第28話
芽衣
「あなた……愛花様の誕生日の夜に何したの?」
愛花が旦那様と話している裏で母に呼び出された後、そう言われて肝が冷えた。
なぜ知ってるのかと頭が真っ白になったが、水上瑠姫が話したのだと納得した。
「何も? ご友人とお話をして、その後はいつも通り」
「……なるほどね。まぁいいわ。本当かも分からないし」
母は訝しみながらもそう言った。
どうせ見てない限り断じる材料もない。
ただ母にバレてしまった……というより、愛花がバラしてしまったようだ。
旦那様の講演会の帰りの車内、愛花はひどく疲れたように肩を落としている。
愛花は旦那様に何を言われたのだろうか……気になるけど、聞けない。
私と同じことだろうか、それともまた別?
どっちにしろ対策を考えなければならない。
ただ……今は出来ない。
愛花がこんな疲れてる状態で追い討ちをかけるようなことはしたくない。
「……」
お喋りが好きな彼女が黙る。
これは相当な負荷がかかっている。
流石に何も出来ないと、焦りが内側から沸々とお湯のように湧き上がる。
何をしたら良い……?
そもそも今の私に何が出来る……?
「愛花さんはあれだけ出来る子なのに」
あれだけ出来る子。
その言葉が頭にへばりついて離れない。
あれだけ出来る子、どれだけ出来るようになった?
明日地震が来たらどうしようとか、そんな考えてもどうしようもない類の不安が、考える度に吹き上がってくる。
どうしよう愛花が変わってしまっていたら。
隣でぼんやりと虚空を眺める彼女は、ダメな子なはず。
もちろん無能ではないけど、出来る子と言わしめるほどではないはず。
「意外と出来るね」
瑠姫の言葉がフラッシュバックする。
そんなことない。そんなの愛花じゃない。
違う、行かないで。
頭の中に溢れ出る黒い泥をどう抑えたら良いか分からなくなってくる。
とにかく……冷静に次の手を……。
「芽衣?」
「えっ……? あぁ、どうされました」
「それはこっちのセリフだよ……爪、また噛んでる」
あっ……と、急いで口元から指を引っ込める。
「なんでもありません」
「なんでもないことないでしょ? 何かあるなら言って?」
「……」
口にすべきか迷った。
でも愛花の顔を見たら、むしろ聞いてほしいと思っている気がした。
それすらも私のバイアスに感じられたけど、その直感に従って言葉を選んだ。
「愛花様……誕生日のこと、どなたかに話しましたか?」
「っ!」
運転手が何か言い含められてるかもしれないから、何気なく探りを入れて確認する。
そんなつもりだったけど、返事を待つまでもなく表情で答えが返ってきた。
「なるほど、言わなくてもわかりました」
「あの……ごめんなさい」
「なぜ謝るのですか?」
「だってさ、芽衣も……多分言われたんだよね?」
指をいじいじと動かし、何か申し訳なさそうに視線を泳がせていた。
「でもね! この前の分だけだよ。流石にこんなこと……」
そして彼女自身も察しているのか、全てが分かってしまうようには口にしなかった。
つまりは私たちの関係が常習的なもの。とまではバレていない。
……そうか。
愛花と話して少しだけ落ち着いてくる。
彼女の瞳は申し訳なさそうに潤んでおり、瞳孔の輪郭が歪んでいる。
そっか、機嫌が良くなってつい言ってしまったんだね。
「フフっ」
仕方のない子だなあ。
ダメな主人、秘密の関係はどこまでも秘密にしなきゃいけないのに。
その過誤を起こしてしまうあなたの人間性が……私には何よりも愛おしい。
「なに? 何かおかしいの?」
「もちろん。やっぱりあなたはダメ人間です」
「……流石に今回は否定できない」
プクりと頬を膨らませて、拗ねた様子を見せた愛花の頬を少し突いてみた。
プシュっと音を立てて空気を抜くと、2人の間に張り詰めた緊張が解れた気がする。
「ふふふっ……ははっ!」
「フフっ、少し楽になりましたね」
「うん、話すべきだね。やっぱり」
小鳥が囀るように笑う彼女に、珍しく私もクスリとお腹からの笑いを静かに重ねて、帰りの時間を過ごした。
私の奥底から溢れそうな黒い靄に蓋をするように。
そして……その蓋があの家庭教師に強引にこじ開けられることを、この時の私はまだ知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます