第3話 「ニーナのケーキ屋」

 数時間後。

 イライザの元に、武装した若い兵士がやってきた。

「これから、南の山を越えて、中立国へ移動していただきます」

「は? なんで?」

 兵士の口から語られた真実は、イライザの想像を絶するものだった。

 イライザ・エール。彼女はただの百人斬りの剣士ではない。

 敵対国である帝国の王の、末娘だった。

 兄姉とは腹違いの、身分の低い妾(めかけ)の子。忌み子として最前線に送られ、殺戮の道具として育てられた姫。

 ニーナたちの国は、捕虜となった王女イライザの解放を条件に、大軍を率いる帝国へ和平交渉を持ちかけたのだ。

 しかし、イライザの父である帝国軍の王は、その交渉を即座に拒否した。

 返書には、こう記されていた。

 『あのような出来損ないは王族ではない。不要だ。砦ごとイライザもろとも殲滅する』と。

 迫り来る帝国の圧倒的な大軍。

 この砦が落ちるのは時間の問題だった。

 そこで、イライザの処遇を決めるために、東部の副司令という高位の将官が直々に派遣されていたのだ。

 それが、ニーナだった。

 ニーナは、イライザを殺すでもなく、人質として利用するでもなく、「逃がす」という決断を下したのだ。

 そして彼女自身は、迫り来る帝国軍を迎え撃ち、少しでも時間を稼ぐために最前線へと向かったという。

「そんな……バカな!」

 イライザは鉄格子の窓にすがりつき、長い金髪を振り乱して叫んだ。

「奴らの兵力を持ってすれば、この砦なんか半日も持たない! 剣を! 私の剣を返せ!」

 若い兵士が、必死にイライザを諫める。

「何をなさるおつもりですか!」

「私も戦う!」

「なりません! 閣下の決意を無駄にするおつもりですか!」

「なぜだ……! なぜ、私なんかを!」

 涙が溢れて止まらない。

 兵士は、胸元から一冊の古いノートを取り出し、イライザに手渡した。

「これを、イライザ様に、と」

 開かれたノート。

 そこには、クッキーやケーキなど、無数のお菓子のレシピが書かれていた。

 幼い、つたない字で、びっしりと。

 厳しい軍人の家系に生まれながら、いつかお菓子職人になることを夢見て、ニーナが幼い頃から隠れて書き溜めてきた「夢のノート」だった。

 最後のページには、色鉛筆で描かれた拙い絵があった。

 可愛いエプロンを着た女の子が、たくさんのお菓子に囲まれて笑っている。

 そして、そのお店の看板には、こう書かれていた。

 『ニーナのケーキ屋』

「あぁ……ああぁぁぁぁ……っ!!」

 イライザは、そのノートを胸に強く抱きしめ、冷たい石の床に崩れ落ちた。

 獣のような嗚咽が、留置所に響き渡る。

『生まれ変わりなさい』

 あの言葉が鮮明に蘇る。  


***


 それから、数年の月日が流れた。

 戦火から遠く離れた、南の暖かな中立国。

 その穏やかな街角に、新しく小さなケーキ屋が開店した。

 甘くて優しい匂いが漂うその店は、とても味が良いと、瞬く間に街の評判になった。

 ショーケースには、ガトーショコラをはじめ、色とりどりのケーキや手焼きのクッキーが、宝石のように美しく並べられている。

 カランコロン。

 入り口のベルが鳴り、ドアが開いた。

 店内で床の掃除をしていた、美しい金髪を後ろで束ねた女性が顔を上げる。

 彼女の顔には、この上なく穏やかで、幸せに満ちた微笑みが浮かんでいた。

「いらっしゃいませ!」

 彼女は、胸の奥の大切な人に向けて、誇らしげに声を響かせた。

「『ニーナのケーキ屋』へ、ようこそ!」

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ニーナのケーキ屋 perchin @perchin

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