国語の教科書に登場する作品は、漱石をはじめ、ほとんどが明治からである。明治は1868年であり160年も経っていない。
古文なども存在しているが、現代に比べて遥かに少ないだろうことは分かるだろう。
これが示す事実とは、昔における個性とは、極めて数が少ない「異端」だということである。
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当たり前だと思うことを、振り返らせてくれる一作。
昔はそもそも、紙は貴重品だった上に、識字率も高くはなかった。社会も身分差も、求められる役割もずっと強固だった。個人の精神(こころ)が入る機会も資格も、ずっと少なかったのだ。
今は誰もが(昔目線なら)贅沢ができるようになった。1枚の白紙を有難がる人物が一体どれだけいるだろう。
圧倒的に「個人」が増えた結果として、個性が希薄になったわけだ。
本作の後半では、個性のこれからについての仮説が示されている。
読む人によって意見が分かれるところがあるのだが、
個人的には「個性を持たねばならない」という強迫観念じみた現代の不安に、どうも引っかかるところがある。
人間が大量に工場生産される「現代」風刺画を何度か見たことがあるのだが、それを言い出したら昔なんて祖父から孫まで全部工場の同一ラインの上、長男だから「1」、次男だから「2」であることもザラだったわけで、
書くこともさることながら、そもそも個人、こころという概念自体が相当近代的な要素であるということは、認識してもいいかもしれない。