第37話 似たもの同士
ミエルに謝りに行ったのは、翌日の昼だった。
約束通り、リアンもついてきた。「一緒に謝ります」と言っていたからだ。
中庭のベンチにミエルが座っていた。ジュースを飲んでいる。わたしたちに気づいて、顔を上げた。
「ルネさま。リアンさんも、こんにちは」
「少し話があるんだけど」
「はい、大丈夫です」
「実習のペアの件なんだけど——解消してほしい」
ミエルが少し間を置いた。
「わかりました」と言った。
あまりにもあっさりしていた。
「……怒っていないの」
「怒ってはいないです」ミエルが軽く頷いた。「怒るのって、あんまりクールじゃない気がして」
「そう」
「それに、理由がありそうだなって思ったので」ミエルはリアンを見た。「リアンさんが来てるってことは、リアンさんがペアになりたかったんですよね」
「……そうね」
「それは、いいと思います」ミエルが言った。「ルネさまとリアンさん、なんとなく相性よさそうなので。ペアとしても、最適です」
「最適かどうかはわからないけれど」
「最適だと思います」
「ありがとうございます、ミエル様」とリアンが言った。「快く受け入れていただいて」
「快く受け入れるのも、まあクールかなって」ミエルが言った。
「ところで」
「なに」
「ペアがいなくなってしまいました」
「……そうね」
「どうすればいいんでしょう。困りました」
少し間があった。
ミエルがわたしを見ていた。少しだけ困っている様子だった。
「他に声をかけられる人はいないの」
「いないです」ミエルが言った。
「いない、というのは」
「友達がいないので」ミエルが少し首を傾けた。「群れないのもクールかなって思ってて。一人でいることが多くて」
リアンが少し困った顔をした。「友達が一人もいないんですか」
「いませんね」ミエルが言った。「クールな人間は孤高であるべき、みたいに思ってたんですが……こういうとき、ちょっと不便ですね」
「孤高とクールは別のもの」とわたしは言った。
「友達がいないのは格好悪いわ」
「お姉様?」
「そうなんですね」ミエルが少し考えた。「じゃあ、孤高じゃなくてもクールにはなれますか」
「なれると思う」
「よかったです」ミエルが頷いた。「じゃあ、友達を作ってもクールのままでいられますか」
「いられると思う」
「じゃあ、作ります。友達」ミエルが言った。「誰か、心当たりありますか」
「……いる」
ミエルが少し目を丸くした。
「即答でしたね」
「心当たりがある」
実は、ミエルを見た最初の日から少し考えていた。
あの日、図書館でレヴと話した。孤独を「孤高」という言葉で包んでいた。
ミエルも一人だった。でも孤独を「クール」という言葉で包んでいた。
似ていた。
似ている人間がうまくいくかはわからない。少なくとも、正反対の人間よりは上手くいきやすい気がする。話しやすい相手ぐらいにはなれるかもしれない。
「今日の午後、図書館に来られる?」
「はい、たぶん行けます」
「紹介したい人間がいる」
「どんな人ですか?」
「少し変わっているけど、あなたと相性が良さそうな人間よ」
「ということは、クールですか?」
「……そう見ようと思えば、見えるかもしれない」
ミエルが少し目を輝かせた。
「じゃあ、会ってみたいです」
午後、図書館の地下に三人で向かった。
わたしとリアンとミエルだった。
リアンが「わたしも行きます」と言ったので、ついてくることになった。
地下への階段を下りると、書架の奥から気配がした。
レヴがいた。
前と同じ場所だった。本を大事そうに抱えて、書架の前に立っていた。今日は目当ての本が背の届く棚にあったようだ。
気配を察知したらしく、振り向く。
わたしを見て、それからわたしの後ろを見た。
「……何の用だ?」とレヴが言った。
「紹介したい人間がいる」
「聞いていない」
「今言った」
「……誰だ」とレヴが言った。中二病の口調だったが、好奇心が滲んでいた。
「ミエル・ヴァレ。水属性の使い手よ。課題のペアを探している」
レヴがミエルを見た。
ミエルがレヴを見た。
しばらく沈黙があった。
「……クール」と、少し声を揺らしながらミエルは言った。
「何が」とレヴが言った。
「目が鋭くて、髪も整ってて、本を抱えてるので。雰囲気が、けっこうそれっぽいなって」
「……」レヴが少し間を置いた。「ボクはクールではなく、孤高だ」
「違いは何ですか」
「クールは態度の話で、孤高は在り方、立ち位置の話だ」
「なるほど」ミエルが頷いた。「じゃあ、わたしはクールを目指してるので……在り方から変えた方がいい感じですかね」
「……お前はクールを目指しているのか」
「はい」
「……なるほど」レヴが少し考えた。「貴様は間違っていない」
「ありがとうございます」ミエルが言った。「レヴさんもクールです」
「さんをつけなくていい。ボクはレヴだ」
「わかりました。レヴ。ミエルです」
レヴが少し間を置いた。「……水属性か」
「はい。地味だとは、よく言われます」
「地味だが」レヴが言った。「水がなければ風は荒ぶる」
ミエルが少し目を丸くした。「それ、どういう意味ですか」
「光属性偏重の世間的な風潮で、水属性を軽視する者がいるが、それは間違いだということだ」
「そうなんですね」ミエルが頷いた。「なんか、クールな言い方ですね」
「クールではなく、事実だ」
「事実って、たまにクールになりますよね。なんとなく」
レヴが少し止まった。反論しようとして、できなかったらしかった。
リアンがわたしの隣に来て、小声で言った。
「なんか、うまくいきそうですね」
「そうね」
「仲良くなれると思います」
「ルネ様」とミエルが振り返った。「レヴとペアを組みます」
レヴが少し固まった。「……ボクは同意していないが」
「同意してもらえますか」とミエルがレヴを見た。
「……考える」レヴはそう言った。
地下の図書館に、いつもより少し多くの人間がいた。
それが、今日は悪くなかった。
次の日の食堂で、わたしはいつも通り一人で食事をとっていた。
昼の食堂は騒がしくて、わたしのいる隅のテーブルだけが、少し静かだった。
「ルネ先輩。よろしければご一緒しても?」
顔を上げた。
茶色の髪に四角い縁のメガネ。シリルだった。
「いいわよ」
「ありがとうございます」
シリルが向かいの席に座った。トレーを置いた。メガネの奥の目が穏やかだった。この人はいつも穏やかだ、とわたしは思っていた。
「研究は順調ですか」
「ええ、と言いたいところだけど」わたしは答えた。「最近エドヴァルトが生徒会の用事で忙しくて、干渉実験の進捗は止まっている。今は別の研究を進めているわ」
「別の研究、とは」
シリルが少し前のめりになった。
「あなた、黒渦って知っている?」
「王国神話上で、遥か空の上に棲むといわれる悪魔のことですね」シリルが言った。「全てを飲み込む闇、と古い文献には書いてあります。星さえも逃げられない、と」
「実在するわ」
シリルが固まった。
フォークを持ったまま、少し口が開いた。
「……根拠は」
「その話をすると長くなるから割愛するけど、とにかくあるの」
「割愛するんですか」
「する」
「一番聞きたいところなんですが……」
シリルが少し笑った。「先輩らしいですね」と言った。責めていない言い方だった。「それで、その黒渦がどうしました?」
「闇属性魔法で、擬似的に作れないかと思って」
シリルがメガネを押し上げた。「……擬似的な悪魔を作る、ということですか」
「まあ、そういうことになるわね」
「作ってどうするんですか」
「さあ」
「さあって」シリルが少し呆れた顔をした。「目的より先に実験をするんですか」
「目的は後からついてくることもあるし」
「研究者としての先輩の考え方は、時々ついていけないんですが」シリルが言った。でも否定していなかった。「それで、作れそうなんですか」
「作れたわ」
「——は?」
シリルが固まった。今度はフォークを置いた。
「本当ですか」
「ええ。とはいっても、極小サイズよ。全てを飲み込む闇には程遠い。せいぜいコイン一枚を飲み込める程度」
「コイン一枚——」シリルが繰り返した。「それでも、擬似的にせよ悪魔を召喚したということですよね」
「そうなるわね」
「魔法で、ですよね」
「闇属性の収束特性を限界まで高めたら、自然にそうなった」わたしは言った。「魔力が自己帰結的なサイクルに入ると、空間が収縮を始める。理論上の話として考えていたことが実際に起きた」
「……先輩」
「なに」
「やばいものを作っていますよ」
「そうかもしれない」
「そうかもしれない、じゃなくて」シリルが少し眉を上げた。「コイン一枚を飲み込めるなら、次は何を飲み込めるようになるんですか」
「そこが問題よ」わたしは言った。「今は魔力の純度の問題か、魔力量の問題か、どちらかで規模が限定されている。どちらを改善しても、規模の拡大は慎重にやらないといけない」
「当然ですよね」
「でも理論上は、拡大できる」
シリルが黙った。
しばらくメガネを触っていた。考えているときの癖だった。
「先輩はこれを何に使うつもりですか」
「まだわからない」
「本当に」
「本当に。ただ——」わたしは少し間を置いた。「闇属性の収束特性と時間の関係について、気になっていることがある」
「時間、とは」
「闇魔法を深く使ったとき、時間の流れが変わる感覚があることがある。鋸触性の一種かもしれないし、別の現象かもしれない。ブラックホール、いや、黒渦が生成されたとき、その感覚が強くなった」
シリルが静かに聞いていた。
「時間と闇魔法が繋がっているとしたら、何かできるかもしれない。まだ何かはわからないけれど」
「……先輩が『わからないけれど』と言うときは、だいたい何かわかっているときですよね」
「そうかもしれない」
「そうかもしれない、ですか」
「今は言葉にできない段階よ」
シリルが少し笑った。「わかりました。では楽しみに待ちます」
「待つ必要はないわよ」
「でも楽しみにします」シリルが言った。「先輩の研究は、結論が予想できないので」
「予想できないのは研究として正しいわよ」
「そうですね」シリルが頷いた。「ところで、デートのときにリアン様に見せた手品というのは、これのことですか」
止まった。
「なぜ知っているの」
「リアン様が話していました。お姉様がコインを消す魔法を見せてくれた、と」シリルが穏やかに笑った。「まさか黒渦だったとは」
「コイン一枚サイズのものよ」
「でも黒渦ですよね」
「……そうね」
私は言った。「今度学会で発表しようと思っている。それまでは他言しないでくれる」
「もちろんです」シリルが頷いた。
食堂の騒がしさが続いていた。でも隅のテーブルは相変わらず少し静かだった。
シリルが食事を再開した。わたしも続けた。
「先輩」
「なに」
「黒渦、今度見せてもらえますか」
「コイン一枚サイズのものよ」
「それでも見てみたいです」
「……今度ね」
「楽しみにしています」
シリルが笑った。
コイン一枚を飲み込める穴。全てを飲み込む闇とは程遠い。でも——始まりは、いつも小さい。
だから、この擬似ブラックホールがやがて大きな役割を持つということは、すでにこの頃から予感していた。
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