第35話 石鹸革命と、聖教国の逆襲
アルスが持ち込んだ「魔王領特製石鹸」は、ラルク王国の王都で爆発的な流行を見せた。王女シアが自ら広報塔となり、その洗浄力と芳香を実演してみせたことで、貴族から平民までがこぞって「不浄を落とす魔法の塊」を買い求めたのだ。
だが、この「清潔」という名の旋風を、快く思わない勢力がいた。聖教国中央神殿。彼らにとって、病や汚れとは「祈り」と「免罪符」で解決すべき聖域の利権だったからだ。
「……陛下、朗報です。石鹸の一次出荷分、完売御礼。二次出荷の予約で、財務局のポストがパンクしておりますぞ」
バルガスが、ホクホク顔で注文書の山を抱えてきた。
「……朗報じゃない。テトラの機嫌が最悪だ。『生産ラインが追いつかない、これ以上増やすなら魔王の首をはねて経費にする』と喚いているぞ」
俺はこめかみを押さえた。平和のための輸出が、今や俺の首を物理的に脅かす事務地獄へと変貌していた。
1
その日の午後、魔王領の港に、聖教国の紋章を掲げた「宗教審問船」が接岸した。
降りてきたのは、真っ赤な法衣を纏った審問官たち。彼らは石鹸を手に取り、それを「悪魔の供物」であると断罪する布告を読み上げた。
「……聞け、迷える子らよ! この石鹸とやらは、神が与えた『汚れという名の試練』を不当に回避する呪いの道具である! 泡を立てるたびに、汝らの信仰は削り取られ、魔王の糧となるのだ!」
審問官が石鹸を地面に叩きつけ、火を放とうとした。……が、石鹸は燃えず、代わりに香ばしいラベンダーの香りが広場を優しく包み込んだ。
「……何をしている。公共の場での焚き火は、景観法第9条で禁止されているぞ」
俺は、昼寝を邪魔された苛立ちを隠さず、審問官の前に立ちふさがった。
2
「おのれ魔王! この香りに惑わされてはならん! これは信者の鼻を麻痺させ、神の声を遠ざける毒気だ! 直ちに輸出を停止し、すべての石鹸を回収しろ!」
審問官が叫ぶが、広場の魔族たちも、買い付けに来ていた人間領の商人たちも、冷めた目で彼を見ていた。
「……おい、司教さん。あんたの祈りで、俺の弟の皮膚病が治ったか? この石鹸で毎日洗ったら、三日で良くなったんだ。神の声より、泡の方がよっぽど慈悲深いぜ」
一人の商人による反論。それが火種となり、群衆から次々と「神殿への不満」が噴出した。
「そうだ! 寄進を募る暇があるなら、下水掃除の手伝いでもしたらどうだ!」
3
『あはは! 傑作ね! 「神の言葉」が「石鹸の泡」に負けるなんて!』
空からノルンの爆笑が降り注ぐ。
彼女たち女神にとって、これは信仰の危機というより、最高にパンクな下界のエンターテインメントだった。
『ねえアストレア、見てよ。審問官の顔、怒りで真っ赤! だけど、服の襟元がちょっと汚れてるわね。……魔王様、彼にも一つプレゼントしてあげたら?』
(……だめがみ。……火に油を注ぐような真似をさせるな)
俺は、怒り狂う審問官の手に、最高級の「ハーブ配合石鹸」を押し付けた。
「……これは試供品だ。……国に帰って、自分の魂……いや、その汚れた襟元でも洗ってみろ。……話はそれからだ」
4
審問官は屈辱に震えながらも、石鹸の圧倒的な「清潔感」に気圧され、捨て台詞を残して退散していった。
だが、これはほんの序の口だ。聖教国は今後、石鹸に高い「異端税」をかけるか、あるいは軍事的な圧力を強めてくるだろう。
「……バルガス。アルスとシアに伝えろ。……次は石鹸だけじゃない。『歯ブラシ』と『うがい薬』もラインナップに加えろ。……あいつらの口の悪さを、物理的に浄化してやるんだ」
「ははっ! 衛生(せい)による聖(せい)の制圧……、流石は陛下でございますな!」
俺は、再び静かになった港を見つめた。
聖教国との全面衝突は避けられない。だが、それは剣を交える戦争ではなく、どちらがより「快適な生活」を提供できるかという、泥沼の顧客満足度競争になるはずだ。
「……だめがみ。……次回の『神罰』の予報、教えてくれるか? 洗濯物を干すタイミングを計りたいんだ」
俺の皮肉に応えるように、空には虹色の雲が浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます