【第八章.千紗の二年一組】
【第三十六話.最後のごちそう】
いつの間にか、朝倉先生は姿を消した。
累々と積み上げられたるは、クラスメイトだった死体の山。
残るは、
◇
あああああああぁぁ――っ!
死んだ時と同じ、お腹に大穴を空けたかのような空腹に、こころを焦がされて。
クラスメイトみんなを『食べて』しまったという、後悔と慚愧の念に脳幹を焼かれながら。
そして。
今から生き残った最後のクラスメイトを食べなくてはならないという、絶望に打ちひしがれて。
――見ないで。
雛乃、お願い。
血にまみれた亡霊は、醜く爛れ、黒く変わり果てた自分を見ないで欲しいと、ただ乞うことしか出来ない。
そんな自分と生き残りの間に。
その『ともだち』は、立った。
◇
「雛乃ちゃん。あたしだけは、ずっと見てた。……千紗ちゃん、ほんとは優しいんだよ。ほんとうに、優しいの」
青陵高のグレーの制服。
肩までの黒のセミロングヘア。
リボン付きの赤いヘアバンド。
「後は、任せたよ……今度は、千紗ちゃんのこと、ひとりにしないで。お願いね」
自分が雛乃に代わって千紗の犠牲となる、覚悟を以て。
「ここまでだね。千紗ちゃん」
「……」
真っ黒の影になった千紗は首を傾げる。
灯里の言っている意味が、上手に理解できていない。
「食べたいんでしょ。ここにいる、雛乃ちゃんのこと」
「やだ……やめて」
口では拒否しながら、美味しそうに舌なめずりをする、千紗。
その行動の矛盾が、どんなに恐ろしい意味を持つのか、もはや正常に理解できていない。
「おなかすいた」
「だよね。わかるよ」
「すいたすいたすいたすいた――」
ぶんぶん。
残像が残るくらい高速で首を左右に振るその姿は、誰がどう見ても『悪霊』そのものだろう。
振りまく障気に当てられた雛乃が、吐き気を覚えて口を塞ぐ。
「に……げて……あかり」
それが、千紗が灯里と直接交わした最後の言葉だった。
◇
ぱんっ。
◇
それは、何かの炸裂音にも、また神事の柏手にも聞こえた。
「灯里ちゃん!」
雛乃の悲鳴が血塗られた二年一組に響き渡る。
黒いもやとなった千紗は、光そのもののように眩い灯里を通過した。
左半身を切取られた灯里は、しかし出血することもなく、千紗の影を優しく包み込んだ。
「辛かったね、寂しかったね」
ただ、優しく自らの命の炎で、凍えた魂を温め続ける。
「ぅぐっ……ほ、ほら。おいしいでしょ。たんとお食べ」
そして言ったとおりに、光は弱まり、黒いもやに少しづつ、少しづつ置き換わってゆく。
「雛乃ちゃん」
「は、はいっ!」
「ぃ、生きるんだよ。あたし達みたいになっちゃ、だめ」
「……うん……」
雛乃には、その様子がよく見えない。
それは霊視が完璧でないことに依るものか。
それとも。
涙で前がよく見えないために依るものか。
「結婚しても、しなくてもいい。子供たくさん囲まれる人生でもいい。やりたいことに没頭する人生でもいい。とにかく……生きて……いきて、しあわせに……なって」
沈む船が必死でSOS信号を打つように。
食べられ崩れながらなお、灯里は新しく出来た友人に、語りかける。
そして。
――ぱきん。
薄い硝子が砕けるような音がして、もやに覆われた光は。
どさりと崩れて。
消えた。
◇
――。
――。
千紗ちゃん。
千紗ちゃん。
聞こえる?
千紗が気付くと、いつもの二年一組の教室に戻っている。
死体もない。
血も一滴も落ちていない。
ただ、灯里という暖かさだけが消えてしまっている。
聞こえてる?
千紗ちゃん。
誰もいない。
灯里の声だけが、ヘッドフォン越しに聞くかのように聞こえる。
外は夕暮れ。
あのオレンジの光が、眩しく教室を撫でる。
麗華に依央に、由依に花音、雛乃――。
机だけはあるものの、みんなはおらず、空席だ。
(あれえ)
自分はどこにいるのだろう。
たしか、お腹が減って、とても減って。
それで、麗華の身体を借りて……。
(……そっか)
千紗は思い出した。
全て、自分が犯した罪だということを。
(私が、やっちゃったんだね)
『そうだよ』
「え、灯里?」
『やっと聞こえた。さっきから呼んでたんだよ、もう』
不貞腐れる友人。
声はすれど姿は見えない。
それでも安心できるのは、彼女こそが千紗の本当の親友である証しなのかもしれない。
「ここはどこ?」
『どこだと思う?』
「はは。……灯里らしいや」
見回す。
遥か遠くで、歌声が聞こえる。
ルミナリアの、『硝子の天国』が。
でも、ここにいるのは、千紗だけ。
つまりは。
「地獄……なのかな」
――寒い。
教室では空調が効いているのに、寒くて寒くて仕方がない。
そのくせ、差し込むオレンジの光は、やたらと肌に刺さるのだ。
「私、ひとりぼっちになっちゃったんだね」
『ううん、それは違うよ』
「えっ」
意外な灯里の言葉に、思わず声を上げる千紗。
『もうひとり、いるでしょ。千紗ちゃんとおんなじ目に遭った、女の子』
「――だれかあ!」
遠くでか細い悲鳴が聞こえる。
千紗の、もう無いはずの心臓が、どきっと一回、高鳴った。
あの方向は。
新校舎四階の、理科室。
気付いたらドアを開け、廊下を駆けていた。
あの声は。
あのムカつくやたら高い声は。
◇
「千紗っ? えっ? あんたなんで」
◇
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