第6話4次審査 歌唱力審査 セクション3 崩れる後半戦

第6話4次審査 歌唱力審査


セクション3 崩れる後半戦


「次」


司祭の声が響く。


「ノエル・フロワ子爵令嬢」


客席の空気が少しだけ変わる。


エリカのような期待も、クラリスのような納得もない。

ただ、「今度は何が出るのか」という、妙な興味だけが向けられている。


ノエルは、ゆっくりと立ち上がった。


立ち上がった、というだけで、やる気はまるで見えない。

歩幅も小さい。

壇上に向かう背中からすら、「帰りたい」が滲んでいる。


ミレーユが小さく心配そうに声をかける。


「ノエルさん、ちゃんと歌えるんですぅ?」


ノエルは振り返らないまま答えた。


「歌える……けど、歌いたくはない」


バルバラが鼻を鳴らす。


「正直でよろしい」


壇上の中央に立つ。


司祭と王太子の視線が向く。


司祭はここでようやく、少しだけ期待した顔を見せた。


エリカはオペラ。

クラリスは国歌。


どちらも見事ではあったが、聖女らしいかと問われれば微妙だった。


ならば次こそ。


この地味で、無気力で、妙に逆らう子爵令嬢が、意外にも正統な聖歌を選ぶかもしれない。


王太子も同じことを思ったのか、ほんの少しだけ姿勢を正した。


ノエルは一礼する。


「選曲は、聖歌です」


その一言に、司祭の表情が明るくなる。


「それは何よりでございます」


王太子も、わずかに頷いた。


「ようやく、それらしいものが来たな」


ノエルは何も答えない。


少しだけ息を吸い込む。


伴奏はない。


静かな無伴奏。


それが、かえって大聖堂には似合っていた。


最初の一音は、きれいだった。


澄んでいて、細いが、よく響く声。


司祭が「おお」と言いかける。

王太子の口元も、少しだけ緩む。


だが。


次の瞬間、その表情が固まった。


「じたいしたーい♪」


客席が静まり返る。


ノエルは真顔だった。


ふざけた顔ではない。

笑ってもいない。


本気で、真面目に、聖歌の旋律に乗せて歌っている。


「じたいしたい、帰りたーい♪

帰りたーーーい♪」


観客席の空気が一拍遅れて揺れる。


「……え?」 「今、なんて?」


司祭の微笑が完全に消える。


王太子の顔は、感情の置き場を失っていた。


ノエルは止まらない。


聖歌としては実に美しい旋律。

だが歌詞がすべて台無しにしている。


「ここにいたくなーい♪

かえしてほしーい♪

じたいしたーい、帰りたーい♪」


客席のあちこちから笑いが漏れ始める。


最初は戸惑いの笑い。

次第に、耐えきれなくなった者の笑い。


ミレーユは口元を押さえ、肩を震わせている。


「だ、だめですぅ……」


バルバラは顔を背けている。


「くくっ……卑怯だろ、それは……」


エリカは扇で口元を隠した。


「選曲は正しかったのに、歌詞が最低ですわ」


クラリスだけが、冷静に状況を見ていた。


「聖歌の旋律を選ぶことで減点を最小限に抑えようとしているのか、あるいは本当に壊れているのか、判別に困りますね」


ノエルは最後まで歌い切った。


「かえりたーーーい♪」


静かな終わり。


そして何事もなかったように一礼する。


場が一瞬、完全に止まる。


司祭が震える声で言う。


「……聖歌に、替え歌を……?」


ノエルは真顔で答えた。


「はい」


「なぜそのようなことを……」


「気持ちが乗りました」


客席が爆発した。


笑い声。

拍手。

悲鳴のような笑い。


司祭は天を仰ぎ、王太子は無言で額を押さえる。


だが、審査は止まらない。


「つ、次」


司祭が無理やり進行する。


「ミレーユ・サンディール」


ミレーユは「えっ、今のあとにですぅ?」という顔をしながら立ち上がった。


だが壇上に立った瞬間、その顔が切り替わる。


にこり。


「私は、楽しくいきますぅ」


どこから出したのか、青と赤のカスタネットを手にしている。


ノエルが小さく呟く。


「準備いいな……」


伴奏もないまま、ミレーユは歌い始めた。


――童謡だった。


しかも、ただ歌うだけではない。


足を軽く開き、くるりと回り、手を振る。


明らかに“普通の童謡の歌い方”ではない。

どこか別の世界の、やたら完成度の高いアイドルユニットのような振り付け付きだ。


「らんらんらん♪」


カスタネットが軽やかに鳴る。


「たたんたん♪」


観客席は最初こそ呆然としていたが、すぐに空気が変わった。


「かわいい!」 「なんだこれは!」 「聖女かどうかは分からんが可愛い!」


拍手が起きる。


リズムに合わせて手拍子まで始まる。


エリカが呆れたように言う。


「もう、何の審査なのか分かりませんわね」


クラリスが冷静に返す。


「少なくとも観客への訴求力はあります」


ミレーユは最後まで笑顔を崩さず、ぴたりと決めて終わった。


礼。


観客席、大拍手。


司祭は複雑な顔をしている。


「微笑ましい……のでしょうな……」


王太子は判断に困っていた。


だが、観客が喜んでいるのは事実だった。


最後。


「バルバラ・グラント」


バルバラは立ち上がる。


「歌か」


低い声。


「苦手だ」


そう言いながら、壇上へ出る。


だが逃げない。


そこは逃げない。


「なら、魂でいく」


そう言って、用意されていた小太鼓を手に取った。


どん。


一発。


会場が揺れる。


どどん。


さらに二発。


そして歌い始める。


――というより、ほとんど叫びだった。


音程はない。

リズムは勢い任せ。

歌というより、戦場の鬨の声に近い。


「おおおおおお!」


観客席の一部がなぜか盛り上がる。


「なんだこれ!」 「勇ましい!」


だが司祭は完全に目を閉じていた。


エリカは顔をしかめる。


「これは歌ではありませんわ」


クラリスは淡々と分析する。


「打楽器付き絶叫ですね」


ミレーユがこそっと言う。


「元気は出ますぅ……」


バルバラは最後の一打をどん、と鳴らして胸を張った。


「どうだ!」


沈黙。


そして司祭が、ものすごく言葉を選びながら言う。


「……情熱は伝わりました」


バルバラは満足げに頷く。


「よし」


客席は笑いと拍手と困惑が混ざった、なんとも言えない空気になっていた。


前半の二人は“正統派すぎて場違い”。

後半の三人は“好き勝手すぎて成立していない”。


歌唱審査は、候補者たちの資質よりも、選定会の迷走ぶりを鮮やかに浮かび上がらせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る