芽衣は私がいないとダメだね
第31話
瑠姫
高校の頃に生徒会室で副会長と庶務が生徒会室でキスをしているのを見かけたことがある。
私は彼らを糾弾した。
不純異性交遊を学校で堂々と行うなんて不健全だと。
そういった不健全な精神を持ち込む人間が、周囲を堕落させるのだ。
嫉妬とかじゃない、当時の私にも交際相手はいた。
けど、そんな不健全な関係性を学校に持ち込んだりはしなかった。
それに副会長は優秀だった。
厳格で的確に仕事をする男子生徒だった。
……庶務の後輩と付き合うまでは。
楽天家であまり褒められたようなタイプではなかった彼女が生徒会に入り、副会長を不健全に誑かしたことで、本来の彼の勤勉な健全さは失われた。
愛という欺瞞で、怠惰を伝播させたのだ。
それが致命的に、私の深層にあるイデアの部分と合わなかった
不健全は……誰かが正さないといけないんだ。
△
愛花さんへの想いを元に、全力で彼女の勉強のサポートをした
とにかく一通り出来ることを。
少し教えることに対しても熱が入ってしまったけれど、彼女は私の意思を汲もうと必死についてきてくれた。
あとは彼女が下手なミスをしなければ、それなりの成績にはなるだろう。
「芽衣が教える前は私が見ていたのだけど、中々伸びなくてね。親子揃って教育に不向きみたいで情けないけど頼むわね」
種市さんは初日そう言っていた。
あまり覚えの良くない子、出来が悪いなどと彼女は言っていたけれど、それならやり方はある。
生まれ持っての不健全は存在しない。
愛花さんは少し人より遅いだけで、根気よく向き合えば健全に成長できる。
葉矢川の人はそこを見誤ってたのだろう。
あのメイド……芽衣は除いて。
「必要ないですから」
澄ました表情でそう切り捨てる彼女は、愛花さんがやれば出来る子であることを知っていたのでは?
それを脅威に感じたから、あんな風に小さく押し留めた。
どこか幼くも感じられるあどけない情緒も、彼女がそう仕向けているのではないだろうか。
現実味がない発想の飛躍に見えるけど、ここは侍女や従者がいて、ただの家庭教師である私に送迎車を出すほどの大富豪だ。
そんな常識外れの環境なら、そんな思惑が蔓延っていてもおかしくない。
「……頼むよ。愛花さん」
あなたが証明するんだ。
自分の価値を……。
「……っ!」
ついつい肩に力を入れて考えながら広い廊下を歩くと、1人の侍女に鉢合わせた。
「水上先生」
「種市芽衣……」
微笑む彼女から、また鋭敏な視線がこちらへ向く。
目鼻立ちの整った美形、高い身長に細く長い足。
愛花さんを通して彼女の心を見ることがなければ、きっと見惚れていただろう。
生まれ変わったらこんな風になってみたいとか、そんな風に。
「お帰りですか?」
「うん、まぁね」
「そうですか、今日で最後なのですよね? この度はお疲れ様でした」
声のトーンをわざとらしく上げて、ペコリと頭を下げた。
皮肉まで込めて白々しく、敵意を隠そうともせずに。
「わざわざご丁寧にどうも」
ピリピリとした空気がお互いの間で流れている。
素直に通り過ぎようと思っていたけれど、その空気につい足を止めてしまった。
彼女もまた同じくだった。
「どうされましたか?」
挑発するように、芽衣は口を開いてみせた。
彼女に余裕があるのかないのかは、わからない。
指先が落ち着かず、手を握ったり開いたり、焦ってるのはこちらな気がする。
ただ、芽衣のそんな余裕を突き崩してしまいたいという思いが、対面するとより一層強くなる。
この関係は終わり。
あなたの願いは叶わない。
思惑は全て私にバレている。
どんなに愛花さんを洗脳したって、あなたがどれだけ優秀であれ、私にはバレてるんだ。
「愛花さんの成績、無事に上がってるよ」
「そうですか」
「どう? 随分と洗脳していたみたいだけど」
「洗脳……っ?」
ピクリと眉が動いた。
……やっぱりそうだ。
私の考えは、きっと間違ってなどいない。
彼女の洗脳を見抜かれて焦っているのだろう。
「あなたの思惑通りには行かないよ。私は種市さんの指示通りに愛花さんを再生させるから」
「再生もなにも……愛花様は元々———」
「ダメな子だって言いたいんでしょ? それってでもさ、結局あなたがそう仕向けてるからでしょ?」
芽衣は口を噤んで視線を動かした。
そんな彼女に追い討ちをかけるように私は一歩を踏み出す。
「あなたが愛花さんの名誉を奪おうとしてるのはもう分かってるから。そんなことさせない、愛花さんをあなたの道具にさせない」
自分で思う以上に冷静で、自分で思う以上に感情的な声色で。
私は強く彼女に向き合う。
大人として、健全にあるべきという信条のもとに彼女を見つめる。
それでもし、この子も考え直してくれるなら……。
そんな淡い期待も胸の中に秘めながら。
何かが間違っている。何かがズレている。
それだったならきっと芽衣も、今から健全な考えに辿り着ける。
だからこそ彼女の思惑を詳らかにしてみせて、悪いことは上手くいかないだと締めさせよう。
目の前で眉間に皺を寄せながらも、笑顔を繕い続けながら話した。
「道具……?」
「あなたはただ愛花さんを誘惑して、籠絡して、堕落させようとしてる。葉矢川の権威失墜の道具にしようとしてるんでしょ」
ただ私のその読みに芽衣は、驚くように目を見開いた。
「はぁ……? そんなことを考えてたんですか?」
そして今度は露骨に嫌悪が表情に滲み始めた。
しくじった……?
いやたしかに、葉矢川の屋敷の中でこんな彼女の計画をバラすようなことを言ったらそうなる。
目を細めた鋭く冷たい視線はこちらを射抜くようにまっすぐと向いている。
そして冷たい息を吐くように芽衣は言葉を続けた。
「それ……愛花様にも伝えたのですか」
「もちろん」
その瞬間、芽衣は目を見開いて私を見た。
ハァとため息を吐いている。
彼女の中で負の感情が溜まっていくのが私にもわかる。
そのくらい視線に込もる敵意の滲み方が尋常ではない。
まるで何かのスイッチが入ったように、感情が明確に顔に出始めた。
大人っぽい彼女だからこそ、今にも殺されるんじゃないかと身震いしそうになる。
「……なんですか、あなた。いや、もうなんなんだよ本当に」
ボソリと呟く彼女は、呪詛のように言葉を繰り返す。
自分を落ち着けるためなのか、私を攻撃したいのか、わからない。
「ムカつく……だから嫌いなんだ。賢いと思ってる人間も怠惰なだけの人間も」
下品にも親指の爪を噛みながら、視線を泳がせつつもこちらを睨む芽衣。
それに背筋が凍りそうになった。
「……いけないっ。失礼いたしました」
そして一回肩を上下させ息を吐くと、爪を噛んでたことに気づいたのか冷静に戻ったようだった。
ただ……それでもなお、表情の色は変わることなく感情的だった。
「……残念ながら外れです。最悪、そんな的外れな考えで愛花様にちょっかいを出されたのですか?」
「それが……なに?」
こちらの言葉にも怯むことなく、彼女は嘲笑するように息を短く吐き、こちらへ指を差した。
「非常に不快です。堕落? 籠絡? そんなことするはずがないでしょう」
「じゃあなんのために……」
「目的なんてありませんよ。好きだからそうしてるだけです。愛花様が大好きだからそうしてるの」
「は? なに? じゃあ愛とか言う気なの?」
「言いますけど、いけませんか?」
まっすぐこちらを見ながら、彼女は言った。
あっさりとしすぎて、種市芽衣という存在が分からなくなりそうだった。
「あなたは、何がしたいの……?」
「私はお嬢様にダメなままでいて欲しいんですよ」
ふふッと息を漏らしながら笑う彼女は、ひどく歪んでに見えた。
異様な雰囲気が彼女から流れている。
まるで今まで堰き止めていたものが噴き出すように笑っている。
「なんで笑えるの、それだとあなたの主人は凋落してしまうと思うけど、いいの? 頑張れば愛花さんはたくさん褒められる。立派になる姿を見たくないの?」
そう言うと芽衣は、何かを溜め込むように息を吸った。
少しを間を溜めて、口を開く。
「……あの子は…愛花は、ダメな姿が1番可愛いんですよ」
ふふッと彼女は笑った。
温かい色の表情が、そして温度のこもった言葉がボソリと溢れる。
「ダメな姿……って、だから貶めてるの? そんなのおかしいと思わないの」
「貶めてるわけじゃないですよ。転んだ後に照れ笑いをするのが可愛いんですよ彼女。ならいっぱい庭に石を敷いて、いっぱい転んでほしいんです。怪我をしないよう倒れる寸前で手は引きますから存分に転んで欲しいです」
本気で言っているのか……理解が追いつかなかった。
「ダメ人間じゃなきゃ愛せない……ダメで苦境で逆境で絶体絶命のやらかしをしても、自分を責めず落ち込まず、前向きに笑おうとする彼女が愛しいんです」
彼女の言葉数はひたすらに増えていく。
それに伴い口角が上がる。
クールで美人な彼女が感情のままに笑みをこぼし、それを必死に両手で口元を押さえるように隠している。
それでもなお、彼女の歪んだ愛というものが、漏れ出ている。
「成長なんてしなくていい、ダメだと侮辱する人間は私がなんとかします。堕落も許しません。ダメな部分に甘えたら可愛くないので」
目がおかしい。本気とは思えない。
でも今までの中で1番、感情がこもる言葉だった。
紅潮させた顔に瞳を細めて何かを夢想するように笑う芽衣。
端的に言葉にするなら異常者のそれだった。
ただその異常な表情と言葉数に、本気を感じた。
本当に、本当に愛だって言うの……?
「だからあなたは邪魔なんです。なんですか洗脳って……バカバカしい。愛花様は元々———」
「もういい……! あなたが本気で彼女は想っていても関係ない。もう正しい道を歩いてる。あなたのそれは、やっぱり健全じゃない」
「……」
理解ができなかった。
けれども、この考えは……とうてい受け入れ難いものであると言うことはわかった。
そして言葉を遮ると、笑顔は苦悶の色にまた戻った。
正しい、健全、そのような言葉に眉根を寄せ、彼女は嫌悪の反応を示している。
本来の人格なのか、気質として元々不安定なのか。
愛花さんは知っているのだろうか。
ただ、何をされたって私は変わらない。
どんな様子を見せたって間違っていることには変わりない。
なんなら私の決意は強固なものになった。
結局は愛花さん次第で、彼女が証明してくれるはずなのだ。
それにどうせ何も出来ないのだから、そんなふうに敵意を表したって無駄。
「これは宣戦布告だから、あなたの堕落への誘惑より、私の改善への救済が勝つって教えてあげる。人間はね、成長する生き物なんだよ」
必死に、私にも分かるくらい必死に、言葉を絞り出している。
「彼女をそんな尺度で測らないでください」
「そんなこと」
私も彼女に釣られて、つい言葉数が多くなっていく。
自然と感情が漏れ出てくる。
芽衣にもわかってほしくて、彼女が嫌悪するだけだとわかっていても、つい語気が強くなる。
「当て込めるとかそういう話じゃ無いんだよ。彼女は成長する。あなたの手のひらから羽ばたいで巣立っていく。小鳥をいつまでも手の中で握り続けて、飛ばせることをしないで飛べないのが愛しい愛しいって言うようなやり方は私は見過ごせない」
「……っ!」
笑みが引き攣った。
芽衣はどこまでも不安定な様子だった。
笑ったかと思えば、今度は不安な表情を浮かべ視線を泳がせている。
そのタイミングで私が前にした報告が効いているのだと、今気づいた。
そうか、同じく種市さんや愛花さんの父親に愛を咎められているのか。
精神的に参っているのかもしれない。
ただそれでも私は、彼女に同情にするわけにはいかなかった。
これは……愛花さんの人生を巻き込んでいることなのだから。
「愛花……様は……」
何かを言葉にしようと、彼女は口をパクパクさせながら……ブツブツと言葉を投げかける。
少しだけ安心する。
あなたにも正当性がないのは分かっているんだよね。
そりゃ強く反論出来ない。
全ては芽衣の不健全なエゴなのだから。
「私は信じてる。愛花さんはきっと良い成績を取ってくれるよ。彼女は大空へ飛んでいく。飛べるなら鳥は飛ぶべきだよ」
切り捨てるように伝えたい。
芽衣の思惑に、愛花さんは決して負けない。
そうだ。あの子ならきっと上手くやれる。
あれだけ徹底的に弱点解消に付き合って、私の用意したミニテストも8割以上正解してる。
もう意図的に解答を間違えたりしない限り、芽衣の望むような生殺しの成績にはならない。
それでもう終わりにしてあげてほしい。
わかってほしい。
「それじゃあ失礼。今後とも家庭教師の水上瑠姫をご愛顧のほど、よろしくお願いします。あなたのお母様に伝えておいてくださいね」
メイドのよくやるスカートの裾をつまむようなジェスチャーと共に、頭を下げて挨拶を済ませた。
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