幕間2

(アレクシウス視点)



 ――困ったな。


 ハルカを竜の塔まで送り届けたあと、初めて出会った庭園を歩く。

 夜風は冷たく、感傷に浸るにはちょうどよい心地よさだった。


 ――あの声が、言葉が、耳から離れない。


 ふと竜の塔を見上げ、中にいる竜の姿を思い描く。

 きっと今ごろ、あの竜に話しかけているのだろう。そう思うと、胸の奥に針を刺されたような痛みが走った。


 あんなことを言うつもりじゃなかったのに。

 常に完璧であれ――そう決めて、彼女の前でも王子として振る舞うつもりだった。

 けれど、気づけば『アレクシウス』として見てほしくなっていた。


 ――アレク。


 亡き母だけが呼んでくれた、特別な呼び名。

 もう一度、彼女だけに呼んでほしくなった。


 そしてその瞬間、心のタガが外れた。


 まるで子供のように、何度も、何度も、繰り返し。

 彼女の声が甘くなるまで“お願い”をしてしまった。


(……彼女の前で王子の仮面をつけるのは難しい)


 ――違うな。

 外してしまったら戻れなくなってしまうのが、問題だ。

 この気持ちを、どう折り合いをつければいいのか。

 まさか竜の聖女が、こんなにも心を乱す存在になるとは思わず、ふっと苦笑が漏れた。

 

  *


 竜の聖女は、はっきり言って無意味な存在だ。

 先代も現国王も、異世界の人間を呼んでどうなるのかと考えていた。


 だが、ドルガスア『竜』王国と名乗る以上、竜を制御する存在は欠かせない。

 かといって、国内の誰か一人を祭り上げれば権力争いを招き、無名の移民を担ぎ上げれば国の根幹が揺らぐ。

 召喚とは、人攫いと同義でしかなかった。


 幼い頃の僕は、今よりもずっとやんちゃで、好奇心のままに城を抜け出しては冒険をしていた。

 その中で、先代の聖女の部屋を訪れたことがある。


 驚いた老婆は、追い出すどころか「まぁ、お迎えかしら?」と笑い、迎え入れてくれた。

 どうやら天使か何かと勘違いしたらしい。

 彼女はそのまま、つまらない老人の話に付き合ってくれないかと語り出した。


 そこで僕は、異世界の話を聞き、その在り方に感銘を受けた。


 ――民主主義。


 おそらく僕の代では成し得ない。

 けれど、種を蒔くことくらいはできるはずだ。


 その数年後、僕は一年間だけ、学術研究都市アルフヘイムへ留学することにした。

 おそらく世界で最も革新的な都市だからだ。


 そしてその留学中、竜の聖女が亡くなり、新たな聖女を召喚することになった。


 *


 そして迎えたのが、彼女――ハルカだった。

 初対面の印象は、少し緊張気味で不安げな女性。

 だが、その直後、僕の予想を軽々と超える事をしてきた。


(まさか、魔法が使えるとは)


 あの言葉を聞いたときは、正直、聖女マルタエルの再来かと耳を疑った。

 初代竜の聖女マルタエルが、実はこの世界の人間だった。

 それは王家だけに伝わる、決して外へ漏らしてはならない秘匿事項だ。

 

 現に彼女は、全く異なる文化を持ち込む、正真正銘の異世界の人間。

 そしておそらく――竜と契約を交わしている。


 ロレッタの報告では、最初は言葉少なで、所在なげに薄明竜の傍らにいたという。

 そもそも、竜のすぐそばに居られること自体が異例だ。

 けれど司祭長から『ハルカ様は、今までの聖女と違うかもしれません』と意味ありげに言われていたため、早くから可能性の芽を察していた。


 魔法の契約とは、精霊やエルフのように、魔素そのものを生命維持に使う存在と結び、彼らの身体を通して魔力を供給する仕組みだ。

 最大の利点は、術式を必要としないこと。

 彼女もまた、呪文を唱えることなく、青い光の球を生み出していた。


(それがどれほどのことか、彼女は鼻にもかけなかった)


 確かに、これまでの聖女とは違っていた。

 竜を恐れず傍らに居続けることも、魔法を扱えることもそうだ。

 僕の中での評価は『賢明で、ひたむきで、少し面白い女の子』――その程度にとどまっていた。

 そしてそれは、演奏会に向けての練習を重ねていくにつれて、少しずつ変化していくものがあった。だが、あくまで演奏会に向けて、仲間としての枠組みだ。


 その評価は変わらぬはずだった。

 ――いや、気づかないふりを、己自身にしていたのかもしれない。


 あのブレスレットに付ける石は、一つだけにして欲しかった。

 青い石をお願いされたとき、ほんの少しだけ痛くなった胸の内から理解してしまった。

 だから、城壁の場所に連れて行ったんだ。

 彼女になら、あの景色を見せてもいいと、“アレクシウス”が顔を覗かせた。

 

 不安げに揺れながらも、必死に応えようとする懸命さ。

 演出の話になれば、途端に饒舌になって笑う無邪気さ。

 目が離せないとは、こういうことを言うのだろう。

 だからこそ、あの竜でさえ、彼女――ハルカを選んだのかもしれない。

 

 振り返って、見上げるのはそそり立つ城。

 夕闇に染まり、得体の知れない不気味な何かに見えるようだ。

 それは静かにうごめき獲物を淡々と狙う蛇に似た強かさを持つ。弟の顔が、ふと脳裏をよぎった。

 

「……けれど、守ってみせるよ。ウィリオットも黙ってはいないだろうから」


 おそらく、彼女は巻き込まれる。

 だからこそ、あの守護竜へ誓わずにはいられなかった。それが王子としての責務でもあるからだ。

 

 (それに……君の聖女は、僕にとっても――)

 

 その願いを胸に。

 塔と城、二つの影が伸びる中を歩いていく。

 



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