【11】士織、護る理由――静けさの化身

 花が好きだ、と言うと、大抵の人間は意外そうにする。尊敬する上司、音無眞白(おとなしましろ)もそのひとりだった。

「やあ、今日も綺麗だな」

 “レスト”エリアにあるシュティレ本局、サイレンスコア。定期面談に訪れると必ず経由する空中庭園で、今日もつい、控えめにうつむくスノードロップたちに声をかけてしまった。ふふ、と潜めた笑い声に振り返る。

「それ、士織さんのクセね」

「あ……っ、失礼しました」

 若干のきまりの悪さに、慌てて威儀を正す。

「そろそろ時間だから。ここにいると思ったの」

 この庭園には白い花が多い。定期面談を通して、士織はスズランやクチナシ、カサブランカたちと顔見知りになった。シニヨンに結われた黒髪の後を追ってエレベーターに乗る。

「士織さんは、いつもここのお花を褒めてくれるから嬉しいわ」

「花は優しいから。……好きなんです」

 シュティレは総勢2500名の少数精鋭組織だ。「音響災害対策」に特化しており、トップ層との距離が近い。シュティレには行方不明者の「遺族」が多く、静寂維持部門総監の眞白もその一人だった。ハーメルン事件にて両親を失っている。士織自身は遺族ではないが、母はいま別の家族と暮らしているし、似たようなものだった。

 サイレンスコア――士織たちが所属する「静寂維持部門」を統制する「音響監理部門」のオフィス――は防音設備が完備されていて、話し声も吸い込まれるようにすぐ消えていく。モノトーンで統一された、眞白の執務室のクリアな空気が好きだった。

「前回の定例放送で、また有川さんとやりあってましたね」

 今度は眞白がきまり悪そうにする。

「彼女はあまりにも音楽の危険性を軽視しているんですもの」

 内閣府の有川どれみは音楽推進派だ。音楽保護特区の“ドルチェ”エリアを中心に管理しており、眞白とは真っ向から対立している。シュティレは政府直轄の組織であるため、基本的には従うよりない。

「いまだにハウラーがどうやって人を消すかさえはっきりとは解明できていないというのに、無防備すぎるわ」

 ハーメルン事件の調書にも幾度も目を通したが、生き残りの親子が見たのは無人のコンサートホールだけ。“その時”何が起こったかを知っている者は、今も全員行方不明だ。だからといってまさか、捕捉したハウラーに実演させるわけにもいかない。

「同感ですね。そもそも形状が物騒なんです、楽器というものは。先日も鍵盤を背負っているプレーヤーがいましたが、僕にはあれが風変わりな鈍器にしか見えない」

「ふふ、確かにけっこう重いのよね、キーターは」

 眞白はかつて、ピアニストを目指していたのだという。ハーメルン事件をきっかけに、それは取り締まるべき対象となった。鍵盤に置いていた手を白い手袋で封印し、静寂を統べている。 

「もうすぐライセンス試験ね。士織さんにも判定官をお願いする日程があったでしょう?」

「はい。ハウラーの音の波形の検知機器……インジケーター、でしたよね。導入されてよかったです。……自分の耳で判定するのは、不安だったので」

 眞白を前にすると、素直に弱音が吐けた。

「僕には音楽の良し悪しはわかりません。……美しい響きの内包するものが、美しいとは限らない」

 不自然な沈黙が流れる。眞白が何を考えているか手に取るようにわかった。そう、武藤聖二の楽曲がそうであったように、だ。

 当時、父と離婚したばかりだった母の心を、武藤聖二の音楽は奪った。ハーメルン事件以前には、“この世のものとは思えないほど甘美”と絶賛されたあの楽曲群。母はその狂信的なファンだった。父はもういない。母は自分を見ない。友達はいた。けれどどんなに楽しく過ごしても、その帰路で最後には必ずひとりになる。どんなに仲良くなったつもりでも、やがてはみんな手を放していく。自分の家族のもとへ、帰るのだ。当時は家族を失い、養護施設に入る子どもも少なくなかった。けれど士織は「みんなの」施設に行くのではなく、「誰かの」家族になりたかった。誰かの、「一番大切な」と称される家族に。母の一番は、父であり武藤聖二だった。自分は誰の一番にもなれないのだと、あのとき悟った。

「……もう二度と、音楽に人々を蹂躙させてはならないわ」

「もちろんです。……僕の命を懸けて、この静寂を護ります」

 士織のそばには、いつでも静寂がいた。それならばこの静寂を愛そうと決めた。花が好きなのは、彼らが美しい静寂を纏い、ただそばにいてくれるからだ。この美しさは士織を裏切らない。帰りにもう一度、スノードロップに会っていこうと思った。士織の護る静寂に耳を澄ましてくれる、優しい彼らに。

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