【12】招かれざる客――禁色の血統
音響検証からわずか二週間後、千鳥が「喪主」としてメモリアルサパーを開催した。音楽要因による行方不明者を悼む会。大学から急かされたらしい。空人の空けた席を埋めるための区切りが必要なのだろう。あまりにも性急すぎると思ったが、現に空人は帰ってきていない。
会場は音大のレセプションホールだった。ドレスコードはモノトーン。棺も鯨幕もない別れの儀式。千鳥は黒いジャケットの下に、派手なペイズリー柄のシャツを着ていた。こちらに気づくと襟元を引っ張り、歯を見せる。
「悪ぃな、ご多用中。あのバカ、無地のシャツいっこも残さねえでいなくなりやがって」
どう見てもやつれていた。あれから街中を探し回っている。それでも態度だけはいつも通り、忙しく教授陣や学生たちに挨拶をしていた。悄然とした面持ちでついて回る天雫を、茶化すように言う。
「おまえはなに、カルガモかなんか?」
「できることない? 千鳥」
「いーよ、ゲストなんだし。ご歓談してろや」
「……わたしも、お母さんがいなくなったの。もうずっと前だし、千鳥のときと、違うかもしれないけど」
言葉を選び、天雫は千鳥を見上げる。
「だから、遠慮しないでほしいの」
「……そーかよ。じゃ受付頼むわ。俺、出番あっから」
小さなステージにはグランド・ピアノがある。その側の卓上に、ひっそりと写真が飾られていた。いつもより少しシリアスな笑顔の空人。それでもまだ、悪趣味だ、とどこかで思っている自分がいた。親子がかりでこんなことをするなよ、空人さん?
その写真に一礼し、千鳥がピアノの前に座る。たったひとりの演奏は、ショパンのノクターンだ。
受付を手伝う風雅は幽霊のような顔をしていた。その反応に却って安堵してしまう。千鳥のように平然とそこに立っている方がおかしいのだ。記帳された名前を見て、風雅は来訪客を見上げる。
「……伊藤先生とは、どういった?」
「学友だ」
応えたのは、ゴールドライセンスホルダーの鳳響介だった。高名なピアニストで、自身のオーケストラも創設している。空人の人脈が広いのは知っていたが、それでも意外だった。特に遠慮する風もなく、手を休めている千鳥に声をかける。
「久しいな、例の事件以来か」
「……どちらさん?」
「主催者は君か。あれから奈々とよりを戻したという噂も聞いたが、そうでもないようだな」
手負いの獣が毛を逆立てるような気配を千鳥に感じて、凛はステージに歩み寄った。
「千鳥、すごい有名人とコネがあるじゃないか」
「凛……」
千鳥の殺気がわずかにゆるむ。かばわなければいけないような気がした。恋人か何かと勘違いしたらしい響介が、興がるように目を細める。
「なんだ、話していないのか? ……いくら面の皮の厚い君たちでも、さすがに言えないか。君は不義の子で、伊藤空人の血は一滴も流れていないことは」
千鳥の表情がなくなった。凛の背を、得体の知れぬ震撼が奔る。
「あのときは私も若かったからな。奈々が産んでしまったものを、あの男に育てさせたのは気の毒だったが……結局、最後まで鳴かず飛ばずで終わったか。音楽家としては三流、あの程度の演奏なら、無料のシッターとしても……まあ、二流程度だな」
かっ、とヒールが鳴った。気づいたら思い切り踏み込み、響介の顔面に拳を叩き込んでいる。
「おまえに空人さんの何がわかる」
よろけるスーツの胸倉を掴み、追撃しようとしたところで、
「ちょおま、やめろや、なにホラ、あの……メモリアルサパーだぜ一応?」
当の千鳥本人に羽交い絞めにされた。腸が煮えくり返って、千鳥さえ憎らしくなる。空人さんが侮辱されたのに、よくも平然とそんなことを。もがくように伸ばした指が男の頬を掠めた。
「ふざけるな、おまえが弾いてみろ、彼のような演奏を、今この場でやってみろ! 空人さんの足元にも及ばない三流ホルダーが!」
場が騒然とする中、暴れる凜を見下ろして、響介は血の滲む口元に酷薄な笑みをのせた。
「……なるほど。育ちの悪い駄犬同士、お似合いというわけだな、千鳥?」
「そーだよ、とっとと帰らねーと指噛みちぎられんぞ?」
難儀して凛を押さえ込みながら千鳥が突っぱねる。背後に控えていた天雫が「出口までご案内します、どうぞ」と分度器のような目をして響介を誘導した。扉付近の風雅が「ご来場ありがとうございました」と引き継ぐ。
当然ながら、凛にも退席指導が入った。「やっぱおかしいよあいつ……」「なんで武藤を入れたんだ?」という棘のある声に、「ごきげんよう」と余裕たっぷりで微笑んでやる。会場の外に出ると、天雫と千鳥が追いかけてきた。
「どうして凛が追い出されるの?」
「そりゃまあ来賓ぶん殴ったらそうなるて」
壁に背をつける凛の爪先を、千鳥はつんつんと蹴る。
「おまえ、俺のことは三流とか言っといて?」
「おまえが言い返さないからだ、腰抜けめ」
蹴り合うかたちになった。凛と並んだ天雫が、困ったように笑っている。
「あんなパープリンにゃあ、7回死んでも父さんの偉大さはわかんねえよ。イキりやがって、指、大丈夫か?」
「心配無用だ。……何をしに来たんだ、あの無礼者は」
「知らね、冷やかしじゃね?」
今になって拳がズキズキと熱を持ち始めた。千鳥は苦く笑う。
「……血がつながってねえこと、隠すつもりじゃなかったんだけどな。変な伝え方になって悪かった」
「……おまえが謝ることじゃない」
千鳥の父親が響介であることは、6歳の頃に発覚したのだそうだ。実の両親が養育を拒んだ千鳥を、空人が育ててくれた。妻の奈々とは、離婚したにもかかわらず。短く淡々と、千鳥は語る。千鳥の性格からすれば、それをこそ笑い事にしたかったはずなのだ。それを傑作のネタに作り替えてゆく道半ばにして、空人は千鳥の人生から退場してしまった。
「当時者は責任取らずにのーのーと生きてんのにな。……被害者のあいつだけが残ったんだよ。底抜けのお人好しっつーか」
「――わたしは尊敬するよ」
「……うん」
地獄をくぐり抜けても、愛を手放さなかった人にしか作れない音色がある。空人の音楽がまさにそうだった。優しいという言葉では形容しきれない、その深く哀しい、泣きたくなるような彩り。
「俺さ空人がいなくなる前、あいつの声聞いたんだよ」
「……空人さんと話したのか?」
「いや、ホラあんじゃん、いなくなった人の声が聞こえるってヤツ。でもあいつが、何が言いたかったのか……わかんねえんだよ」
定まらない視線で、千鳥はコードタグを握りしめていた。空人の残した、複雑な輝きを放つブロンズのタグ。
「なあ空人、何だったんだよ? アレ。……なあ」
最後の来賓が退出しても、片付けまで手伝ってくれた風雅の背中を見送っても、凛と天雫は立ち去りがたくそこにいた。キーターを背負った千鳥が、電球をともすように笑顔になる。
「なにお前ら、夜道怖いの? しょーがねーなあ、送ってってやるよ」
「は?」「う?」と言っている間に二人の背を押し、駅に向かい始めた。
「ほら早くしろよ、乗り遅れんぞ」
「何なのだお前は一体」
ごちゃごちゃと言い合いながらマンションまでたどり着く。エントランスの前で、千鳥は足を止めた。
「じゃ、またな。……今日、ありがとう。本当に」
ふたりと向き合い、千鳥が再度口にした言葉が、柄にもなく深く殊勝で、これを伝えたいがためにここまでついてきたのだということを知る。隣の天雫が、凛と千鳥を交互に見ながらそわそわしていた。
「寄っていくか? 茶くらい出すぞ、天雫が」
「え? あっ、うん! そうだよ、あがっていって?」
「えー、なんか催促したみてーでワリィなあ」
だらしなく笑って、千鳥はついてきた。尻尾があったら振っていただろう。夕食を終えると、天雫が凛の顔を窺った。
「泊まってもらったらだめかな? ほら、もう遅いし……わたしは床で寝るし……」
「今度はお前が犬を拾ってきたみたいだな」
このまま放っておくのも夢見が悪い。千鳥にベッドを譲ってやり、ヴァイオリンのネックを握って防音室に向かう。天雫が呼び止めた。
「凛、練習するの?」
「今日はバタバタしていて、基礎練習すらまだこなしていないからな」
「でも……今日くらい、休んでもいいんじゃない? いろんなことがあったし……」
「……わたしを冷たいと思うか?」
「……ううん。凛は強いね」
「ありがとう、言葉を選んでくれて」
立ち止まるわけにはいかない。舞台の上でわたしの演奏を支えてくれる、唯一の味方がいなくなったとしても。帰り道を見失った音色は、深夜まで鳴りやまなかった。
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