第2話 星の下の叱り方

次の日の授業は、ほとんど頭に入らなかった。


 黒板に書かれていく数式も、教師の声も、どこか遠い。

 教室の窓際の席で、何度も空を見る。


 晴れている。


 それだけで、落ち着かなくなる。


 昨日のことが、ずっと頭から離れない。


 星。

 公園。

 そして――灯。


 ありえないはずの再会。


 夢なら覚めてほしいのに、

 現実なら説明がつかない。


「おい、朝倉」


 声に引き戻される。


 気づけば、教師がこっちを見ていた。


「次、やれ」


 立ち上がる。


 問題は簡単だった。


 なのに、手が少しだけ震える。


 答えを書いて席に戻ると、

 隣の席から小さく声が飛んできた。


「今日のお前、ちょっとマシな顔してるな」


 柏木祐樹だった。


「うるさい」


「いやマジで。久しぶりに“人間っぽい”」


「最低な褒め方だな」


「褒めてるだけありがたく思えよ」


 柏木は笑う。


 軽い。いつも通りだ。


 でも、その目だけは少しだけ違っていた。


 ちゃんと、見ている目だった。


「……なんかあったのか」


 不意に、声のトーンが落ちる。


 答えられない。


 答えた瞬間、壊れそうだった。


「別に」


 短く返す。


 柏木は少しだけ黙ったあと、

 ため息をついた。


「その“別に”、信用ゼロなんだけど」


「知るか」


「知っとけ」


 それ以上は聞いてこなかった。


 でも、完全に納得してない顔だった。


     *


 放課後。


 教室を出たところで、腕を掴まれる。


「帰るな」


「帰るけど」


「ちょっと付き合え」


「めんどい」


「いいから来い」


 強引に引っ張られる。


 いつも通りだ。


 駅前のコンビニ。


 外のベンチに座る。


 柏木はアイスを食いながら、こっちを見る。


「で」


「何」


「今日のお前、やっぱ変」


「さっきも言っただろ」


「いや、そういう軽い話じゃなくて」


 柏木の表情が、少しだけ真面目になる。


「ちゃんと戻ってきてる感じする」


 言葉の意味が、すぐに理解できなかった。


「……は?」


「ここ一年のお前さ、ずっといなかったじゃん」


 心臓が、少しだけ跳ねる。


「話しかけても半分しか返ってこねえし、

 目も合わねえし、すぐ消えるし」


「消えてねえよ」


「消えてたよ」


 即答だった。


「前のお前、ちゃんといたからな」


 言い方は軽いのに、やけに重かった。


 返す言葉が出てこない。


「……なんかあったんだろ」


 もう一度、聞かれる。


 今度はさっきより静かだった。


 逃げ場がない。


 でも、やっぱり言えない。


「別に」


 同じ言葉を繰り返す。


 柏木はしばらく俺を見ていた。


 それから、短く息を吐く。


「……そっか」


 それだけ言った。


 追及はしない。


 でも、見捨てもしない。


 その距離感が、妙にきつい。


「その代わり」


 柏木が言う。


「一個だけ約束しろ」


「何」


「消えるなよ」


 また、それだった。


「最近のお前、ほんと危ねえんだよ」


「何が」


「全部」


 言葉が、まっすぐすぎる。


「学校来ててもいねえし、

 家帰っても多分なんもしてねえし」


「……」


「このまま行ったら、そのまま終わる感じする」


 喉が詰まる。


「だからさ」


 柏木が、少しだけ目を逸らす。


「ちゃんと残れよ」


 その一言が、やけに刺さった。


 残る。


 何に?


 どこに?


 考えたくなかったことが、頭に浮かぶ。


「……今日は用事ある」


 話を逸らすように言う。


 柏木が少しだけ眉を上げる。


「珍しいな」


「そうか」


「うん。だから言ってんだよ」


 少しだけ笑って。


「ちゃんと生きてる感じするって」


 何も返せなかった。


     *


 夜。


 窓の外を見る。


 星が、出ている。


 昨日と同じだ。


 心臓の鼓動が、少しずつ速くなる。


 待っている。


 自分でも、はっきりわかる。


 そして――


 コン。


 窓を叩く音。


 振り向く前から、わかっていた。


 そこに、灯がいる。


「こんばんは」


 昨日と同じ笑い方。


「……来たな」


「待ってた?」


「待ってねえよ」


「顔が言ってる」


 むかつく。


 でも、それでいいと思ってしまう。


「降りてきて」


 灯が言う。


「今日はちゃんと歩きたいから」


 外に出る。


 夜の空気は、昨日より少し軽い。


 灯は自然に歩き出す。


「どこ行くんだよ」


「駅の方」


「なんで」


「なんとなく」


「雑すぎる」


「恒一と話す場所ならどこでもいいし」


 その一言で、少しだけ言葉が詰まる。


 並んで歩く。


 触れられそうで、触れられない距離。


「……なあ」


「ん?」


「お前さ」


「うん」


「なんで来た」


 ようやく聞けた。


 灯は少しだけ考える。


「必要だったから、かな」


「何が」


「この時間」


「意味わかんねえ」


「だよね」


 軽く笑う。


 でも、その目は真剣だった。


「恒一さ」


「何」


「止まってるでしょ」


 昨日と同じ言葉。


「……」


「ずっと、あの日のまま」


 言い返せない。


「それ、だめだよ」


 静かに言われる。


 怒ってないのに、逃げられない。


「私のことで止まるの、やめて」


 胸が締まる。


「……お前に言われたくねえよ」


 思わず言ってしまう。


 空気が、少しだけ変わる。


 でも灯は逃げない。


「じゃあ誰に言われるの」


 まっすぐだった。


「私が一番、言う資格あるでしょ」


 言葉が詰まる。


「だって私」


 一瞬、間を置いて。


「最後まで、恒一待ってたから」


 時間が止まる。


 頭が、真っ白になる。


「……は?」


 かろうじて出た声。


 灯は、少しだけ笑う。


「来ると思ってた」


 その一言で、全部崩れかける。

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