ギ ャ ン ブ ル

たなか

席につく理由

雨は、二時間前に止んでいた。


それでも路地の奥はまだ湿っていて、アスファルトは黒く光っている。

ネオンの色を吸い込んで、まるで別の街みたいに見えた。


リョウは、その路地に入る前に一度だけ立ち止まった。


ポケットからスマホを取り出す。

時間を確認するふりをして、画面の黒に映る自分の顔を見た。


――顔色、悪くねぇな。


それを確認して、スマホをしまう。


歩き出す。


靴底が水を踏む、小さな音。

その音が妙に気に障る。


二階建ての古いビルの横を通り過ぎると、目的の建物が見えてくる。

三階建て。外壁は剥げ、看板はない。


“知っている人間だけが来る場所”。


そういう顔をしている。


リョウは階段を上りながら、手すりに触れなかった。


――指紋を残す癖、昔から嫌いなんだよな。


三階。

一番奥のドア。


ノックはしない。


そのまま開ける。


「悪い、遅れた」


言葉は軽く。

声はいつも通り。


だが、部屋の中の空気は、少しだけ重かった。


テーブルを囲んで、すでに三人が座っている。


カズマ。

シュン。

タケル。


全員、顔見知り。

だが、“仲間”ではない。


カズマが腕時計を見る。


「三分だ」


短く言う。


責めているわけでもない。

ただ事実を告げているだけ。


それが逆に、妙に圧になる。


リョウは肩をすくめて笑う。


「誤差だろ、それくらい」


椅子を引く。


座る。


その瞬間、椅子の脚がわずかに軋んだ。


――古いな。


どうでもいい情報が頭に入る。


シュンが笑う。


「まぁまぁ、揃ったんだからいいじゃん」


その声は軽い。


軽すぎるくらいに。


だが、リョウは知っている。


――こいつの“軽さ”は、意図的だ。


人を油断させるための。


視線を向ける。


シュンは一度だけ、ドアの方を見た。


ほんの一瞬。


だが、それで十分だった。


――逃げること前提で来てるな。


リョウは何も言わない。


言ったところで、意味はない。


ここにいる全員が、“同じこと”をしているからだ。


タケルは、何も喋らない。


腕を組み、椅子に深く座っている。


目は、誰にも固定されていない。


だが確実に、“全員を見ている”。


その視線に気づくと、普通は落ち着かなくなる。


だがこの場では、誰もそれを指摘しない。


指摘した時点で、“見られていることを気にしている”とバレるからだ。


カズマが、ゆっくりと口を開く。


「始めるぞ」


それだけで、場が締まる。


声量は大きくない。


だが、“主導権は自分にある”という前提で話している声だった。


テーブルの上に、紙が広げられる。


見取り図。


地下構造。


配線。


監視カメラの位置。


リョウは思わず口を開く。


「……よくここまで集めたな」


カズマは目を上げない。


「仕事だ」


短い返答。


その“仕事”の中身には触れない。


触れさせない。


そこに踏み込むのは、ルール違反に近い。


だがタケルは、その紙ではなく――

“カズマの指”を見ていた。


わずかに震えている。


本当に微細な動き。


普通なら気づかない。


だがタケルは、それを見逃さない。


――緊張か?


いや、違う。


この場にいる全員、緊張はしている。

だがそれは“均一な緊張”だ。


カズマのそれは、質が違う。


――“予定がズレている人間の反応”。


タケルは目を伏せる。


何も言わない。


その代わり、心の中で一つだけ確信する。


――こいつも、何か隠してる。


シュンが身を乗り出す。


「で?今回の話、どれくらい儲かるの?」


軽い調子。


だが、視線は鋭い。


カズマは一瞬だけ間を置いた。


その“間”が、ほんのわずかに長い。


「一晩で、億は動く」


空気が変わる。


言葉としてはシンプル。


だが、その意味は重い。


リョウが口笛を吹く。


「いいねぇ、人生変わるな」


言いながらも、心の中では別のことを考えている。


――四等分しても、十分すぎる。


――でも、それで満足するか?


答えは、最初から決まっている。


しない。


シュンが笑う。


「取り分は?」


カズマは即答した。


「均等だ」


その瞬間。


誰も表情を変えなかった。


だが、全員の中で同じ言葉が浮かぶ。


――嘘だな。


均等。


それは一番“信用できない”言葉。


公平に聞こえるが、実際には

“誰かが裏で調整している前提”の言葉だ。


タケルが、テーブルを軽く指で叩く。


トン。


小さな音。


誰も気にしない。


だがそれは、彼の中では“合図”だった。


――この場は、もう崩れている。


会話は続く。


計画。

役割。

タイミング。


すべてが具体的で、現実的で、成功しそうに見える。


だが。


それと同じだけ、“違和感”も積み上がっていく。


リョウはふと、自分の靴先を見る。


濡れている。


――さっきの場所、やっぱ無駄だったか。


ほんの数分前。


彼は“別の人間”と会っていた。


そのことを、この場の誰も知らない。


知られてはいけない。


タケルは、その靴を一瞬だけ見ていた。


何も言わない。


ただ、記憶に残す。


シュンは、笑いながら話を聞いている。


だが頭の中では、すでに“逃走経路”を三つ組み立てている。


カズマは説明を続ける。


完璧な計画。


完璧な言葉。


だがその裏で、


――どこまでバレてる?


という焦りが、わずかに滲んでいる。


そしてタケル。


彼だけが、“全員のズレ”を統合して見ていた。


――面白い。


心の中で、そう呟く。


恐怖でもない。


興奮でもない。


ただの“観察対象”として。


この四人の中で。


一番危険なのは、間違いなくタケルだった。


だがその事実を、


誰もまだ理解していない。


会話が終わる。


沈黙が落ちる。


カズマが最後に言う。


「やるか、やらないかだ」


選択肢のようで、選択肢じゃない言葉。


リョウが笑う。


「やるに決まってるだろ」


シュンも頷く。


「ここまで聞いて帰るやついないでしょ」


タケルは少しだけ遅れて言った。


「……ああ」


その返事。


一番短くて、一番曖昧。


だがその中に、全てが含まれている。


――全員、裏切る。


そして。


――それでも、席につく。


なぜか。


理由は一つ。


これが“ギャンブル”だからだ。

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