あの時の人

Ryo

《短編》あの時の人

1


私は先日百歳を迎えた。 


短命な家系に生まれた私の唯一の願いが叶ったのだ。

百歳と高齢ではあるが、私は普通に生活している。

仕事をして、自炊し、自分の足で歩ける。

特に大きな病気をしたことはないし、薬も飲んでいない。


世間から見た私は、正に理想の百歳だろう。


だが、世間の人たちは気づいていない。

長生きと幸せは、全く別であることを。


二十歳の時生まれた息子は、二十年前に亡くなった。

可愛がっていた二人の孫も、もういない。


親しくしていた友人たちは、とうの昔にこの世を去った。


私には、もう一人、血を分けた存在がいる。

——会ったのは、一度きりだ。

その顔を、私はまだ覚えている。


私の周りにいるのは、私の会社と財産を狙っている、遠縁の人たちくらいだ。


「百歳でピンピンコロリ」

これが私の願いだった。

その夢はもうすぐ叶う。


薄れて行く意識の中で、私は初めて葵に会ったことを思い出していた。



2


葵と初めて会ったのは、十五年程前のことだ。


普段は運転手付きの車で移動していたが、その日は一人で目的地に向かった。


行き先は、娘の葵が働くカフェ。


戸籍上、葵は私の娘ではない。

彼女の母とは不倫関係だった。


私にとって、母親の佐和とは割り切った関係だった。

だから、佐和から子供ができたと聞かされても、何の感情も湧かなかった。


佐和は一人で葵を育てた。


そして成長した葵は、佐和と同じシングルマザーとなった。


「いらっしゃいませー」


店内に、明るい声が響く。


「一杯コーヒーを飲みたいが、

こんな年寄りは相応しくないかな?』


「もちろん大歓迎です! どうぞお入りください。」


ここは赤ちゃんと一緒に利用できるカフェ。

カフェによっては赤ちゃん連れの客は断られることもあるようだ。

授乳室やキッズルームもあり、小さなお子さんを持ったママたちに人気のカフェのようだ。


葵がテキパキと働いてるのが見えた。

彼女のそばには、乳母車の中で赤ちゃんが眠っている。

きっと孫の繭だろう。


「可愛いですね。」

私は葵に声をかける。

「ちょっと、だっこさせてもらっても良いですか。」


「あ、あのーー」


「突然すみません。実は、孫がいたんだが、小学校に上がる前に亡くなってしまって…。

昔はよくだっこしてあげてたので、つい懐かしくなって。」


大方は本当のことだ。

ただ、赤ちゃんをだっこしたことは、人生で一度もない。


「…いいですよ。」

葵はしばらく考えてから、言った。


「私の方こそ、警戒してしまってすみません。

だっこしてあげてください。うちには祖父がいないので、繭も喜ぶと思います。」


私は孫の繭を抱き上げた。

思ってたより重かった。

腕がブルブル震える。


「可愛い…」

赤ちゃんを見て、初めてそう思った。


「ありがとうございます。」

私は涙ぐんだ。

「申し遅れました。私は伊藤蒼と言います。」

「またどこかで、お会いすることがあると思います。」


「あおい……?」

葵が一瞬眉間に皺を寄せるが、

すぐにいつもの営業スマイルに戻る。


「またお越しください。」


娘と孫に会ったのは、それが最初で最後だった。



3


「なんか、あっけなかったな。」


「これで相続人は、俺たち二人だな。」


その時、顧問弁護士が口を挟んだ。

「あなたたちが相続する財産はありません。」



4


顧問弁護士が次に向かったのは、葵の自宅だった。


葵が書類に目を通す。

その名前を見た時、彼女は一瞬だけ息を止めた。


「あなたのお父様からの遺言です。」


「ーーそうですか。」


「遺産は受け取ります。それがあの人の意思ですから。」


葵は、書類から目を離さなかった。


「でも、遺骨は受け取りません。」


——あの時の人だ。


そう思ったが、

それが本当にそうだったのか、

確かめる気には、ならなかった


外に出ると、季節外れの雪が降っていた。

すぐに溶けて、跡形もなく消えていく。


彼女は、それを見ていた。

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あの時の人 Ryo @Ryo-no-novel

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