【14】はじめます、三人暮らし――三原色のパジャマパーティー
ペンダントライトの下、ふたりの女が話し込んでいる。凛と天雫。つい最近顔見知りになったばかりだというのに、その声が不可思議に懐かしい。
「どうした?」
「お水?」
無言で大きく頷き、千鳥はその場に突っ立っていた。
「なんだ、持って来いってか」
「待ってね。凛も飲む?」
二人の声が千鳥の鼓膜を震わせ、なぜか強く、泣きたくなる。ソファに座るふたりのあいだに無理やり割り込んだ。冷たいグラスを受け取り、一気に流し込む。大きく息をついた。
「具合はどう?」
「……遊園地」
「うん?」
「遊園地行きてぇ」
俯く千鳥の肩越しに、凜と天雫が顔を見合わせる気配がする。
「寝ぼけているのか?」
「行ったことねえんだもん」
泣き言のような響きになるのが悔しかった。いつか行こう、と言ったきり、行けなかった場所だ。それよりも早く、空人のピアノを継承したくて。お父さんと行きたい、が、言えなくて。
「わたしもない」
「……わたしもだ」
千鳥を泊めるにあたり、天雫が慌てて買ってきたルームウェア。同じようなデザインの三着がソファに並ぶ。ブルーとピンクとパープル。それが三人の、三原色になる。ひどく無防備な、素顔の時間。それなら行こう、遊園地。誰かそう言ってくれないかな、と互いに思っているような空気が流れた。自分が言って、いいのかな。
「……眠れないなら、弾くか?」
代わりに凛が提案する。
「おまえの採用試験をしてやる。どのみち伴奏者は探さねばならんからな」
「いーね、建設的」
三人で防音室に向かう。選曲を任されて、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」第一楽章にした。まだ残る熱のせいで、鍵盤がいつもより重い。薄氷のうえを滑るような手探りのピアノに、凛のヴァイオリンが容赦なく体重をかけた。足場が割れないように、旋律にエンジンをかけて、もっと遠くへ疾走するように。胸の前で手を組んだ天雫が、息を呑んで見守っていた。
横目で凛の姿を確かめる。重厚なピアノに対しヴァイオリン一本で対抗しているため、いかんせん音の厚みに欠ける。だが振り回されずについてくるのはさすがだ。強気で、悪辣で、凛とした弦の音。思わず口角を上げていた。
父親を名前で呼ぶもの同士の、凛と千鳥。あのときから空人を面と向かって「お父さん」と呼べなくなったことに、空人は気づいていただろう。俺がいて、あんたは不幸だった? いないほうが幸せだって、思わなかった? 知りたくてたまらなかったのに、絶対に、声にすることができなかった問い。もう二度と、空人の口からは聞くことができなくなった、答え。終止線までたどりつくと、凛はいつもの性悪そうな笑顔を見せた。
「まあまあ、合格ラインだな」
「よく言うぜ、ついてくるのがやっとだったクセによ」
筋金入りの強がり。お互い様の、意地の張り合い。
「……いいだろう。わたしの背中は、おまえに任せてやろう」
差し出された手を握り返すと、凛が顔をしかめる。
「痛いぞ」
「なんでそう無駄に偉そうなの、おまえは」
千鳥は聴衆に視線を転じる。大きな瞳を潤ませて、天雫も微笑んでいた。
「おまえ、専属契約の立会人な」
「……うん。確かに見届けました」
三人の三原色の、ルームウェアのまま。ヴァイオリンを律儀にクロスで拭きながら、凛が命じる。
「目が覚めてしまったな。天雫、湯を沸かせ」
「うん、からだが大丈夫なら、千鳥もお茶のまない?」
「俺、炭酸がいい」
「酔狂なパジャマパーティーだな」
真夜中の、迷子のための。遊園地の代わりに、それも悪くないと思った。
凛がピアノの下にシュラフを見つけたのは、その日から間もなくのことだった。
「貴様……いつの間に寝床を確保した」
「あーいいんだよ俺、どこでも寝れっからお構いなく。いやマジほんとベッドとか、いいんだよ買わなくて」
「一言も言っておらん」
千鳥は口笛を吹きつつ、ドラムバッグからせっせと荷物を並べている。
「店を開くな」
「住むんなら大勢の方が経済的よー? 伊藤ひとり置いとくと力仕事らくらくだしDIYも頼めちゃうし、ほーらこんなにお得」
「おまえが言うな」
「いいよいいよ、みんなで暮らそ」
「おまえが言うな」
こうして凛のマンションにはルームメイトがもうひとり、転がり込むことになった。
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