたんだ……)

 もう、私に遠慮する理由は何もない。

 あとは私自身の勇気だけだ。



「月乃ちゃん、なんかちょっと楽しそうだね?」

 ふいに上から声が降ってきて、私はハッと顔を上げた。ヒナくんが、少し不思議そうな、でも優しい顔で私を覗き込んでいる。


 しまった、顔が緩んでいたのかもしれない。

「そ、そうですね。なんだか、高校生先取りの気分です」

 私は慌てて誤魔化すようにそう微笑んだ。


(これから先もこうやって、ヒナくんと帰れたら幸せだな)


 そんな本音は、今はまだ胸の奥にしまっておく。

「そっか。そう言ってくれると助かるよ」


「はい。来週も来ますね?」


「うん、ありがとう」

 ヒナくんは照れくさそうに笑い、それから何かを思い出したように口を開いた。

「そういえば、合格した時の『お願い』って……」


「それはまだ、内緒です」

 私はヒナくんの言葉を遮るように、少しだけいたずらっぽく笑って見せた。

 

​(ヒナくん、大好きです)

 隣を歩く彼の温もりを感じながら、私は心の中で、誰にも聞こえないようにそっと呟いた。

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