第15話 友達
リアンの聖女候補登録の手続きが始まったのは、秋の初めだった。
国の機関から書類が届いて、学院の事務棟で手続きを踏む必要があった。魔力証明、家系証明、推薦状の確認。それが週に一度、事務棟への出頭という形で入ってきた。
図書館に来る時間が、少し減った。
最初の週、リアンが夕方より遅く来た。「手続きが長引いて」と言った。わたしは頷いた。それだけだった。
でも二週目も、三週目も、同じだった。
気にしないことにした。手続きが終われば戻る。リアンの生活の中に学院外の義務が増えた、それだけのことだった。
でも夜、部屋で文献を読みながら、図書館の向かいの席が空いている時間について考えていた。顔をあげると、いつもより広い視界。胸の奥から、何か滲んでいるかのような感覚に陥った。
また、リアンのことを考えている。私は頭を振って、そしてまた文献に戻った。
ある日の夕方、リアンが図書館に来た。
いつもより少し早い。珍しいと思っていたら、椅子に座るなり言った。
「友人ができました」
私は顔を上げた。リアンの顔を見る。
「同学年の子です。手続きで一緒になって、話すようになって」
「そう」
「マレットというんですけど」リアンが少し嬉しそうだった。「明るくて、話しやすくて。お姉様に似てる気がします」
「わたしに?」
「落ち着いてるところが」
それは私への褒め言葉なのか、よくわからなかった。落ち着いている、というのは確かにそうかもしれないが、私が明るくて話しやすいかというと、それは違う。
「リアンが友人と呼ぶ人間が明るくて話しやすいなら、わたしとは全然似ていないと思うけど」
「そうですか?」リアンが少し考えた。「確かに。でも、なんか雰囲気が、そんな気がして」
「今度連れてきなさい」
リアンが驚いたように目を丸くした。「いいんですか」
「リアンが友人と呼ぶ人間に会っておきたい、それだけよ」
「……なんか、お父さんみたいなこと言いますね」
「失礼ね」
リアンが笑った。本を開いた。今日はページを繰る音が早かった。リズムが良かった。機嫌がいいのだろう、と思った。友人ができた、ということが純粋に嬉しいのだろう。
それを見ていたら、わたしも少し何かが緩んだ。
リアンに友人ができた。それは紛れもなく、いいことだった。
翌週、リアンが友人を連れてきた。
図書館の地下への階段を下りてくる足音が二つあった。リアンの軽い足音と、もう少し重心が安定した、メトロノームのようなテンポの足音。
リアンが先に来て、後ろから女子生徒が続いた。
「お姉様、マレット・イグナイトです」
「はじめまして」
マレットが頭を下げた。明るい茶色の髪だった。表情が柔らかかった。笑うと目の端に皺が寄る、親しみやすい顔をしていた。
ゲームには出てこない名前で驚いた。ゲームでは名前や立ち絵のないモブだったのか、何らかの理由で展開が変わって知り合うことになったキャラなのか、それはわからなかった。
「ルネ・ド・クロワール。リアンの姉よ」
「存じております。学院でも有名な方ですから」
有名、という言い方が少し引っかかったが、悪意や嫌味はないと思った。ただ事実として言っていた。そんな口調だった。
「リアンと同じ学年ね」
「はい。リアンとは手続きで一緒になって、それからよく話すようになりました。リアンはいつもルネ様のお話をされるので、ずっとお会いしたかったので、嬉しいです」
「わたしの話を」
「お姉様の魔法がすごいとか、図書館でよく一緒に本を読んでいるとか」リアンが少し照れた顔をした。「色々」
マレットが笑った。「本当に仲がいいんですね」
向かいの席に二人が並んで座った。リアンとマレットが話し始めた。手続きの話、授業の話、体術の先生が暑苦しいという話。
わたしは文献を読みながら、会話を聞いていた。
マレットの受け答えが自然だった。リアンの話を遮らない。でも自分の言葉も持っている。リアンがマレットを好きになるのは、わかった。こういう人間とは話しやすい。
「ルネ様は」マレットがこちらを見た。「いつもここで研究されているんですか」
「そうね」
「すごいですね。わたしには続かなくて」
「誰にでも、向き不向きはあるわ」
「闇属性の研究って、文献が少ないって聞きましたけど、大変じゃないですか」
「大変だけど、面白いから続けられる」
マレットが頷いた。興味を持っているような顔だったが、深く踏み込んでこなかった。礼儀を弁えている。
悪くない人間だ、とわたしは思った。
リアンの友人として不足はない。
マレットが帰ったあと、リアンと二人になった。
「どうでしたか」リアンが聞いた。
「感じのいい子ね」
「でしょう」リアンが少し得意そうだった。「お姉様に気に入ってもらえるといいなって思ってたから」
「気に入った、とまでは言っていないけれど」
「でも悪くない子だとは思った、でしょう」
否定できなかった。
リアンが本を開いた。それからまた顔を上げた。
「お姉様」
「なに」
「来月から、月に一度、神殿への出頭が入ります」
わかっていた。聖女候補の登録が進めば、神殿との繋がりが生まれる。それは想定していた。
神殿。聖女を管轄する国の省庁であり、数人の聖女候補の中から1人の聖女を選ぶ役割も担う。
「そう」
「泊まりになることもあるかもしれません」
「一日だけ?」
「今のところは。でも、状況によって増える可能性があると言われました」
泊まり。一日以上、リアンが学院にいない。
気にしないことにしたかった。一日くらい、問題ない。リアンには義務がある。聖女候補としての義務が。それはゲームのシナリオ通りだった。
「わかった。気をつけて行ってきなさい」
「はい」リアンがわたしを見ていた。「寂しくないですか」
「寂しくない」
「本当に?」
「本当よ」
リアンが少し笑った。信じていない顔だった。
「お姉様が寂しくないなら、わたしが寂しいです」
私は答えなかった。
ページを繰った。
寂しい、という言葉を頭の中に置いた。一日リアンがいない。それだけのことだった。前はそれが当たり前だった。学院に入る前の二年間、毎日そうだったではないか。
でも今は——
「帰る前に図書館に寄ります」とリアンが言った。「出発の朝も、帰ってきた夜も」
「そんな無理しなくていいわ」
「したいからします」
リアンが本を読み始めた。ページを繰る音がした。
わたしも文献に戻った。
神殿への出頭が月に一度。行動制限が少しずつ入り始めた。ゲームのシナリオが動いている気配がした。リアンが中心へ引き寄せられていく。
でも今夜、リアンはここにいた。
向かいの席で本を読んでいた。
それで十分だと思った。今日のところは。
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