叩き潰したくなる人がいるのだそうだ。
逃げ道を塞ぐとまで仰る。
最初は、末端社員が会社の不満点を述べているところに、居合わせた者が勝手に、
「こんなことを云っている者たちがいますよ」と社長にまでチクってしまったような話なのかなと思った。
しかし違った。
「頼まれた」らしい。
「変えてほしいと私にお願いする」という記述が後にあるので。
金を取られている側が物価高の中で嘆くのは当然であって、その不満を聴き取り、また同感でもあった組長が代表として「氏子は強制なのか」と神社関係者に問い合わせたということだ。
問題は次だ。
「強制ではない」との返答をきいた後の人々の反応が、いまいちだった。
「それなら氏子を抜けます!」
ではなく、結局、現状維持なの? そんながっかりな態度。
氏子でいるのも負担が大きく地獄。さりとて氏子を抜けるのも、
「だったら仲間外れにされて陰口悪口を言われることも引き受けろよ」という地獄。
氏子を辞めるなら覚悟をしろ。
これを筆者は「変化する覚悟」と仰っている。
虐めや村八分を正当化する側の人間の言い分ってこんな感じなのかなぁと読んでいると、コメント欄の返信において見方が変わった。
筆者自身も氏子を抜けるのだそうだ。
つまり、他者に対して「行動を起こし変化で傷つくのを受け入れろ」とおもうところを、ご自身が実際にやるつもりでいる。
「行動を起こし変化で傷つくのを受け入れろ!」と意に添わぬことを居丈高に強制されても結局はその人を潰すだけで、結果も悪い。
著者は「氏子を抜ける」という決意を持って変化に伴う負の面も引き受ける覚悟の上で、自発的に動くのである。
だから筆者についてはいいとして、その他の人たちの心情としては、先祖代々昔からずっとそうであったものを本当に抜けていいのかどうか、まだ決めきれないのが本音だろう。
相手が神社だ。
罰でも当たりそうだし。
しかしこの話。
誰も幸せではない。
神社関係者は労働力や銭を失う。伝統的なお祭りはその存在意義を失っていく。
氏子を抜ける人は「行動を起こすのならば変化で傷つくのを受け入れろ」と足抜けをした制裁として、共同体から村八分にされる。
それが嫌なら、そのまま金銭と労力を提供して不平不満を口にせず奴隷状態を続けろ、というのだ。
そもそもの出発点から自分の意志に関係なく勝手に氏子に組み込まれて、お前らが必死になって労力を出す側ね、と犠牲を強いられているのだが。
いったいどこのヤクザ組織ですか。
本当に、誰ひとりとして幸せではない。
ひと昔のように、氏神さまと氏子が信仰心と郷土愛をベースに密接に共存しており、お祭りという共通の目的に向かってわっしょいわっしょいと自発的かつ共同体に属する安心感と歓びをもって動いていたなら問題はなかったのだろう。
抜けた人間に大損をさせて制裁を浴びせなくては気がすまないような驕った組織は、その内部にいる人たちだって不平不満愚痴まみれで、誰も幸せではないのだろうきっと。
少子化の今、神社仏閣を抱えた日本全国で起っていそうな問題。
トータルして、田舎は怖いな、と思った次第です。