【第八章.千紗の二年一組】

【第三十六話.最後のごちそう】

 いつの間にか、朝倉先生は姿を消した。

 累々と積み上げられたるは、クラスメイトだった死体の山。


 残るは、遠山雛乃とおやまひなのただ一人。



 あああああああぁぁ――っ!


 鳴海千紗なるみちさは絶叫する。


 死んだ時と同じ、お腹に大穴を空けたかのような空腹に、こころを焦がされて。

 クラスメイトみんなを『食べて』しまったという、後悔と慚愧の念に脳幹を焼かれながら。


 そして。


 今からを食べなくてはならないという、絶望に打ちひしがれて。


 ――見ないで。

 雛乃、お願い。


 血にまみれた亡霊は、醜く爛れ、黒く変わり果てた自分を見ないで欲しいと、ただ乞うことしか出来ない。


 そんな自分と生き残りの間に。


 その『ともだち』は、立った。



「雛乃ちゃん。あたしだけは、ずっと見てた。……千紗ちゃん、ほんとは優しいんだよ。ほんとうに、優しいの」


 青陵高のグレーの制服。

 肩までの黒のセミロングヘア。

 リボン付きの赤いヘアバンド。


「後は、任せたよ……今度は、千紗ちゃんのこと、ひとりにしないで。お願いね」


 穂積灯里ほづみあかりが、雛乃に言付けている。

 自分が雛乃に代わって千紗の犠牲となる、覚悟を以て。


「ここまでだね。千紗ちゃん」

「……」


 真っ黒の影になった千紗は首を傾げる。

 灯里の言っている意味が、上手に理解できていない。


「食べたいんでしょ。ここにいる、雛乃ちゃんのこと」

「やだ……やめて」


 口では拒否しながら、美味しそうに舌なめずりをする、千紗。

 その行動の矛盾が、どんなに恐ろしい意味を持つのか、もはや正常に理解できていない。


「おなかすいた」

「だよね。わかるよ」

「すいたすいたすいたすいた――」


 ぶんぶん。

 残像が残るくらい高速で首を左右に振るその姿は、誰がどう見ても『悪霊』そのものだろう。


 振りまく障気に当てられた雛乃が、吐き気を覚えて口を塞ぐ。


「に……げて……あかり」


 それが、千紗が灯里と直接交わした最後の言葉だった。



 ぱんっ。



 それは、何かの炸裂音にも、また神事の柏手にも聞こえた。


「灯里ちゃん!」


 雛乃の悲鳴が血塗られた二年一組に響き渡る。


 黒いもやとなった千紗は、光そのもののように眩い灯里をした。

 左半身を切取られた灯里は、しかし出血することもなく、千紗の影を優しく包み込んだ。


「辛かったね、寂しかったね」


 ただ、優しく自らの命の炎で、凍えた魂を温め続ける。


「ぅぐっ……ほ、ほら。おいしいでしょ。たんとお食べ」


 そして言ったとおりに、光は弱まり、黒いもやに少しづつ、少しづつ置き換わってゆく。


「雛乃ちゃん」

「は、はいっ!」


「ぃ、生きるんだよ。あたし達みたいになっちゃ、だめ」


「……うん……」


 雛乃には、その様子がよく見えない。

 それは霊視が完璧でないことに依るものか。

 それとも。


 涙で前がよく見えないために依るものか。


「結婚しても、しなくてもいい。子供たくさん囲まれる人生でもいい。やりたいことに没頭する人生でもいい。とにかく……生きて……いきて、しあわせに……なって」


 沈む船が必死でSOS信号を打つように。

 食べられ崩れながらなお、灯里は新しく出来た友人に、語りかける。


 そして。


 ――ぱきん。


 薄い硝子が砕けるような音がして、もやに覆われた光は。

 どさりと崩れて。


 消えた。



 ――。


 ――。


 千紗ちゃん。

 千紗ちゃん。

 聞こえる?


 千紗が気付くと、いつもの二年一組の教室に戻っている。


 死体もない。

 血も一滴も落ちていない。


 ただ、灯里という暖かさだけが消えてしまっている。


 聞こえてる?

 千紗ちゃん。


 誰もいない。

 灯里の声だけが、ヘッドフォン越しに聞くかのように聞こえる。


 外は夕暮れ。

 あのオレンジの光が、眩しく教室を撫でる。


 麗華に依央に、由依に花音、雛乃――。

 机だけはあるものの、みんなはおらず、空席だ。


(あれえ)


 自分はどこにいるのだろう。

 たしか、お腹が減って、とても減って。

 それで、麗華の身体を借りて……。


(……そっか)


 千紗は思い出した。

 全て、自分が犯した罪だということを。


(私が、やっちゃったんだね)


『そうだよ』


「え、灯里?」

『やっと聞こえた。さっきから呼んでたんだよ、もう』


 不貞腐れる友人。

 声はすれど姿は見えない。

 それでも安心できるのは、彼女こそが千紗の本当の親友である証しなのかもしれない。


「ここはどこ?」

『どこだと思う?』

「はは。……灯里らしいや」


 見回す。

 遥か遠くで、歌声が聞こえる。

 ルミナリアの、『硝子の天国』が。


 でも、ここにいるのは、千紗だけ。

 つまりは。


「地獄……なのかな」


 ――寒い。

 教室では空調が効いているのに、寒くて寒くて仕方がない。

 そのくせ、差し込むオレンジの光は、やたらと肌に刺さるのだ。


「私、ひとりぼっちになっちゃったんだね」

『ううん、それは違うよ』

「えっ」


 意外な灯里の言葉に、思わず声を上げる千紗。


『もうひとり、いるでしょ。千紗ちゃんとおんなじ目に遭った、女の子』


「――だれかあ!」


 遠くでか細い悲鳴が聞こえる。

 千紗の、もう無いはずの心臓が、どきっと一回、高鳴った。


 あの方向は。

 新校舎四階の、理科室。


 気付いたらドアを開け、廊下を駆けていた。


 あの声は。

 あのムカつくやたら高い声は。



「千紗っ? えっ? あんたなんで」



 白石依央しらいしいおは、目を見開いて、千紗を見ていた。

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