【第五章.千紗と響く歌声】
【第二十一話.響きのかたち】
「依央りんは? 今日も来てないの?」
「美月のことが頭から離れないよ」
「ていうか、千紗は? いつまで休んでるの?」
「変?」
「変だよ」
「うん、変だ」
「ねえねえ」
「ねえねえ」
「なんかさ」
「このクラス。この学校。――変じゃない?」
◇
依央が死んで一日が経った。
二年一組の向かい、新校舎の三階。
六時間目の音楽の授業。
二学期の期末試験のテスト前期間ではあるけれども、三学期の前半にある合唱コンクールの練習は存在する。
空いた席は三つ。
二階堂美月と、白石依央と、そして千紗の分だ。
依央に関しては『欠席』として扱われている。
千紗に関しても同じ『欠席』である。
チャイムが鳴り、音楽の藤本先生がピアノで起立の合図を奏でるが、二年一組の生徒たちはどこか揃わない。
気持ちに乱れがあることが、容易に見て取れる。
(無理もないかあ)
藤本先生の隣に立つ千紗は、独り言つ。
これから『硝子の天国』を歌うというのに、クラスメイトたちの噂は止まない。
美月が死んでしまったこと。
最近、依央が休んでいること。
千紗が来なくなってからひと月近く経っていること。
――このクラスはなにかおかしい。
気付く者が、増え始めていた。
◇
ぱんぱん。
ピアノの前に座る先生と、クラスのみんなの間に立ったのは、麗華だ。
手を叩いて、クラスメイトの注目を集める。
「やろう、みんな。コンクール、近いし」
麗華の貼り付けた笑顔は人形のよう。
温度もなければ柔らかさもない。
それでも、音楽室に集まった二年一組は同調を選んだ。
「……そうだね」
「麗華が言うなら」
「歌おう」
「今はそれしかできないし」
「うん、歌おう」
麗華の声は、困惑と疑惑の教室に静かに浸透する。
美月が死んですぐ起きた『あの』奇跡の再現だ。
再び張ったカーストの根がほどけていく。
忍び寄る死から目隠しをするかのように、麗華の笑顔という名のモルヒネはゆっくりと、しかし確実に皆の違和感を弛緩させてゆく。
「じゃあ、歌おう。――先生、お願いします」
◇
(うんうん、良い感じ)
クラスの歌声は日増しに上手になっている。
千紗には、その振動が光となって目に映る。
震えて光るのだ。
みなの足元から生えるカーストの根が。
ソプラノは細く高い光として。
アルトは重く低い波として。
そして紡ぐハーモニーは絡み合う光の網として。
(一つになってる。私のクラス、いま、一つだ!)
千紗は、この上ない満足感に浸っている。
(私、ちゃんとやれてる。意識改革、成功してるじゃん!)
初めて『報われた』感覚。
それは、死後の存在意義の肯定だった。
歌は続く。
カーストの根が脈動を始める。
各々から離れ、うねり、一つになり、そしてやがて。
虹色の光を放つ、大きな一本の樹となった。
「うわあ」
千紗は、思わず声を漏らす。
巨大なスピーカーの様に葉を揺すって振動し、七色の光を放つ、カーストの樹。
合唱は一つにまとまり、美しいハーモニーを奏でる。
でも。
(こんなに簡単にまとまるものだっけ? うちのクラスって。……合唱って)
まあいっか。
(いい方向に進んでいることだし)
音の波は、空いた穴を避けて通った。
合唱するクラスメイトも見ることはない。
だから千紗も目を瞑ることにした。
クラスの中で三つ空いた、その席のことを。
『それ、ほんとにいいこと?』
ふと、灯里の言葉が蘇った。
◇
「なんか今日よかったね」
六時間目の練習の終わり、ホームルームのため教室へ向かう列の中で、花音が由依に耳打ちする。
「うん、よかった!」
由依も首を縦に振る。
「ほんとだよね!」
(梓が会話に交じってくるなんて)
千紗はにんまり、ドヤ顔だ。
もちろん、他のクラスメイトには見えないが。
カースト下位の彼女の会話への参加は、千紗には嬉しかった。
「そういえば、あたしたち」
「なんで笑ってたんだっけ」
「美月……死んだんだよね?」
◇
そして、ホームルームもあっという間に終わり、無人になった二年一組をあのオレンジの光がなぞる。
千紗はゆっくりと持ち主の帰った机の間を歩く。
机の下を覗く。
カーストの根が、椅子に絡みつき、それぞれの色を放っている。
「あれ?」
ふと、千紗は気付く。
床の奥、さらにその下までも深く伸びている、カーストの根。
――こんなに太かったっけ。
それになんだか。
一点に向かって伸びているようにみえる。
千紗は木のタイルの床に両の足をつき、顔をそこに近づける。
いつもは見えないその根の先。
今日なら見えるだろうか。
でも、ぐちゃぐちゃに絡まった延長コードのように張り巡らされてがんじがらめになったそれは、どんなに目を凝らしても見えることはないのであった。
「まあ、根っこだし、絡むこともあるよね」
それは、本当に見えないのか。
千紗が理解を拒否しているのか。
『見ようとしていないからだよ』
未だにわからない。
◇
「うん、いい感じ」
街灯と月明かりのプールサイド。
「ちゃんと、変わってきてる」
ベンチで寝転ぶ千紗は、喜びと満足感を反芻する。
「変わってないのは、千紗ちゃんかもね?」
気付くと灯里が、いつものように横に座っている。
「ねえ、千紗ちゃん」
「見た? 今日! すごかったでしょ!」
「うん、よく見えるよ。水色のぱんつ」
「……もうっ」
スカートを押さえて千紗が体を起こす。
「樹だよ、みんなの音色で作った、あの樹!」
「うん。……綺麗だったね」
「でっしょー?」
千紗は満面の笑みを浮かべる。
「二年一組の笑顔担当・千紗様にかかれば、意識改革もなんのそのってわけだ!」
はっはっはー。
実に誇らしげに歯を見せて笑う友に、灯里は小さく答える。
「綺麗すぎたけど」
「ん?」
「あれ、『誰の音』だったの?」
「……は?」
問いの意味が分からない千紗は、理解を拒否した。
「みんなの音に決まってるじゃん」
「そうだといいけどね。……混ざりすぎるとさ、自分の音って消えるんだよ」
「……まーった思わせぶりなんだから、灯里ってばさー」
そういえば。
なんで灯里は、いつも遠回しでしか物事を言わないのだろう。
聞いてみることにした。
「だって、千紗ちゃん、言おうとすると消えちゃうんだもん」
そう言って、灯里はまた見えなくなった。
「あー! またそうやって逃げるー!」
「逃げてるのは」
どっち?
灯里の声だけが木霊する。
「もう!」
千紗はプールサイドのベンチでまた横になって目を閉じた。
みんな笑顔だった。
もうカーストはない。
もういじめはない。
目を開ける。
見えるのは夜の闇とお月さまだけ。
「みんな、ちゃんと一つになってる。……それでいいじゃん」
プールサイドで、届くことはない手を月に伸ばして、幽霊は独り言ちた。
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