No.6 助かることはない
「こんにちは。ひいらぎさん、すごくやさしくていいひとだね。わたし、やさしいひとがすきなんだ。だって、けんきゅうじょのひと、みんなこわいんだもん。へんなおくすりをつかってくるし」
少女は、赤とオレンジを混ぜた、暖色のワンピースを着ていた。
艶のある髪は真っ黒だ。それに対し、華奢な体は雪のような白さだった。
どこか人間離れしたような童顔。星のような青い瞳が、ガラスの中で戦慄する男を静かに見据えている。
そして彼女は――体のあちこちから、真っ白なキノコを生やしていた。
「……うわああああ!!」
柊は叫び声をあげ、ガラス部屋の隅に逃げ込む。
「お前は誰なんだ!」
「わたし? おりひめだよ!」
「織姫……! まっ、まさかお前、被験体77とかいう――」
「……わたし、そのなまえきらい。よばないで」
柊は、うるさく高鳴る心臓を、胸の上から無理やり押さえ込もうとする。
(なんであいつが生きてるんだっ……! 10年前に生み出された生物じゃないのか!?)
動悸が治まらない。胸に熱がこもる。
柊はふと、恐怖で頭から飛びかけていた天野のことを思いだす。
「そうだ、天野はっ……。彼はどこに!」
「いないよ? そんなひと」
「は?」
少女の言葉に、柊は耳を疑う。
すると少女は喉に手を当て、咳ばらいをした。
「……柊さぁん! もう限界っす! オレのとこに来てくださいよぉぉ!!」
――それは間違いなく、少女の口から出された声だ。
「どう? わたし、ひとのこえをまねするのとくいなの。じょうずでしょ?」
「……」
「あまのさんはね、わたしが10ねんまえにたべた」
少女は笑顔で、淡々とした口調で話す。
しかし、突然そんな事実を伝えられたところで、柊はまともに処理ができなかった。
(天野がいない……? 10年前に食われ――は?)
「みならいけんきゅういんなのも、がれきがじゃまでかえれなくなったのも、あしからきのこがはえたのも、ぜんぶうそ」
少女は首を左右に揺らし、ガラスの壁に近づいてきた。
「わたしね、このすがたになってから……いろいろできることがふえたんだ。でんきをいれなおしたり、きかいをうごかしたり。でーたべーすにかきこんだのもわたし、でんげんをなおしたのもわたし、けんきゅうじょのきかいをそうさして、あなたをとじこめたのもわたし。みんなみんなわたし」
「……ボクを、ここまで騙してきたのか」
柊は、何の感情もこもらない声でつぶやいた。
そして絶句する。少女の行動は、研究者の、人間の常識で、理解できるレベルではない。
「ごめんなさい。でもわたし、おなかすいたの。10ねんなにもたべてないの。くるしくてさびしくてしにそうなの……。でもあなたが、でーたべーすをみつけてくれた」
「……」
「ねぇ、え? ゆるしてくれるよ、ね? わたしのたんじょうびなの、きょう。だから、おにくほしい。たべ、たい」
このとき柊は、恐ろしい事態に気づいてしまった。
裸足で歩み寄る少女の体が、徐々に変形していくのだ。
真っ白な腕が巨大化し、床に引きずるほどの長さになっている。背中から片翼のみの白い翼が生え、少女は首を直角に右へ傾げた。
「わたしがおりひめで、■なたはひこぼし。ほんをよんだの。7がつ7にちだけあえるって。でも、そんなのさびしい。いやだ。だからわ■しがあなたを、■■■■して。ずっ■■っしょにいよ?」
少女の手が、ガラスの壁に触れる。
そして、口元から唾液を垂れ流し、この世のものとは思えない咆哮を上げた。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「うっ……わああああああああああ!!」
それと同時に、柊も喉が裂けんばかりの絶叫を上げる。
もはや研究者としての知性は、跡形もなく吹き飛んでしまっていた。
(逃げないと! 逃げないと! あいつに殺される!!)
混乱状態になり、彼はガラスの扉を壊す勢いで殴る。
しかしビクともしない。目を血走らせていると、ガラスの扉に、鍵穴があるのを見つけた。
(鍵穴……。そういえば、回収した鍵……)
ポケットから、古びた鍵を取り出す。
もしこのガラスのような部屋が、「隔離装置」という名称のものであれば――
「……くそっ!!」
半ばやけくそで、乱暴に鍵穴を差し込む。
すると見事に先端が噛み合い、ガチャリと音がした。
「開いた! 出られる!!」
「!!」
扉とは反対方向から話しかけていた少女は、柊の脱出を止めることができなかった。
柊は勢いよく扉から飛び出し、もと来た廊下を全速力で駆け抜ける。
(急いで地上へ戻るんだ! 研究所から出て、車で避難しなくては――!!)
不気味な少女が視界から消えたことで、欠いていた冷静さを少しずつ取り戻す。
しかし、緊迫した状況は続いたままだ。懐中電灯をつける暇さえなく、暗い廊下で、記憶だけを頼りに階段を捜す。
「あまのさんのこえでしんようさせて、いちばんおくのへやによびよせようとおもったんだ。がらすのへやにとじこめたかったから」
どこかからか少女の声が聞こえてくるが、気にしている余裕はない。
しかし、柊が廊下の角を曲がろうとした瞬間――突然、目の前に少女が現れた。
「ああああっ!!」
間一髪で、少女が伸ばした長い腕を躱した。
そのまま逆方向に逃げ出す。少女の言葉が再び聞こえてくる。
「わたし、うごきがおそいの。だからこうやってにげられると、なかなかつかまえられないの」
(じゃあなんで気がついたら目の前にいるんだよ!?)
心の中で文句を言うが、それを声に出す体力すら残っていなかった。
「ハァッ、ハァッ――」
(見えた! 階段!!)
天野は一段飛ばしで階段を駆け上がる。
「ほんとうは、のんびりあなたがくるのをまってようとおもったの。でもあなた、けんきゅうじょのなかをすごくゆっくりあるくし、わたしはおなかがすいたし……。とちゅうでどなっちゃったかも。ごめんなさい」
背後から少女が追いかけてくるのを見つけ、ひとまずどこかへ隠れようと考えた。
(いったん隠れて、あいつが離れるのを待とう)
そして身を投げ込むようにして入ったのは、地下3階。
電気のない真っ暗な部屋だ。柊は机の陰に身を伏せ、必死に解決策を考える。
(スマホは圏外だから、誰にも助けは呼べない。……とりあえず、「織姫」が別の場所を捜しに行くのを待つんだ。そしてその隙にボクは、エントランスから脱出する!)
ふと階段の辺りを見ると、少女が首を左右に振って柊を捜している。
今のところ、自分の隠れている場所は気づかれていないようだ。
「ふぅっ……」
小さく安堵の息を漏らした瞬間。
――床から、ミシミシとヒビ割れのような音が響いた。
「なにがっ――!?」
何年も経って老朽化した床は、すでに脆くなっていたのだ。
そのまま床が崩壊し、瓦礫と共に柊は地下4階まで落ちてしまった。
「……うぅっ!!」
背中を強く打ち、思わず呻き声が漏れる。
今の音で織姫に居場所がバレていないか。今すぐにこの場所を移動した方がよさそうだ。
そう考え、柊は腕で体を必死に起こそうとした。
「……え」
その時初めて、柊は自分の体に起きている異常に気が付いた。
――右手の甲から、真っ白なドクツルタケが、立派なかさを広げてニョキッと生えている。
破壊の天使が、己の体に巣食っている。
「……うあああああああああああああああああああ!!」
叫び声をあげ、柊は反射的に身を起こした。
前まで虫刺されだと思っていた箇所から、一週間もあれば人を殺せてしまうキノコが寄生している。
もはや超常的な出来事に驚きすぎて、体力も気力も残っていない。そんな彼のもとに、「織姫」が足音を立てずに現れた。
「みつけた」
「やめっ、やめろ!! あああっ!!」
キノコが生えた右手を抱え、柊は必死に走り出す。
どこから走る力が湧いているのかも謎だ。好奇心だとか恐怖だとか、そういう感情はすべて、「死にたくない」という本能的な欲求に変換されていた。
「にげないで……」
「織姫」がつぶやいた瞬間、天井の開いた穴から、巨大な瓦礫が彼女目掛けて降り注いだ。
砂埃が舞い、「織姫」の姿が見えなくなる。チャンスだと感じた柊は、一気に階段を目掛けて足を動かす。
(研究所から出る! それだけ!! 出ればきっと助かるっ……!)
早く逃げて、受けた被害を報告するのだ。
あんな恐ろしい化け物をつくったベガ機関となど、共同で研究できるか。法律で裁かれてしまえ。
右手から生えたキノコだって、手術でどうにか除去してもらおう。
瓦礫に埋もれた「織姫」が、背後から追いかけてきている気配はない。
ついに柊は、地上――エントランスの場所へと、戻ってくることができた。
「ついた!!」
机には、来た時に見た研究理念のポスターが置かれたままだ。
『ベガは――生物の”可能性”を!』
「何が可能性だっ! この腐り切ったスローガンめっ!!」
柊は、腹いせにポスターをビリビリに裂く。
紙吹雪が手から零れ落ちた。手を払い、柊は扉を開けに向かう。
「やっと解放される……。安易に来るべきではなかったな、こんな場所」
改めて、自分の軽率な行動に反省する。
得た情報を自分の手柄にしようと思ったのだが、そんな甘い場所ではなかった。国家レベルで解決せねばならない問題が眠っている。
手に入れた証拠を持ち帰って、早く仲間に伝えたい。なにより、この不気味なキノコを何とかしたい。何かが起こってしまう前に。
そして柊は、扉の指かけに手をかけた。
ガチッ……
「……は?」
扉が閉まっている。
どれだけ力を込めても、鉄の扉は微動だにしなかった。
「……おい、嘘だろ! いつ閉まったんだ!?」
傍にあった家具をぶつけても、扉にはかすり傷が付く程度だった。
最後の最後で行き詰まり、柊は焦る。
そして――
「……うわっ!?」
突然バランス感覚を失い、前方に倒れ伏す。
ふと後ろを見ると、真っ暗な奥の廊下から、長い腕が伸ばされている。その腕は、柊の左足をがっちりと掴んでいた。
「つかまえた」
「やめろっ! 放せ!!」
「これでもうさびしくないね」
無邪気な声が、暗闇から聞こえてくる。少しずつ腕が引き戻され、柊の体が室内に引きずり込まれていく。
「ほ、ほんとにっ……! いやだ!! ボクはまだ死にたくない!!」
柊は残っていたすべての力を振り絞り、狂ったように暴れる。もはやその醜態は、とても白衣を着た理知的な男のものとは思えなかった。
しかし「織姫」の力は、人間ひとりで対抗できるような半端なものではない。
岩を押したり、遠回りして走ったり。
すでに体力を消耗し過ぎていた柊は、盛大に暴れた後、やがてぐったりとうつ伏せになった。
「いやだ……いやだ……」
「あぁ、おなかすいた」
「こんな、つもりじゃなかったっ……。ちょっと探索に来ただけなのに。ボクは出世して、世界のために研究を重ねて……。だから、こんな場所で、っ……!!」
やがて、重いものをズルズルと引きずる音と共に、柊の姿は闇の中へ消えた。
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