馬鹿兄様は雁字搦め

 お前が俺を『馬鹿兄様』と呼ぶのなら、俺はお前を『愚弟』と呼ぼう。


◆◆◆


 この国には、四つの魔法使いの家がある。


 時司ときつかさ

 石渡いしわたり

 星影ほしかげ

 植園うえその


 一つの本家といくつもの分家。四つの家は、血族は、そうやって血を繋いでいき、その存在を秘匿し、その力を独占してきた。


 ──我こそは魔法使いなり。


 厚かましくもそう名乗る恥知らずの血は、未だに現代まで続いており、その血は俺の身体にも流れている。俺は、時司家の分家当主の種を使ってこの世に生まれた。

 種馬は、魔法とは関係のない、ただの使用人だった母に手を出し、結婚前から、そして結婚してからも、母を自分の部屋に監禁し続けてきた。その結果生まれた俺は、隠居していた種馬の乳母だった老婆に押し付けられ、母とほとんど関わることなく過ごす。


 首輪。

 鎖。

 虚ろな目。


 母について語る際には、もれなくその三つの単語が使われる。たまに種馬に招かれて引き合わされると、犬のように床へと伏している時もあれば、ベッドで種馬に揺さぶられている姿を無理矢理見せられたこともあった。ちなみに同母弟妹はいない。次からは気を付けていたようだ。

 七歳になると老婆の元から種馬の屋敷へと住まいを移し、使用人としてこき使われるようになり、そのタイミングで種馬は妻を迎えた。

 魔法使いの種馬にふさわしい、魔法使いの家の生まれである妻は、プライドの高いお嬢様。魔法使いではない女を夫が目に掛け、子種までくれてやったのが気に入らないようで、妻の視界に入るたび、俺は人気のない部屋へと連れ込まれた。


 手足は何度引き抜かれただろう。

 内臓は何をどれだけ抜かれたか。

 死ぬ寸前までいたぶられ、全部元に戻されて、最初からやり直し。


 殺すな、と種馬から言われていたらしい。殺さないのと、それから生殖機能を損なわせなければ、好きにしていいと。


『汚れた血なんて、残す価値もないのに』


 さすがは種馬の妻と言うべきか、母をいたぶる様を俺に見せつけてきたこともあった。目を逸らせば眼球を盗まれるから、仕方なく凝視するしかなかった。

 俺が物心ついた時にはもう、母は意味のある言葉を発することはできないようだった。あの状態で自分の意思というものがどれくらい残っていたのだろう。それとも魔法で無理矢理正気にでも戻したのだろうか。ある時、母は舌を噛み切って死んだらしい。舌を引き抜いておくんだったと、種馬が後悔する声を耳にしたのは、さて、どのタイミングだったか。

 母がいなくなると、妻の暴力は増していく。死ぬ寸前まで肉体を害すのに加え、いつの間にか作ったらしい情夫に俺を襲わせながら、何度も侮辱の言葉を吐き捨ててきた。


『男の悦ばせ方は、ご立派なお母様に教わらなかったの?』


 情夫に襲われながら、徐々に膨れていく妻の腹を見て、どっちの種を使ったのだろうといつも考えていた。

 洗面所の鏡を見るたびに、死んだ母の顔がそこにあった。俺はいつ舌を噛むべきか。問い掛けに答えがあったことなどない。


「……にい……さ……」


 妻は息子を生んだ。成長するにつれ、その顔立ちは俺にも種馬にもそれなりに似ており、種馬の種が使われたようだった。

 誰に仕込まれたのか、息子は俺を「にいさま」と呼んでくる。出てきた腹は違うのに、兄扱いをするというのか。変な奴だと思いながら、いつも無視した。

 妻は息子をとても可愛がっていた。まるで年下の恋人を導くように、不自然なほどに情熱的に甘やかしていたと思う。歩かせることを厭うようにいつも息子を抱き上げていた。そして些細な理由を付けては、息子の唇にキスを落とす。息子が嫌がれば頬を軽く叩き、嫌じゃないでしょうと言ってまたキスをする。息子が嫌がらなくなるまで、何度でも。

 妻は情夫を俺にけしかけることはあっても、もう肉体破壊をしてくることはなかった。息子を愛でることに夢中だったらしい。


「にい、さま……」


『時司』を名乗ることは許されていなかった。下の名前を口にすることも。ただの名もなき使用人として、虐げられる日々を享受しろとのことだった。

 息子は言葉を覚えてくると、俺を罵倒するようになった。母親からこう言いなさいと言われていたのか、まるで台本を読み上げるように声を出し、言い終わると、これで合っているかとばかりに母親の姿を探していた。

 褒めてもらえば淡く笑みを浮かべ、母親が背を向けた途端に、真顔で俺の顔を見てくる。俺よりも身体が小さいから、いつもこちらを見上げていた。

 何か言葉を発したり、声を出さずに何かを言ったり、ということはない。ただじっと、口を閉じて見つめてきて、頃合いを見て母親の後を追う。


「……兄様」


 魔法使いが魔法を使う為には、あるものを飲み込む必要がある。何かの気まぐれで、種馬がそのあるものを俺にも渡し、口に含めと言ってきた。


 できなかった。


 手の上に置かれたそれを、飲み込もうとすると吐き気が込み上げ、胃の中のものを床にぶちまけたら、汚物を見るような目を向けられる。お話にならないのだと。


 魔法使いじゃない者から生まれたから。


 それまでは腫れ物に触れるような態度で接してきていた他の使用人からも、穀潰しだのなんだのと罵られるようになった俺を、妻は嬉しそうに眺めていた。


『生まれる腹を間違えるなんて、生まれる前からお粗末な頭なのね、可哀想に』


 その後からだろう、息子が俺を、『馬鹿兄様』と呼ぶようになったのは。


『馬鹿兄様!』


 母親譲りの勝ち気な笑みを浮かべて口にする言葉は、成長と共に滑らかになっていくが、借りてきた感じはどことなく抜けていなかった。そして、誰の目もなくなると、真顔になる所も変わらない。


 何が言いたい?

 俺を憐れんでいるのか?


 その表情から何かを察することはできない。そんな日々を繰り返し、気付けば、俺は二十四歳になり、息子は十四歳になっていた。

 もう良い歳なのだからと、息子は見合いをするようになる。同じ魔法使いである、他の時司の分家に生まれた娘と顔を合わせるたびに、作り物めいた笑みを貼り付けていた息子。なかなか見合いは片付かない。

 何度目の見合いになったのか。その相手は珍しいことに、本家の末娘であった。病弱故に存在を秘匿され、健康になったのだからと表に出されたらしい。息子よりも少し年上の十六歳。


 彼女は、俺を見初めた。


 咲き狂う桜の下、掃き掃除をする俺を見て惚れたのだと。あの人の元に嫁ぎたいと喚く声。本家との繋がりができるならと種馬は了承し、妻は許さなかった。


『今夜、あなたは殺される』


 暴れる妻の目に触れないよう、外の光も届かない真っ暗な納屋に押し込まれた俺の耳に、聞き慣れぬ女の声が耳に届く。


『どんな殺され方か、知りたい? 今までのことが生温く思えるくらい、最低で、最悪よ?』


 返事をしない俺に構わず、声の主は、俺の手に小瓶を握らせる。どうやら相手も魔法が使えるのか、直接ではなく、小瓶の方から勝手に俺の手の中に入ってきた。軽く振ってみると、底が重い。


『それを飲み込めば、殺される前に相手を殺せる』

『……魔法は、使えない』

『違うでしょう? 赤い飴玉が飲み込めないのでしょう?』


 魔法を使うには、赤色の、涙の形をした結晶を飲み込む必要がある。だが、俺はどうしたってそれができない。

 情夫に何度も襲われた時、最後に苺味の飴玉を口へと無理矢理入れられてきた。満足させたご褒美だと言って。慣れた、諦めたと思ったのに、拒絶反応はまだ残っていたらしい。


『砕いて砂状にしちゃえばいいの。そうしたら、ほら、あなただって魔法が使えるわ』


 小瓶の中身を飲み込んだ。吐き戻す気配はなく、瞳に熱が込もっていく。──魔法で納屋の扉を破壊して、妻の元に向かった。


 刻んでやりたい。


 それなりに整った顔を驚きと怒りに歪ませる妻と相対してすぐ、そう思った俺は、不可視の刃が宙に浮いているイメージをして、それが妻の身体を切り刻む妄想をした。なるべく顔は残そう。誰の死体か分かるように。

 初めて魔法を使ったのに、上手いこと想定通りに発動し、鼓膜を破りそうなほどに響いた妻の絶叫は、しばらくして聴こえなくなった。


 そして、その声を聴いて息子がやってきたと。


「……愚弟」

「……っ」


 初めて、そう呼んだ。俺を馬鹿と呼ぶのなら、俺は愚かと呼ぼう。驚いた様子の息子に、何だか無性に気分が良くなって、ほとんど無意識に言葉を溢していた。


「次は、何を奪ってほしい?」


 奪う、か。

 あの女には、色んなものを奪われたと思う。母親を、人生を、尊厳を。最後に命を奪われそうになったから、あの女の命を奪った。


 釣り合いは、取れていないよな。


 あの女が大切に大事にしてきた、何よりも愛していた息子はまだ残っている。なら、その息子に、これまでの精算をしてもらったって構わないだろう。


 そんな簡単に、殺してたまるか。


 返事を待っていると、息子は俺から目を離さないまま、俺の元に近寄ってきて、その手を両手でそっと掴み、自分の胸元まで掲げた。


「馬鹿兄様程度の実力でできるのなら、何でも奪えばいい」


 そう告げる声に、いつも感じるような借り物感はなかった。種馬とあの女の息子が──俺の弟が、自分の頭で考えて、俺に向けて発した言葉。


 これは、肯定だ。


 何をしてもいいのだと、弟は俺を肯定してくれている。誰も彼も俺を否定してきたというのに、弟だけが、俺を。


 決めた。


「……なら、手始めに」


 お前を奪おうかと告げれば、俺を真っ直ぐに見つめながら、弟は頷いた。

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