第3話 マキアベリ氏の生きた時代

マキアベリ氏が生きた15〜16世紀初頭のイタリアは、統一国家ではなかった。


イタリア半島内の都市国家(フィレンツェ・ヴェネツィア・ミラノ・ローマ教皇領・ナポリ等)が互いに牽制し合い、または争い(同盟と裏切りが頻発)、さらにフランス・スペイン・神聖ローマ帝国・ローマ教皇・オスマン帝国といった外部勢力が、絶えず介入し、勢力図はさらに混乱する多重戦国時代だった。


さて、当時のローマ教皇は宗教的な権威だけでなく、軍事力を持つ一大領主であり、イタリア政治の中心だった。

フィレンツェ共和国も、しばしば教皇と対立しつつも、外交的に妥協を重ねていた。

マキアベリ氏自身もフィレンツェ共和国の外交官として教皇庁に派遣され、教皇アレクサンデル6世やチェーザレ・ボルジアの金と権力にまみれた政治を目の当たりにしている。


他のヨーロッパ諸国との関係でいえば、 フランス王国から「イタリア戦争」の発端となるシャルル8世のイタリア侵攻(1494)で、フィレンツェを含む全都市国家が衝撃を受けている。

尚、フィレンツェ共和国はフランスと協調する時期もあり、マキアベリ氏もフランス宮廷へ外交使節として派遣されたことがある。


神聖ローマ帝国(ドイツ)は、伝統的にイタリア北部に影響力を持ち、皇帝の度重なる介入は、各都市国家の均衡を揺るがす要因であった。

(マキアベリ氏はドイツ諸侯の軍制や政治制度を観察し、『君主論』で比較対象として言及している)


スペイン王国は、16世紀初頭にイタリア南部(ナポリ)を掌握し、最終的にイタリア戦争で覇権を握った。

フィレンツェ共和国は、フランスとスペインの争いに巻き込まれる形で外交が難化することになった。


また、15〜16世紀はオスマン帝国が地中海へ勢力を拡大した時期にあたる。

ヴェネツィアなど海洋都市国家はオスマンと直接衝突を行いながらも、交易を行うという両面関係を持ち、イタリア全体の安全保障に影響することになった。

マキアベリ氏はオスマン帝国の中央集権的統治を『君主論』で分析し、「征服後の反乱が起きにくい国家構造」として対比的に取り上げている。


このような「多層的な権力闘争の時代」に生きたマキアベリ氏は、理想論ではなく、現実に即した政治思想を、その混乱の只中で形成したのである。

(詳述は困難なので、相当程度簡略化した)

やや、難解な文になったが、今後の参考にされると、幸いである。

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