【第五章.千紗と響く歌声】

【第二十一話.響きのかたち】

「依央りんは? 今日も来てないの?」

「美月のことが頭から離れないよ」


「ていうか、千紗は? いつまで休んでるの?」


「変?」

「変だよ」

「うん、変だ」


「ねえねえ」

「ねえねえ」

「なんかさ」


「このクラス。この学校。――変じゃない?」



 依央が死んで一日が経った。


 二年一組の向かい、新校舎の三階。

 六時間目の音楽の授業。


 二学期の期末試験のテスト前期間ではあるけれども、三学期の前半にある合唱コンクールの練習は存在する。


 空いた席は三つ。

 二階堂美月と、白石依央と、そして千紗の分だ。


 依央に関しては『欠席』として扱われている。

 千紗に関しても同じ『欠席』である。


 チャイムが鳴り、音楽の藤本先生がピアノで起立の合図を奏でるが、二年一組の生徒たちはどこか揃わない。

 気持ちに乱れがあることが、容易に見て取れる。


(無理もないかあ)


 藤本先生の隣に立つ千紗は、独り言つ。


 これから『硝子の天国』を歌うというのに、クラスメイトたちの噂は止まない。


 美月が死んでしまったこと。

 最近、依央が休んでいること。


 千紗が来なくなってからひと月近く経っていること。


 ――このクラスはなにかおかしい。


 気付く者が、増え始めていた。



 ぱんぱん。


 ピアノの前に座る先生と、クラスのみんなの間に立ったのは、麗華だ。

 手を叩いて、クラスメイトの注目を集める。


「やろう、みんな。コンクール、近いし」


 麗華の貼り付けた笑顔は人形のよう。

 温度もなければ柔らかさもない。


 それでも、音楽室に集まった二年一組は同調を選んだ。


「……そうだね」

「麗華が言うなら」

「歌おう」

「今はそれしかできないし」


「うん、歌おう」


 麗華の声は、困惑と疑惑の教室に静かに浸透する。


 美月が死んですぐ起きた『あの』奇跡の再現だ。

 再び張ったカーストの根がほどけていく。


 忍び寄る死から目隠しをするかのように、麗華の笑顔という名のモルヒネはゆっくりと、しかし確実に皆の違和感を弛緩させてゆく。


「じゃあ、歌おう。――先生、お願いします」



(うんうん、良い感じ)


 クラスの歌声は日増しに上手になっている。

 千紗には、その振動が光となって目に映る。

 震えて光るのだ。

 みなの足元から生えるカーストの根が。


 ソプラノは細く高い光として。

 アルトは重く低い波として。

 そして紡ぐハーモニーは絡み合う光の網として。


(一つになってる。私のクラス、いま、一つだ!)


 千紗は、この上ない満足感に浸っている。


(私、ちゃんとやれてる。意識改革、成功してるじゃん!)


 初めて『報われた』感覚。

 それは、死後の存在意義の肯定だった。


 歌は続く。


 カーストの根が脈動を始める。

 各々から離れ、うねり、一つになり、そしてやがて。


 虹色の光を放つ、大きな一本の樹となった。


「うわあ」


 千紗は、思わず声を漏らす。


 巨大なスピーカーの様に葉を揺すって振動し、七色の光を放つ、カーストの樹。

 合唱は一つにまとまり、美しいハーモニーを奏でる。


 でも。


(こんなに簡単にまとまるものだっけ? うちのクラスって。……合唱って)


 まあいっか。


(いい方向に進んでいることだし)


 音の波は、空いた穴を避けて通った。

 合唱するクラスメイトも見ることはない。


 だから千紗も目を瞑ることにした。


 クラスの中で三つ空いた、その席のことを。


『それ、ほんとにいいこと?』


 ふと、灯里の言葉が蘇った。



「なんか今日よかったね」


 六時間目の練習の終わり、ホームルームのため教室へ向かう列の中で、花音が由依に耳打ちする。


「うん、よかった!」


 由依も首を縦に振る。


「ほんとだよね!」


 牧村梓まきむらあずさも自然に会話に加わる。


(梓が会話に交じってくるなんて)


 千紗はにんまり、ドヤ顔だ。

 もちろん、他のクラスメイトには見えないが。


 カースト下位の彼女の会話への参加は、千紗には嬉しかった。


「そういえば、あたしたち」

「なんで笑ってたんだっけ」


「美月……死んだんだよね?」



 そして、ホームルームもあっという間に終わり、無人になった二年一組をあのオレンジの光がなぞる。


 千紗はゆっくりと持ち主の帰った机の間を歩く。

 机の下を覗く。

 カーストの根が、椅子に絡みつき、それぞれの色を放っている。


「あれ?」


 ふと、千紗は気付く。

 床の奥、さらにその下までも深く伸びている、カーストの根。


 ――こんなに太かったっけ。


 それになんだか。

 一点に向かって伸びているようにみえる。


 千紗は木のタイルの床に両の足をつき、顔をそこに近づける。


 いつもは見えないその根の先。

 今日なら見えるだろうか。


 でも、ぐちゃぐちゃに絡まった延長コードのように張り巡らされてがんじがらめになったそれは、どんなに目を凝らしても見えることはないのであった。


「まあ、根っこだし、絡むこともあるよね」


 それは、本当に見えないのか。

 千紗が理解を拒否しているのか。


『見ようとしていないからだよ』


 未だにわからない。



「うん、いい感じ」


 街灯と月明かりのプールサイド。


「ちゃんと、変わってきてる」


 ベンチで寝転ぶ千紗は、喜びと満足感を反芻する。


「変わってないのは、千紗ちゃんかもね?」


 気付くと灯里が、いつものように横に座っている。


「ねえ、千紗ちゃん」

「見た? 今日! すごかったでしょ!」

「うん、よく見えるよ。水色のぱんつ」

「……もうっ」


 スカートを押さえて千紗が体を起こす。


「樹だよ、みんなの音色で作った、あの樹!」

「うん。……綺麗だったね」

「でっしょー?」


 千紗は満面の笑みを浮かべる。


「二年一組の笑顔担当・千紗様にかかれば、意識改革もなんのそのってわけだ!」


 はっはっはー。

 実に誇らしげに歯を見せて笑う友に、灯里は小さく答える。


「綺麗すぎたけど」

「ん?」


「あれ、『誰の音』だったの?」


「……は?」


 問いの意味が分からない千紗は、理解を拒否した。


「みんなの音に決まってるじゃん」

「そうだといいけどね。……混ざりすぎるとさ、自分の音って消えるんだよ」

「……まーった思わせぶりなんだから、灯里ってばさー」


 そういえば。


 なんで灯里は、いつも遠回しでしか物事を言わないのだろう。

 聞いてみることにした。


「だって、千紗ちゃん、言おうとすると消えちゃうんだもん」


 そう言って、


「あー! またそうやって逃げるー!」

「逃げてるのは」


 どっち?


 灯里の声だけが木霊する。


「もう!」


 千紗はプールサイドのベンチでまた横になって目を閉じた。


 みんな笑顔だった。

 もうカーストはない。

 もういじめはない。


 目を開ける。

 見えるのは夜の闇とお月さまだけ。


「みんな、ちゃんと一つになってる。……それでいいじゃん」


 プールサイドで、届くことはない手を月に伸ばして、幽霊は独り言ちた。

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