第60話 魔王、ついに二度寝する
天界のBPR(業務改革)が完了し、神の奇跡すらも「事前申請制のルーチンワーク」に組み込まれた。地上から戦争の火種が消え、天界から無駄な予算が削られ、世界は一つの巨大な、淀みのない「完璧なクロックワーク」へと昇華された。
「……陛下、全てが整いました。全人類のID管理、自動清掃システム、そして女神たちの受付嬢への再編。……これら全てを統合する『全自動・魔王OS(オペレーティング・システム)』が、今この瞬間、起動します」
テトラが、黄金の回路が走る巨大なメインコンソールを指差した。
「……これで、俺がいなくても世界は勝手に綺麗になり、勝手に平和を維持する。……そういうことだな?」
「……ええ。陛下の『合理性』を100%エミュレートしました。……今後は、不正があればシステムが自動的に『差し戻し』を食らわせ、汚れがあれば『無人清掃ポッド』が飛んでいきます」
1
俺は、最後の決済書類をデスクに置いた。
それは、魔王領という組織の解散届でもなければ、世界征服の宣言書でもない。
『魔王(管理者ID:000001)退職願、および全権限譲渡承認書』
「……陛下、本当によろしいのですか? このハンコを押せば、あなたはただの『無職の魔族』に戻ります。……世界を救った英雄としても、神を管理した支配者としても、記録から消去(デリート)されるのですよ」
バルガスが、少しだけ寂しそうな、それでいて晴れやかな顔で俺を見つめた。
「……記録なんていらん。……俺が欲しいのは、他人の人生の尻拭いをしなくていい、圧倒的な『無関心』だ。……バルガス、お前ももう『事務総長』じゃない。……ただの、暇な親父に戻れ」
「ははっ! 承知いたしました。……それでは陛下、最後のご奉公として……、その『重すぎるハンコ』、私が支えましょう」
2
俺は、アイゼン特製の「鋼鉄製ハンコ押し機」のレバーを、最後の一回、力強く引き下げた。
ドォォォォン!!
城全体が、いや、世界全体が共鳴するように微かに震えた。
その瞬間、俺の頭の中に流れ込んでいた全世界の「未決済通知」のノイズが、ぷつりと途絶えた。
代わりに訪れたのは、深海のような、完璧な「静寂」だった。
「……あ。……静かだ。……書類の摩擦音が、聞こえない」
アルスが、ツルハシを置いて空を見上げた。
「……おい、魔王。……空のバグが、全部消えてやがる。……お前の『事務』ってやつは、結局、世界を『普通の場所』に戻しただけだったな」
「……普通が一番、管理コストが低いからな」
3
『あはは……! 消えちゃった……! 魔王様が、ただの「ただの人」になっちゃった! アストレア、見てよ……、私たちのシステムログからも、彼の名前が消えていくわ……』
雲の上で、受付嬢の制服(天界指定)を着たノルンとリュシエラが、名残惜しそうに地上を眺めていた。
魔王は、自らをシステムの一部として溶け込ませることで、神話という名の「非効率な干渉」を、歴史から完全に切り離したのだ。
『ねえ、魔王様。……いつか、世界がまた散らかったら……。その時は、私たちが「苦情メール」を送るからね。……返信は、1万年後でもいいから!』
(……だめがみ。……迷惑メール設定にしておくから、二度と送ってくるな)
4
一時間後。
魔王城の最上階。かつて「恐怖の玉座」と呼ばれ、後に「地獄の執務室」と化したその場所で、俺は数年ぶりに、全ての窓とカーテンを閉め切った。
「……陛下、お茶を。……いえ、もう陛下ではありませんね。……旦那様」
リリナが、最高級の石鹸の香りがする、温かいタオルとハーブティーを置いていった。
「……ああ。……おやすみ、リリナ。……明日、もし世界が滅びそうになっても、俺を……起こすなよ……」
「はい。……世界はもう、勝手に平和でいる方法を覚えたようですから」
俺は、ふかふかの羽毛布団(魔王領・最高級不燃性・防ダニ仕様)に身体を沈めた。
時計の針は正午を回っていたが、俺を呼び出すベルはもう鳴らない。
鋼鉄のハンコ押し機も、今は静かに、記念碑のように佇んでいる。
「……だめがみ。……見てろ。……俺は今から、誰にも邪魔されない……、究極の……『二度寝』を……執行する……」
魔王の意識が、心地よい無機質な闇へと落ちていく。
事務の終わり。それは、世界が救われた瞬間ではなく、一人の男が、ただの「自分」を取り戻した瞬間だった。
魔王領の事務官。
その最後の仕事は、世界を平和にすることではなく、
自分自身を、世界で一番「暇」にすることだった。
神様、その祝福はいりません ――魔王様は休みたいんです あかいくれは @kureha_akai
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