美しい物、時に生贄
トウフ。
短編
「お疲れ様!みんな、愛してるよ!」
配信の終了ボタンを押し、カメラのライトが消える。
床に転がる「愛してる」の残響。吐き気がするほど甘ったるい、ただの音。
視界がふっと暗くなる。
「はあぁ、お疲れ、私……」
私は、頬の筋肉を無理やり持ち上げていた営業用の笑顔をゆっくりと剥がした。
「な〜んで知らない人の『愛してる』が欲しいんだろ。みんなって。」
レンズの向こう側にいた数万人の熱狂が、嘘みたいに遠のいていく。
私――
フランス語の「愛してる《ジュデーム》」と一緒に噛み砕いた、バニラ味の残骸。
「サクッ」と小気味よい音を立てて壊れるそれは、私の心によく似ていた。
表面だけは綺麗にデコレーションされて、中身は空洞。あるいは、ひやりと冷たいクリームが詰まっているだけ。
――チャリン。
静まり返った部屋に、金属の重たい音が響く。
厳重にかけられた玄関の鍵が、内側から開けられる音だ。
「……お疲れ、あまり。今日のも、いい配信だったよ」
入ってきたのは、
私の「綺麗」を管理し、このチャンネルを維持してくれる、唯一の共犯者。
「……ねえ、結城。今日の同接、自己ベスト更新したみたい」
「ああ、知ってるよ。スパチャの投げ銭率も悪くない。順調だ」
結城は感情を挟まず、パソコンの画面に視線を落としながら答える。
私たちは、単なる友達でもなければ、もちろん恋人でもない。
私の「恐怖」を「商品」に変えて運用する、ただのビジネスパートナーだ。
私は、口の中に残ったマカロンの甘ったるい後味を、冷め切った水で無理やり流し込ん、
「……外に、変なのいなかった?」
カタカタと、キーボードを打つ音が強くなった気がした。
「………入り口の防犯カメラ、さっきチェックしたけど異常なし。安心していいよ、糖月。君は綺麗でいたらいい。」
彼は、仕事の時だけ私を苗字で呼ぶ。
その響きが、私を「画面の中の自分」から、「守るべき資産」へと引き戻す。
「……そう。ならいいわ。明日も、新しいマカロンを仕入れてきて。なるべく、派手で、中身が空っぽなやつを」
結城は短く「了解」とだけ言って、新しいマカロンの箱をデスクに置いた。
たくさんの鍵と、彼の徹底した管理。
その内側にいる限り、私は世界で一番安全で、世界で一番孤独な「嘘つき」でいられる。
そう、私は引きこもり。
あれは、私が高校生の時だったわ。
あの
学校の帰り道、電柱の陰、曲がり角の先。視線が肌に粘りつくような感覚が、ずっと消えなかった。
一番怖かったのは、家のドア一枚を隔てた向こう側。
――ピンポーン。
――ピンポーン。
――ピンポーン。
何度も、何度も、心臓を直接叩かれるような音でインターホンが鳴り続ける。
モニターに映るのは、歪んだ広角レンズ越しの、名もなき影。
居留守を使っても、電気を消して息を殺しても、その音は止まなかった。
「……助けて」
震える指で、私は当時所属していた事務所の緊急連絡先に電話をかけた。
プライバシーなんて言葉じゃ守りきれないほど、私の世界はもう侵食されていたから。
その時、スマホ越しに聞こえてきたのが――結城の声だった。
「糖月、落ち着け。今すぐそっちへ行く。ドアの鍵は、絶対に開けるな」
あの低い、感情を削ぎ落とした声。
警察よりも、親よりも、その機械みたいな声な指示の方が、当時の私には唯一の「正解」に聞こえたの。
あの日から、私の世界にはたくさんの鍵が増えた。
外からのインターホンは二度と鳴らないように、物理的にも、デジタルの壁でも、私は自分を隔離することにした。
それから、鏡に映る自分の顔が、自分のものではない何かに見え始めた。
私が私である前に、誰かの「標的」でしかないと思い知らされた、あの最悪な放課後。
綺麗なものは、汚されるか、奪われるか、閉じ込められるかの三択しかないんだって、その時悟ったの。
だったら私は、自分から閉じ込める方を選んだ。
この四角いモニターの中に、私の全部をパッキングして、鍵をかけた。
「………い…おい?どうした?編集の手が止まってるぞ?」
「あ……ああ、私が綺麗じゃなかったら……って思って」
私が無意識に口にしたしたその言葉は、空調の嫌な音にかき消されそうなほど弱々しかった。
けれど、結城はそれを呆れたみたいにため息をつきながら一蹴した。
「……もし君が綺麗じゃなかったら、このビジネスは成立していない」
結城はタブレットから顔を上げず、淡々と、事務的なトーンで言い放った。
「君がその顔を持っていて、恐怖を抱えているからこそ、画面の向こうの連中は熱狂する。……綺麗じゃない糖月愛楽に、投資価値はない。」
突き放すような言葉。
けれど、それが今の私には、どんな慰めよりも心地よかった。
「……ふふ、相変わらず夢がないわね、結城」
「夢を見るのは視聴者の仕事だ。僕たちの仕事は、その夢を壊さないように、完璧な『嘘』を維持することだろう」
結城がデスクに置いたのは、真っ白なシュガーコーティングが施されたマカロン。
一見、何も染まっていないように見えて、その実、一番甘くて正体不明な味がした。
「明日の配信はイタリア語で行くぞ。愛してる《ティアモ》の練習をしておけ」
「了解、パートナー。……明日のマカロン、何味にする?」
「……レモンだ。酸っぱくて、目が覚めるようなやつを頼んでおく」
結城が部屋を出て、また「たくさんの鍵」が閉まる音がする。
私は一人、モニターの電源を切った。
暗転した画面に映る自分の顔は、やっぱりどこか他人事のように綺麗で――
私はそっと、新しいマカロンの箱に指をかけた。
「私って、誰なんだろう」
そう、呟いた。
美しい物、時に生贄 トウフ。 @kinudoohu
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