【21】士織の烙印――シュティレの言語

 不破士織は暴力を嫌う。

 言葉を捨て、思考を捨てて問答無用で相手を蹂躙する、人間らしからぬ行為だと思っている。だというのに、思わず掴みかかってしまった。

「なぜ酒気帯びなんだ結城!!」

「ごめんごめん、ちょっとあの、オール? しちゃってさぁ」

 冴は飄然と受け流す。どうもこの男が退勤後、“フォルテ”に出入りしているという話は聞いていた。むろんプライベートに口出しするつもりはない。ないのだが、

「一瞬でも自主的な哨戒だと思った僕が馬鹿だった……」

「えー? なんかゴメン」

「どうして僕はこんなに不真面目なやつと組まされたんだ……」

「おまえが要領悪すぎるからじゃない? 俺今日ホントは代休なんだしぃ、大目に見てよ」

 今日は指音しおんの月例試験がある。音声を使わないシュティレ独自の言語の実技だ。眞白が直々に指導してくれる日だった。

「そんな体たらくで成績を落とすなよ」

「不破こそ、ちゃんとついてきなね。おまえの成績は俺の昇進にも影響するんだから」

 「だるい」と言いつつも、自主練につきあってくれているのは冴のほうだった。全面的に遅れをとっているのは認める。感謝だってしているが、本人が“こう”なのは癪だ。

「緩んでるぞ、だらしない! 眞白さんの前に無礼な格好で出るのは許さないからな」

「うるさいなぁ、不破がキツく締めすぎなんだって」

 言い合いながらアスコットタイを掴みあう格好になり、胸元が緩む。しまった、と思ったときには冴の目にそれを晒していた。冴の手を振りほどき、平静を装ってボタンを留めなおす。

「それなぁにぃ?」

「見ての通りだ」

「誰がやったの?」

「母だ」

「だいぶパンチ効いたママだねー?」

 右鎖骨の上に焼きつけられた烙印ブランディング。その程度のコメントなのが冴らしい。軽く受け止めてくれた方が気が楽だ。

「セージ、って武藤聖二?」

「そうだ。最後のアルバムのロゴマークだそうだぞ?」

 ファングッズの、シーリングスタンプだったはずだ。パズルのように散らばる鏡の破片のシンボルに、「Seiji.M」のアルファベット。それが人を苦しめるものだと知っていたはずなのに、中毒のように聴くのをやめなかった母。もう聴きたくないと訴えたとき、「どうしておまえには母さんの苦しみがわからないの」と刻印された。衝動的な、極限の状態だったのだと思う。あのひとにとっては、武藤聖二の音楽だけがよすがだったのだ。たしかに母の苦しみはわからなかった。けれど同時に僕の痛みも母は感じていないんだと、思い知らされた断絶の瞬間。

「まだ痛い?」

 音楽が皮膚に触れる時、いまでも焦げつくような痛みを生じる。凛の試験の時もそうだった。けれどそれはいかにも感傷に浸るかのようで、かぶりを振る。

「いや。だが今でもこの刻印が教えてくれるんだ。音楽は人を傷つける。決して信用するな、とな」

 今ならわかる。悪いのは母ではなく、音楽だ。

「……僕は暴力が嫌いだ。音楽は、暴力だからな」

 母が再婚したとき、きちんと謝罪は受けている。僕は大丈夫だから、もう忘れて、母さん。そう伝えている。だから母にとっては、終わったことにできている、はずだ。恙無く暮らしていてくれればそれでよかった。音響犯罪者ハウラーとの戦いに巻き込みたくはないし、母の築く新しい家庭に自分の席がないことも、わかっている。

「それなのに、なぜあんなに必死なんだろうな」

「なにがぁ?」

「ヴァイオリンが弾けなくたって、別に死ぬわけではないだろう? それなのに」

「そーゆー人種もいるんじゃん? 呼吸と一緒でさ、弾けなきゃ窒息して死ぬんだよ、あいつらは」

「……理解に苦しむ人種だ」

「シュティレん中に、それを理解できる奴はいないんじゃない?」

「……僕は間違っていたと思うか?」

 今も自問自答している。跳ねっ返りだが、悪いやつではないことは知っていたのに。他の無免許プレーヤーのように隠し持ったりせず、堂々とヴァイオリンケースを持ち歩いて検疫に引っかかる真っ正直さも。行くあてのない流れ者を、見え透いた嘘でかばってしまう優しさも。——弾かせてほしいと、必死で訴えていた。そんな彼女から、僕は取り返しのつかないものを奪ったのではないか?

「針が振れたのは俺も見たよ。まだプロトタイプってのはあるけどさ、仮にあれが誤作動だったとしても、証明できない。判定官が誰でもそうしただろ」

 インジケーターの反応はほんのわずかだった。彼女が本当に「無実」なら、非運としか言いようがない。

「……そうだな」

 自分の目で、耳で、正確に見分けられればいいのに。善意と悪意を、楽器と凶器を。そうすれば無為に誰かを、責めずに済むのに。それがかなわないから、開発段階の装置だろうと頼らざるを得ないのだ。こんなことで迷う自分が惰弱に思えて、厭だった。ふと顔を上げると冴と目が合う

「少しはラクになったー?」

「……うん。ありがとう、結城」

「そりゃヨカッタ。おまえってなんだかんだひとの話きいちゃうからねえ」

「対話してみなければわからないだろう、なんだって」

「いーけど、流されんなよ? おまえ情に脆いんだから」

「無論、それとこれとは話が別だ」

 威儀を正し、定刻通りにやってきた眞白を迎える。

「冴さん、お休みの日にごめんなさいね」

「いぃえぇ? 大事な試験の日なんで」

 冴は酒気も徹夜明けの疲れも表に出さず、士織と向かい合った。洒脱した軽妙さは時々うらやましい。手番は冴が先だった。指抜きの手袋から伸びた指が、流れるように通信を始める。

直接検知圏タクティカルレンジに異音を検知、ハウラーに警戒しつつ接近”

 試験では所定の情報の伝達を、規定時間内に正確に行う。使う指の本数と高さと動きで、細かい意思の疎通も行えた。

“予測できる楽器の種類とデシベルを教えてくれ”

“楽器は弦、デシベル85、南西の方角”

“周囲に人は……ちょっと待て、早い”

 冴の指音は、装飾が多くて読みづらい。一度に多くの情報を伝える高度なテクニックは眞白にも評価されているが、悔しいことについていくのがやっとだ。

“特定チェロ、回折が発生、音叉にて――” 

“だから早いと言ってるだろう、もう少し速度を落とせ!”

 小指を勢いよく振りぬきすぎて、デスクの角にぶつけた。無言で悶絶する。眞白が「あらあら」と声を上げた。

「失礼、しまし……ッ」

「試験はここまでにしましょうか。相変わらずあなたがたの班はスコアの水準が総じて高い。大丈夫? 士織さん」

「違うんです、今のは……!!」 

「不破が指音までうるさいの、ホント才能だよねえ? マシロさん」

「君は黙ってろ……っ!」

 まだ痛みから立ち直れないながらも、士織は眞白に向き直る。嫣然と微笑んで、眞白は指を持ち上げた。

“冴さんは流暢、士織さんは実直、頼もしいわ。次回も期待しています。引き続き、しっかりね”

 舞うような動きだった。剛強さや鋭さは一切ないのに、その滑らかさにふたりして圧倒されてしまう。優雅に会釈をして、眞白は辞去する。

「……昇進は遠そうだな」

「やっぱきびしーなー、マシロさん」

 自然と背筋が伸びるのが分かった。その厳しさが小気味いい。それでも鎖骨の上、ちりりと引き攣れる烙印ブランディングに、無意識に触れていた。

 ――ライセンスという唯一にして絶対の登竜門を閉ざされ、悪魔ハウラーの証明を受けてもなお、武藤凜はあの暴力を、今も求め続けているのだろうか。

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